短編 フィリーネ



 わたしは、フィリーネ。

 8歳、晩冬生まれ。生まれた時から、この町、リードルの町に住んでいる。

 でもわたしは、この町があまり好きじゃない。


 このタリア王国には獣人が少ない、そしてリードルの町に獣人の子供はわたししかいない。

 旅で訪れる獣人を町で見たことはある。でも住んでいる獣人は、わたしとお父さんしか居なかった。


 今より少し前は、同じ年くらいの子供達に虐められた。

 わたしには、どうしてそんな事をするのか、理解できなかった。

 みんなが笑って、みんなが嬉しければそれでいいのに、どうしてわたしに酷いことをするの?

 そんな事ばかり思っていた。


 わたしは獣人だ。腕力も強いし足も速い。

 もし反抗すれば簡単に解決したと思う。種族の差はそれほど大きかった。

 …でも逃げ続けた。


 いつも読み聞かせてくれた『獣人の勇者様』のお話。

 その勇者様はいつだって笑顔で、決して弱者を虐めなかった。だから、我慢した、耐えた。そうすればいつか『勇者様』になれるような気がして…。


 そう、わたしは『勇者』に憧れている。






「フィル~、注文おねがーい!」

「は~い」


 宿のお手伝いもだいぶ慣れてきた。

 5歳の時からお手伝いを初めて、もう3年、この冬を超えれば4年だ。

 初めは難しかった配膳や注文も、今ではお客様と話しながらでも余裕があった。

 今日もほどほどに忙しいが、問題もなく終わる。この時間ならあとは常連さんがワインとツマミを頼むくらいで落ち着いてくる。


 あ、入口から新しいお客様が来た。

 つかさずお母さんが接客する。


「いらっしゃい! 泊まりですか? 食事ですか?」


 若い女性と、深くフードを被ったわたしくらいの…女の子? がやって来た。

 …その2人からは強い血の匂いがした。

 一応お母さんに合図し教える、彼女たちはどうやら泊まりのお客様の様だった。


 厨房でお父さんとも情報共有したお母さんが戻ってくる。

 食後に改めて事情を聴く事にして、今はとりあえず食事を出す事になったのだ。


「じゃあフィル、配膳お願いね? 見た感じ問題ないと思うけど、フードの子は確認してないから気を付けてね」

「は~い」


 大きなお盆に2人分の食事を載せ、テーブルに運ぶ。

 その2人は非常に重たい雰囲気で、周囲のテーブルから少し浮いていた。

 料理を空いているスペースに載せ、テーブルの高さに屈む。このお店のテーブルは少し高めなので違和感はない。

 夕食のメニューを普段通り読み上げながら、自然と少女のフードの中を覗き見た。


 …驚いた。

 フードの中は、まるで物語から出てきた様な綺麗なお姫様が、悲壮な表情でわたしを見ていた。

 銀髪の隙間から真っ白な肌と、見ているだけで吸い込まれてしまいそうな『青い瞳』。

 一目見た瞬間に、自分の中の何かが、『この人だ』と言った。

 もしわたしが『勇者様』なら、この人がわたしの『お姫様』だと、理解した。



 出会えた喜びをひた隠して、テーブルを離れようと思ったが『お姫様』の表情が陰ってしまっているのが、どうしても気になった。

 少しでも元気になってほしいと思った。

 そして、その思いは自然と言葉になった。


「あれ? 悲しい顔してる。お姉ちゃんとっても綺麗な顔しているのに……。おいしい料理をたくさん食べて、少しでも元気になってほしいのです!」


 子供らし過ぎたかな? 違和感を持たれなかっただろうか。

 わたしは無駄に上手くなった人の表情を読むスキルを駆使し少女の表情を読み取った。


 …少し表情が柔らかくなった気がする。

 それに『お姫様』は、わたしの耳をじっと見ると、触りたそうにしていた。

 普段なら親しい間柄の人にしか許さないが、自然と頭を近づけていた。

