第12話




 扉をノックすると、少しして中から物音が聞こえてきた。


「…お待たせしました。 ……えっと? …すこし顔が赤いですが大丈夫ですか?」


 既に寝間着に着替えたフランが扉を開いて招き入れる。

 リタはフランの優しい声音に体の力が抜けそうになりながらも、普段通りに返事をする。


「ん、大丈夫。待った?」

「いえ、その…小説を読んでいたので待ってないです」


 そう言って部屋を振り返ったフランの視界の先には、捲られた毛布と小説があった。

 いつもと変わらないフランの様子に安心する。


(イトラ、少しフランと話したりしてていい?)

(いいわよ、気が済んだら声かけなさい)


 私はフランに案内され部屋の中央付近、ベッドの近くまで歩いた。


「フラン。ごめんね、ちょっと…我慢して」

「えっ? は、はい!」


 彼女は何をされるかわからないのに了承した。そんなところがフランらしい。


 おもむろに、なんとなく。

フードを外して、彼女に正面から抱き着いた。

 何をされるのか、と構えていた彼女が拍子抜けした様に脱力したのが伝わってくる。

 フランはゆっくりと髪を指で梳き、それを私は受け入れた。



 いつからか、私は変化を嫌うようになっていた。

 積み上がった関係が壊れるのが、怖いくて。自分の周りから人が離れていくのが、恐ろしい。


 心細さや嫌な予感。

それらの暗い感情から逃げるようにフランを抱く力を強める。

 そんな様子の私を、フランは幼子をあやす様にしながら、クスリと笑った。


「えっと…抱き着きたかったんですか?」

「………」

「…それなら、初めからそう言ってくれればいいのに」


 フランの声がだんだんと優しくなる。


「…その…何かあったんですか? 相談したいことがあるって言ってましたよね?」


 ——まだその話に進みたくないな。


 まだこうしていたい。そうしていたら、この関係が変わることはないのだから。


「……少し黙って」


 抱き着いたまま少し屈み、胸に耳を押し当て心臓の音を聴いた。

 それは、ゆっくりとしていて、それでいて力強い心臓の鼓動だった。


 言われるままに静かになったフランは、優しく髪を撫でながら、片手で私の背中をそっと叩き続けた。







「ありがとう、もういいよ」


 フランの胸から顔を離すと、下から見上げるように彼女の目を覗き見た。

 その表情は、どこか気の抜けたような。安堵したような様子だった。


「…はい、それでどうしたんですか? ……その、こんなに堂々と甘えるなんて、なんだか珍しいですよね?」

「………甘えてない」


 ——心臓が動いているか確認しただけ。


 そう自分に言い聞かせた。

 そんな照れ隠しはフランにはお見通しだったが、わざわざ口に出すことはしなかった。


「また、抱き着きたかったらいつでも頼っていいですからね。その、私の方がお姉ちゃんなので…」


 見下ろして言った小さな声は、真下にいる私にだけ聞こえた。

 この距離感が無性に嬉しかった。


 ——あぁ、フランは変わらない。


 最後に深呼吸をしてフランから離れると、目を瞑りイトラに告げる。


(イトラ、ありがとう。もういいよ)

(………………)

(イトラ?)

(………なにかしら?)


 イトラにしては珍しく反応が薄かった。

 そして、どこか不機嫌な雰囲気が伝わってくる。


(聞こえてなかったの? フランと話終わったから声かけたんだけど……?)

(……あぁ、そういう話だったわね)

(………うん)

(………………)


 妙な間合い、沈黙がつらい。

 小さな違和感が消えない。


ただ、自然と今はイトラを大切にするべきだと焦燥に似た感情が告げていた。


しかし何をすればいいのか、そもそも何かを求められているのかすら、わからない。


 イトラが何かを悩んでいるのは、なんとなく伝わってくる。

不安に煽られているような、1人で苦悩しているように感じるのだ。


 だからといって、私に出来ることはない。

今まで通り今回も、邪魔だけはしないように、そっと目を瞑り──


(………その娘は、そんなに大切なの?)


 ふと、心の声が漏れたような弱弱しい声が聞こえた。


 普段の声音からは想像もできない程子供っぽくて、まるで迷子の子供のような、無防備な声が。

 私は、その声が誰が言ったのか理解できなかった。


 …違う、1人しかいない。


(フランの事…だよね?)

