第8話



 外に出れば夕暮れで、乾燥した空気に長い銀髪が靡いた。

 この時間の通りはまだ人が多く歩いていて億劫になる。



 息を深く吸って肺を満たし、深呼吸。髪をしまい、フードを目深く被る。それだけで私は人の視線から外れ、ひと時の解放感を楽しむ。

 意識されないという世界は新鮮そのものだった。


 それの感触を楽しむ様に、宿へと駆け出してみた。








 宿屋に到着したが、まだ早かったのか食堂は空いておらず、ミレーヌさんとフィルが椅子に座って楽しそうに談笑していた。


 

「こんにちは~、リタです。お手伝いに来ました~」

「リタちゃんか、早かったね。もう手伝ってくれるのかい?」

「あ——! お姉ちゃん、お帰りなさい! 全然気が付かなかった!」


 ミレーヌさんは顔を上げ、自然とあいさつする。

 フィルは立ち上がり、こちらに向かってテトテトと駆け足で向かってきた。

 そして目の前で止まり、私の深く被ったフードに背伸びして少しでも近づいて。

 鼻に触れるほど近く顔を寄せ、匂いをつけようとしている。


 フィルはこの行動が好きだ。初めてされた時は動揺し腰が引けたが、距離が近い子なのだと認識した。

 教科書の中にもこの行為はないので、フィル特有の挨拶なのだと思う。




 距離が近くなり自然と香るフィルの匂いが鼻腔をくすぐり、モコモコとした犬耳が目前で揺れる。


 ———ぎゅっと。


 フィルを抱きしめて、頭部の犬耳に顔をうずめる。

 それからその匂いを肺一杯に吸い込む。

 いい匂いと、吸うほどに感じる幸福感に包まれる。フィルは、細いのにとても柔らかくて。毛の触り心地はサラサラして、子犬のようだった。



「きゃあ! たーべーらーれーる~!」



 しかし、バタバタと動くフィルを抱きしめ続ける力がなく、あっけなく終わってしまった。

 思わず悲しげな声が漏れるが、離れていくフィルは楽し気に笑って気が付かない。そんな光景を見つめていたミレーヌさんが微笑みながら立ちあがる。

 どうやら挨拶が終わるのを待ってくれたみたいだった。


「リタちゃん、厨房で働く用の服を用意したから、ついてきておくれ」

「はいっ」


 失意をねじ伏せ明るく挨拶する。初めが肝心だと本に書いてあった。





 ミレーヌさんについていくと、そこは休憩室のような部屋だった。

 この部屋はカウンターの扉の向こうにあり、客は入ってこられない。

 ミレーヌさんから白い長袖の服と頭巾などを手渡される。丈が長く、一見するとワンピースのように見える。飾り気はないが、綿で作られており、非常に燃えにくい造りだと理解した。


「リタちゃんの服を汚したら勿体ないから、この服を着て厨房に入ってね。仕事が終わったらこの籠に入れておいて、洗濯するから。それで、明日からは新しい服をこの籠に入れておくから、それを着ておくれ」