 あと少しで少女の手が耳に触れる。が、しかしその瞬間は来なかった。

 様子を見ていたお母さんに、呼び出されてしまったのだ。


 名残惜しさを胸に、別れ際に視線を向け「またあとで」と念を飛ばす。この思いが少しでも伝わっていればいいな…。そう思いながら仕事に戻る。


 これが、お姫様。リタお姉ちゃんとの出会いだった。




 驚いた事にお姉ちゃんは、この宿に泊まる間夕食のお手伝いをすることになった。

 普通は宿泊客にそんな事はお願いしない。けれど、お姉ちゃん達には特殊な事情があったのだ。


 お姉ちゃん達は、お姉ちゃんを誘拐しようとする悪党から逃げてこの町までやって来た。そして生活が安定するまでの間、この宿に泊まるという。

 事情を厨房の会話から聞いたわたしは、『お姫様』を助けたいと、そう思った。

 だから、お父さんにお願いしたのだ。「厨房のお手伝いをお願いするのはダメかな」、と。

 そうすれば『お姫様』が少しでも長くこの宿に泊まってくれるはずだ。

 そして嬉しい事に、厨房に入るのはお姉ちゃんになった。

 半分は、好意。もう半分は……。



 そうして、お姉ちゃんがいる生活が始まった。

 お姉ちゃんの朝は早かった、もう少しゆっくりしてくれていたら、仕事がひと段落してお姉ちゃんとスキンシップが出来るのに、朝食の準備が終わる頃に降りてきて、食べるとすぐ出かけてしまう。


 日中、お姉ちゃんはお母さんの仕事場について行って、魔法の勉強をするのだと言う。その勤め先があの『トムの金物店』だと言うのだから驚きだった。

 そのお店は、この町の住人ならだれでも知っている相談役のお店だった。


 お姉ちゃんは、朝の短い間と夕方以降にしか宿に居ない。それに部屋にいる間は会うことが出来ない。だから会える時には必ず会えるように工夫と努力を惜しまなかった。


 日中、わたしはお店の手伝いをしている。

 初めは店内の手伝いばかりだったけど、今は近場であれば町へ買い出しに行ったり、料理を届けたりもしていた。

 お姉ちゃんが来て、3日目のお昼過ぎ。いつも通り買い物に行くため休憩室で準備をしていると、お母さんに呼ばれた。

 買い出しの追加かな…? と思いながら食堂へ行く。


 ——そこで聞かされたのは、お姉ちゃんが具合を悪くして帰ってきたと言う事だった。そしてわたしはお姉ちゃんに付き添って看病をしてほしいとお願いされたのだ。

 わたしは、心配すると同時に、嬉しかった。…だって、わたしがお姉ちゃんの助けになれるのだから。

 

 お母さんと一緒に、冷たい水と濡らした布巾を持って部屋へ向かう。

 部屋の中では、既にお姉ちゃんはベッドで横になっていた。遠目から見ても、その顔は青白く血の気が引いていた。

 しかし、熱があるような様子はなく、具合が悪いというより、今にも泣き崩れてしまいそうな儚さがあった。

 お母さんが居なくなったのを確認すると、お姉ちゃんの体調を確認する。枕元で椅子に座り、自然と手を握った。

 その手は、わたしと同じくらいの大きさしかなくて、薄くて、獣人のわたしが強く握ったら、簡単に壊れてしまいそうだった。


 体温や呼吸から体調は悪くないことを確認したら、会話をするためにいろいろ話しかけた。お姉ちゃんはどこか安心した様に相槌を打ち、会話が弾んでいった。


「それでね、………あ、お姉ちゃん眠っちゃった?」


 相槌が聞こえなくなった時、お姉ちゃんは眠っていた。

 その寝顔は安心しきっていて、心を許してくれているのが直接伝わってくるようだった。

 時間を確認する。まだ部屋は明るく、夕暮れまで沢山時間があった。繋いだ手を離さないまま、ゆっくりと慎重に、起こさないように毛布を捲り入り込む。

 仰向けに寝ているお姉ちゃんが苦しくないように、体をずらし、腕を伸ばして抱きつく。


(わたしがお姉ちゃんを守るんだ)