(…えぇ、そう……なるわね)


 本当に聞き間違えでもないようで。

 イトラ自身も自身の発言に驚いている様な、少し後悔しているような、そんな感情が言葉に乗って伝わってくる。



 理解した、ただイトラを形成する一面だとしても。


 今のこの言葉は、秘密主義なイトラが隠し切れなかった”本当の言葉”なのだと。


 普段の彼女なら、そんな言葉は漏れ出さなかっただろう。様々な要因が重なった結果、“つい”漏れてしまった言葉。


 次に彼女の“本当の言葉”を聞けるのが、いつになるのかわからない。


 ———だから。ここでの選択・言葉は、大きな転換点になる。


 私は、なぜかそう直感した。

 しかし、それを疑問に思うより先に行動に移す。それが掛替えのない彼女のためになると信じたから。





 私は無言のまま向かい合っていたフランをもう1度抱きしめた。


「えぇ? リタさん………?」

「フラン、動かないで、静かにしてて」


 フランは、突然の奇行に動揺しながら言われたとおりに静かになる。

 動かないで、とも言われているので、とてもおとなしかった。


 準備は、整った。


(イトラ、聞こえてる? 私は、フランがこんなに大切だよ)


 そう頭の中で言って、フランを抱きしめる力を強める。

 精一杯の力はまだ弱いけれど、このフランへの親愛は、見る者すべてに伝わっているだろう。


(………………)

「リ、リタさん!?」

「…静かにして」


 今が勝負の決め所で、決して言葉を違えてはならない瞬間だ。


(でも、わたしはイトラの方がもっと大切だよ)


 そう言ってフランを抱きしめたまま、ベッドへ押し倒す。

 小さな子供2人分の重さを受けたベッドが軽く軋み、フランの体が厚手の毛布に沈み込む。


(もしイトラに体があったなら………ずっとこうして抱きしめられるのに…)


 前に、イトラは自分の体を持っていないのか聞いてみたことがあった。


 その答えは曖昧で、煙に巻かれてしまったけれど、私にその姿を見せることはないのだろう。それだけは伝わって来た。

 そのことが少し寂しくて今もよく覚えている。


(イトラ、安心した?)

(どうしてそんな事聞くのかしら?)

(だって、私がフランと仲良くしてたから、ヤキモチ焼いちゃったんだよね? だから、安心したかなって)

(…そんなわけないじゃない)