 自分用かと思ってしまう程にピッタリなサイズの服は、おそらくフィルの予備の物を渡してくれたのだろう。お礼を言ってそのまま着替えることにする。


 厨房への直通の扉があるので、客の目に触れることはない。

 すぐに着替え、ミレーヌさんからもらった髪留めで髪を後ろで1つに纏め、厨房へ向かった。



 厨房では、既にダルフさんが調理を始めていた。

 明るく挨拶しよう、初めが肝心なのだから。


「よ、よろしくおねがいします!」








 私の仕事は、事前の仕込みと掃除。営業中は、皿洗いと盛り付け。配膳など頼まれたことを順番にこなす事。

 皿洗いの水は井戸の汲み置きの水から必要な分をすくって使う。

 使い終わった分は、まとめて地下水路に流す。


 料理に使う水は、水の魔石から生成された水を使う。

 この水は煮沸する必要がなく、水が原因で食中毒が起こる可能性がないので、料理を提供する店では水の魔石の使用が義務付けられているから気を付けるように説明された。



 実際に厨房で働いてみると、ダルフさんの手際の良さと、気遣いを感じた。

 今までたった1人で10人前以上の料理を作っていたのだ。同時に複数の料理をつくり、焦がすこともなく仕上げる腕前には純粋に尊敬した。

 私も、盛り付けや洗い物を丁寧に行い、できる限りのことは出来たつもり。

 合間合間にダルフさんからアドバイスを受け、試し効率化を目指す。



 ダルフさんは見た目がかなり怖いと思っていたが、面倒見はよく。忙しい中でも決して雑な振る舞いをしない。

 私の中でダルフさんの印象が大きく変った。この人はすごい料理人だ。




 こうして営業終了まで時間があっという間に過ぎた。

 今日は普段と比べても忙しかったらしく、手伝ってくれて助かったとダルフさんにお礼を言われた。


 そして賄いも出た。

 それは余った野菜やお肉をまとめて炒めた豪快な料理だった。

 ミレーヌさん達3人分と自分達2人分で均等に分けて、今日の余り物のパンもいくつか持って行くといい、と包んでくれた。



 休憩室で着替えてからその料理をもって部屋に戻る。

 部屋では、お母さんが夕ご飯を並べて食べないで待っていてくれた。


「おかえり、リタ。初めてのお仕事どうだった? うまく出来た?」

「うん! 大変なこともあるけど、とっても楽しかったよ、それと賄いを貰えた」


 持ってきた賄いもテーブルに並べる。

 まだ湯気が昇る暖かい炒め物は、節約した夕ご飯と比べて味がしっかり付いていて食事が一気に華やかになった。


 まだこの町に来て2日、慣れない事ばかり。だけど、この温かい食事を見ていると、ふと思う。

 お父さんが死んでから、ずっと寂しかったけど、今はこの食事にも幸せを感じる。こんな日常にもいずれは慣れていくのだと。



 そして、今までの生活は、いくつもの幸運が積み重なって叶っていたのだ、としみじみ思う。これからは誰も無くさないように、後悔しないように…。


 ———そう、心に決めた。



===



 食事が終わり、明日の身支度をしてベッドに横になる。

 既に明かりを消した室内は薄暗くてお母さんの寝息しか聞こえない。そんな室内で夢想する。


(イトラ…私強くなりたい。私の守りたい人が、私の力で助けられるように…)


(そう。せいぜい頑張りなさい、私はあなたが生きているなら、あとはどうでもいいわ。…まぁ、あなたの事だけは守ってあげる)


(ありがとう、イトラ。やっぱり守ってくれるんだね)


(………………)



 私の決意が、イトラに届いたのかもしれない。

 らしくもなく私の事だけは守ると口を滑らせた彼女にそう思った。


 ………でも、生きているなら、あとはどうでもいいってどういう意味なんだろう、と眠りに落ちていく瞬間、疑問に思った。








 翌日、お母さんと一緒にトムじいのお店へ向かった。



 店の中には、まだ早い時間なのにもかかわらず1人のお客さんがいた。

 その男性はトムじいさんと会話をしていたが、2人の表情は厳しく、どこか重たい相談をしている様だった。


 しかし、いつまでも店前で待っているわけにもいかないので、会話が落ち着いたタイミングを見計らってお母さんと一緒に店内に入る事にした。



 扉を開け鐘が鳴る。

 こちらに気が付いたお客さんは私の姿を見て、顔をそむけるとそのまま帰ってしまった。

 すれ違った時、その人から物を焼いたような焦げた臭いがした。



「すみません、お邪魔してしまったみたいです」


 お母さんが申し訳なさそうに謝った。

 しかしトムじいさんはいつもの好々爺の顔に戻り何事もなかったかのように答える。


「何の問題もないよ、話が終わったから帰ったんだ。彼には少し調べ物をお願いしていてね、その話だったんだ。それより今日もお願いするよ」


「はい。店番は任せてください」


「ああ、今日は時間があるときにお昼ご飯の買い物もお願いしようか。出かける時にまた声をかけて欲しい。経費を渡すのでメニューはお任せするよ」



 トムじいさんはにこやかにそう言うと私を連れて工房へ向かった。







 今日も魔法・魔力持ちについての勉強が始まった。

 しかし、今日はトムじいさんも忙しいらしく、私に教える合間合間に机で手紙を執筆しているようだった。


 私は申し訳ないと思いつつも、勉強の内容でわからなかったところをトムじいさんに質問した。



「1つ、疑問に思っていることがあって。どうして私は魔力を持っているのですか? 今までの話だと魔力持ちは遺伝すると習いました。しかし両親とも魔力を持ってないです」


 そう、疑問に思っていた。

 自分の色調は両親と全く似ていない。顔はお母さんに似ていないとも言えないが、私の姿から両親の面影を見出すのは難しい。でも、生まれた時から一緒にあの小さな村で育ったので親子なのは間違いない。


 では、なぜ私は魔力を持っているのか。

 その疑問を持つのは当然だった。



「たしかに魔力は遺伝が関係するのだろう。高い魔力同士の子供もまた高い魔力を持ち、低い魔力同士の場合低い魔力の子供が生まれやすい。しかし、孫やさらに下の代などで、いきなり魔力持ちの子供が生まれる事が偶にある。リタちゃんはこれにあたるんだろうね」


 頭の中で伝えるべき情報を取捨し、考えながら話しているのだろう。

 トムじいさんは自身のあごに手を当てならが一生懸命言葉を選んでいるようだった。


「……血族に魔力を持つ人がいれば、魔力持ちの子供が生まれる可能性があるっていうこと?」


 ―――隔世遺伝、その言葉が脳裏をよぎる。

 たしか教科書に書いてあったはずだ。


「その解釈で問題ないだろう。この問題についてはもう少し後に説明するつもりだったが、ちょうどいい機会だろう。少し長くなるが構わないかな?」


 トムじいさんの目をみて頷く。

 この話は、きっと大事な内容だという予感がした。



 私は、ゆっくりと頷いた。




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