 華奢で折れてしまいそうな腕、肩。呼吸するたびに上下するお腹や胸。それらすべてを見つめ、抱きしめながら心の中で決心する。

 家族以外と初めて眠った毛布は、かつてない程の充実感を肺いっぱいにしてくれた。





「…!」

 いつの間にか眠ってしまっていた。

 扉の前に人が立った気配で一気に目が覚めた。お姉ちゃんを守ると意識していたからか、感覚が鋭敏になっていたみたいだ。

 そして、今の自分の体勢を理解した。

 わたしはお姉ちゃんの体を覆う様に被さっていたのだ。お姉ちゃんの心臓の音を聞くように、うすい胸の上に頭をのせ、右手は手を繋いだまま、左手はお姉ちゃんの肩を抱いていた。

 これではまるで赤ちゃんの様だと、恥ずかしくなった。

 体を元の位置に戻そうとした時、扉がノックされる。


「リタちゃん、入るよ」


 お母さんだった。こんな体勢で甘えていたなんて知られたくないので、毛布をかぶったまま、寝たふりをする。


「体調はどう? よく休めたかい? 一応おかゆを作って来たから、食欲があるならたべて」


 どうやら、わたしが病気をした時に作ってくれるお粥を、お姉ちゃんに作ってきてくれたみたいだった。

 お姉ちゃんが体を起こそうとしたが、わたしの体に抑えられて、少しだけしか体を起こす事が出来なかった。


「休めたみたいだね、顔色もよくなってる。もうすぐ夕方だからフィルを回収しに来たんだけど、一緒に眠っちゃってたか。邪魔だったらこのまま連れていくけど、どうする?」


 毛布が少し捲られ、わたしがお姉ちゃんに覆い被さっている姿が露になる。

 本当は起きたくないけれど、邪魔になっているので素直に起きようとした。

 しかし、お姉ちゃんが話し出したので、体の動きを止める。


「もし、宿の手伝いが大丈夫なら、もう少しこのまま一緒にいてもいいですか? 1人だと寂しくて…」


 そういって、わたしの頭を撫でる。

 本当に寂しかったのだろう。そんな声だった。

 お母さんはそれを聞くと、今日はわたしも休みにしていいと言って、部屋から出て行った。

 お姉ちゃんはベッドに横になると、わたしを強く抱き寄せ、頭の位置がお姉ちゃんの首と同じになる。


 わたしはお姉ちゃんの首元に顔を埋めることにした。犬獣人の発達した嗅覚がその匂いを幸せの匂いだと教えてくれる。


(あぁ、わたしは今幸せなんだ)


 『お姫様』をベッドで独り占めし共に眠る。

 その充足感は尻尾の動きを止めるのに苦労する程だった。


 しかし、お姉ちゃんはわたしがまだ眠っていると思っているのだろうか? こんなに体を動かしたら普通起きると思うけれど…。

 変わらず抱きしめたまま、わたしの頭を撫で続けていた。


 …寝たふりをしているという少しの罪悪感と、それ以上に『お姫様』を独占しているという独占欲・支配欲が心を満たす。幸せだった。

 いつまでもこの時間が続けばいいと思ってしまう程に。


 ……その言葉を聞くまでは。


「イトラは、私を裏切らない、見捨てもしない」



 お姉ちゃんは独り言を呟くように、言った。……わたしの耳元で。

 そして、その言葉には強い感情が、心がこもっていた。その人物へ寄せる厚い信頼が、期待が鬱陶しい程に脳を焼く。

 その瞬間、理解した。お姉ちゃんが今撫でているのは、……わたしじゃない。

 違う誰かを想いながら、その人の代わりにわたしを抱きしめて、撫でているんだ、と。

 ただ、ここにあったから、手が届いたから。その誰かをわたしに投影しているだけだった、と。


 そう理解した時には、激情に身を任せ、お姉ちゃんを組み伏せて、独占して、傷つけて、その人について聞き出したくなった。

 でも……出来なかった。


 例え今、お姉ちゃんを独占しようと、その心がわたしに向くことはない。逆に嫌われ、恐れられてしまう。今のわたしがその人に成れる事はない。


 高まった心臓の鼓動を押さえ、心の中で問う。


【ねぇ、イトラってだれ?】




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