 イトラは素っ気ない口調で、心底呆れた、と言いたげな口調だった。

 しかしどこか嬉しそうに私には聞こえた気がする。


 私の選択は間違っていなかったはずだ。

 安堵しながらゆっくりと息を吐いた。


 そして、ゆっくり心境を整理していると、心地いい感覚に身を委ねて、そのまま眠ってしまいそうになる。


 ちょんちょん、とリタは肩を優しく叩かれた。

 視線を向けると、何か言いたげなフランが、じっと目を見つめていた。


 あ、忘れてた。


「…………」

「…あの、リタさん。声を出してもいいでしょうか?」

「…ダメって言ったら?」

「…」


 リタの言葉に、フランは「…なんでぇ?」と言いたげな瞳をして、しぶしぶ口を閉ざした。


 別に冷静に今の状況を理解して恥ずかしくなったわけじゃない。本当に。



 フランにのしかかる様な姿勢で脱力し体を預けている。

 沈み込むような柔らかい感覚と温かい体温、少し湿気を感じる血色の良いベッドは私を優しく抱き留めてくれる


「フラン、疲れちゃったから今日はこのまま眠ろうか」

「…」コクリ

「また明日も泊るから、その時に相談するね。じゃあお休み」

「…………」コクリ


 私の言いつけを守り、声を出さずにコミュニケーションを取るフランがどこか可笑しくて。


「あぁ、そういえば喋っていいんだよ。特に理由はなかったから、ごめんね?」


 リタはフランの上から転がってベッドの右半分、勝手に決めた定位置に我が物顔で陣取る。


 フランはその理不尽さに慄き、呆れながら「まったくもう……明日も泊るなんて聞いてませんよ……」なんて言いながら、失笑する。

 こんな関係もいい物だね、と私は眠りについた。








 夜の帳の降りた夜中、リードルの町のとある商店に忍び込む影があった。


 彼女は気配を消し、誰にも気づかれる事なく2階に寝室を構える1人の老人の部屋へと向かった。

 初めて訪れた建物であろうと、自身の感と気配を頼りに目的の部屋の扉へたどりつき———丁寧に扉をノックした。


「どうぞ、鍵は掛けていないから入ってきなさい」


 老人はまるで客人が来ると知っていたかのように自然と返事をする。その声に従って彼女は部屋の扉をあけた。


「お初にお目にかかります、わたくしは——ブリジット・リストリアと申します。トムリトル・———」

「結構だよ、今の僕はただの行楽好きの隠居者だ。そんな仰々しい呼び方は止してくれ。——そして君と会うのは、これが初めてではないよ。随分と立派に成長したね」


 この店に忍び込んだ彼女。ブリジット・リストリア。

 濃紺のような長髪に、ルビーのような赤い瞳。身長は女性としては長身で鍛え上げられた鋭い雰囲気を纏っている女性。年齢は現在20歳のはずだが、あふれ出るオーラは既に剣聖に等しい。



 強引に自身の名前を遮った後、老人・トムリトルは染みついた好々爺然とした態度で彼女に話しかけた。

 本来であれば礼儀に失した言動であろうとも、彼の雰囲気はそれを不快に感じさせない。


 しかしトムリトルの内心は彼女の訪問を心底驚いていた。普段から被っている皮以外咄嗟に見繕えない程に。


「そうでしたか、失礼しましたトムリトル殿」

「かまわないよ。それより僕は、君がこの町に来たことに驚いているんだ。君の父君へ一応手紙を出したが、君が直接出向かなければならない程の相手ではなかったはずだが……」

「ええ、本来であれば家の者を数人手配するのみでよかったのですが、リストリア家の事情によりわたくしがお役目を頂戴しました」


 トムリトルはこの地の領主・トゥルダール辺境伯に手紙を出すと同時にもう一通手紙を出していた。

 それは辺境伯の騎士団とは別にこの事態を根本的に終息させるため、リストリア伯爵家に向けた手紙だった。


 ———リストリア伯爵家

 タリア王国の王都に構える名門貴族である。

 表向きには数多くの騎士を輩出する名家、しかし裏では国の後ろめたい暗部を統括している家系だ。


 しかし事態はトムリトルが想定していたよりも早く動き出した。

 リードルの町から王都までは遠い。片道だけでも15日はかかる道のりだ、トムリトルはリストリア家からの人員はまだだいぶ先になるだろう、と考えていた。

 だがしかし、“彼女”は既にここに居る。



 ———ブリジット・リストリア


 リストリアと付く様に、彼女はリストリア伯爵の実子、伯爵令嬢。

 彼女はあらゆる分野でその名を轟かせた。


 伯爵令嬢でありながら、幼い頃から剣と魔法に才覚を表し。リストリア伯爵家という、その才能を十全にいかせる環境で成長した言葉通りの麒麟児。

 国中から有力貴族たちが集められ通う『王立魔法学園』において、入学から卒業まで無敗を貫いた傑物。

 在学中に作り上げた呪文魔法の新系統は未だに研究が進んでおらず、リストレア家のみが扱える秘術と化している。

 卒業後は表舞台から姿を消したが、国を裏から支えているのだと、まことしやかに囁かれていた存在。


 そんな彼女が直接出向くほどの事情があるのだと、トムリトルは今回の事件の評価を改めた。



「………さて、リストリア伯爵家の事情を僕なんかに話してしまっていいのかい?」


 トムリトルは内心冷や汗をかきながら、好々爺然とした態度を崩さずに聞く。

 リストリア伯爵家の事情という物には、軽々しく首を突っ込んでいいものではない。


「えぇ、構いません。そのことも含めご当主様から許可を得ておりますので」


 彼は安堵した。

 自身の立場から、自分が知ってはいけない領分の線引きは弁えているつもりだが、それでもどうしようもない事があるのを理解しているからだ。


「そういうことなら———承知した。これは私に対する正式な相談、と受け取らせていただこう」

「はい、その認識で相違ありません。では早速本題に入りましょうか」


 空気がピリついた。

 彼女がこの店に入るときに掛けた防音魔法の強度が増したのを肌で感じる。

 しかしトムリトルにはその仕組みがわからなかった。


「トムリトル殿。貴方は『精霊』という存在をご存知ですか?」


 突然問われた質問に詰まる。


 精霊という存在は知っている。しかしそれは架空の存在として広く知られている物だ。

 彼女がそんなことを畏まって質問するのだろうか?

 彼は質問の意図を見いだせないでいた。


「………精霊、でございますか? あのおとぎ話など登場する存在ですかな?」

「はい。その存在が実際にいるとして、心当たりはありますか?」


 トムリトルは熟考したうえ答える。


「いいえ、存じません」

「ありがとうございます。正式な相談は以上です、楽にしてください」


 ブリジットがそういうと部屋の中の緊迫した空気が薄れる。

 実際に防音魔法の強度すら下がっているのだから当然の事だが。やはり彼女の呪文魔法には“詠唱が無い”のだとトムリトルはその呪文魔法の特異性を目の当たりにした。



 ブリジットの保有する魔力量からみて、防音魔法の強度を下げるという行為に意味はない。

しかしそれは見る者が見れば十分に意味のある物に変わる。彼女はそれをよく理解していた。


「それではリストリア家の意向を説明します。トムリトル殿には可能な限り協力をお願います」

「もちろん、僕にできる事なら協力させてもらうよ」

「では始めに、今回の事件の中心人物、リタという少女の身柄をリストリア家で預かります。そのための段取りとして、その少女を王立魔法学園に入学するように仕向けていただきたい」


 トムリトルの予想を超える内容に吃驚する。

 未成年の魔力持ちを他領の貴族が取引する事は全て王命にて禁じられているはずだった。それをあの堅物なトゥルダール辺境伯が許可するはずが………。


 脳裏で様々な思考を重ね———そして1つの結論を見出した。


「……ブリジットくん、相手に選択肢のない相談というのは、“命令”と言った方が分かりやすいだろう」


「我々は、これを“相談”と呼んでいるのですよ」


 トムリトルの『呆れたよ』と言いたげな軽口を聞いたブリジットは微笑をもってそれに答える。


その密談は、夜のうちにひっそりと行われた。







 もし今夜、リタがイトラの異変に気が付かなかったら、それはどうしようもない“詰んだ”世界になっていた事を、今回のリタは知らない、知ることはない。

 それが幾度となく繰り返された普遍な未来だったとしても。


 そんな結末は1人の少女の“献身”によって無かったことになる。


「よかった~。あの2人うまくいったみたいだよね」


 事の顛末を見届けたフィルはひとり、階段の手すりに寄りかかりながら安堵のため息をつく。


「うんうん、でもね? フィルだって半信半疑だったんだよ?」


 薄暗い天井を眺めながら、それを聞いている“誰か”との会話を続ける。


 自分にしか聞こえない声で話しかける不思議な“妖精さん”。

 声が聞こえ始めたのはつい最近の事だった。


「だってそんな話、信じてって言う方も言う方だと思うんだ~」


 初めは、御伽噺に出てくる子供を攫ってしまう恐ろしい存在だと思って聞こえないフリをしていた。


「それでも、あんなこと言われたら断るなんてこと出来るわけないよ」


 初めは耳を傾けなかった言葉に、耳を傾けたのは『おねえちゃん』に危険が迫っている、と言ったからだ。

 それから“妖精さん”が語る内容は気になる事ばかりで、どれも本当の事だった。


「今回はお願いを聞いてあげたんだから。次はフィルの願いを叶えてね?」


 ———だから“約束”した。


「は~い、だから感謝しているってばー」


 この巡り会わせには、本当に感謝してる。


「おねえちゃんを助けられるのは、フィルだけ。他の誰かになんて任せられないよね」


 叶えたい願いだけを持っていた私に、“手段”を与えてくれたのだから。


「じゃあ、明日からヨロシクね、『アルケモさん』。おやすみなさい」


 “妖精さん”は自身を“アルケモ”と名乗った。



 これは彼女の生涯の中で短い時間を共にする存在との第一歩。

 初仕事を終えたフィルは階段を静かに降り寝室へ向かうのだった。



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