第2話 召喚士、名乗る


 召喚は、あくまで脅しだった。

 逃げてくれればそれでよし、立ち向かってきたら反撃をと考えていたが、

 相手が召喚士だったのはむしろ好都合だった。


 薄暗い路地が急に光に包まれれば、一瞬でも視界はきかなくなる。

 その隙に彼女を連れ出した。


 あのまま戦ってもよかったが、女性に血を見せることは極力避けた方がいいだろう。

 召喚した騎士もすぐに送還した。


 しばらく走ると、無事に表通りに出られた。

 雑踏に紛れてから背後を確認するが、男たちが追ってくる気配はない。

 ようやく立ち止まり、一息つく。


「ふぅ……ひとまず撒けたかな。だいぶ走ったけど大丈夫?ケガとかない?」

「はい、大丈夫です……」


 そう言って彼女の視線は下を向く。

 そこにあるのは、彼女と僕が繋いだ手。


「おっと!ごめん!」


 繋いでいた彼女の手を放す。

 少し気まずい。


「これはアレか?青い春とかいうアレか?」


 頭上の相棒から生温かい視線を感じるが、無視する。


「あー…………助けるためとはいえ、不躾に手を引いてしまいました。どうかお許しください」


 どうか許してくれますようにと願いながら、謝罪の礼を取る。

 そして、今更ながら敬語を使う。

 

 平民の装いをしてはいるが、おそらく彼女は貴族令嬢だ。


 大きな卵なんて、平民であれば食べ物以外の何物でもない。

 大事そうに、或いは守る様に抱えている時点で、平民の可能性は低い。

 つまりは偽装。

 偽装する必要があるのは、隠す必要がある身分だからだ。


 そしてこの場合、相手によっては問題になる。

 手を繋いだだけで『娘が傷物にされた!』と怒り狂う貴族なんて、珍しくもない。


「い、いえ!顔をお上げください!私は全く気にしてませんので!」


 そんな俺の心配をよそに、彼女はむしろ申し訳なさそうにしている。


「申し遅れました。私はベント男爵家のクリスタ・ベントと申します。この度は助けていただき、本当にありがとうございます」


 あ、偽装しているのに名乗っちゃうんだ。

 大丈夫か、この人……。


 そして、ベント男爵家ときたか。

 数年前に叙爵され、今最も勢いがあると言われる男爵家じゃないか。

 驚いたが、今はこちらも名乗らなければ。


「とんでもありません。助けられてよかった。僕はアレクといいます。こっちのスライムが──」

「バーンだ!存分に感謝するが良いぞ!娘!」

「バーンはほとんど何もしてないでしょ……そしてさっきの騎士が──」


 隣に深紅の騎士を召喚する。


「……アレク様に仕える騎士、ストイルと申します。以後、お見知りおきを」

「えっ……え!?は、はい!ありがとうございます!」


 急にストイルが現れて、クリスタは驚きつつも頭を下げてくれた。


「ストイル、さっきは助かったよ。脅しに使っちゃってごめんね」

「戦わずに済むのならそれに越したことはございません。あるじはお気になさらず」

「よく言うわ。あわよくば、あのまま抜く気だったであろうが」

「当然です。主に危害を加えようとするのであれば迷わず斬ります」

「殺す気マンマンではないか」

「でなければ脅しになりませんので」

「二人とも、物騒な話は向こうでやりなさい」


 女性に聞かせる話じゃないでしょうが。


「えっと……」


 ほらー、クリスタがちょっと引いてるじゃん。


「と、とにかく!お三方には感謝してもしきれません。ありがとうございます!」


 再びクリスタは頭を下げてくれる。

 確かに助けたのは僕らだけど、こうも畏まられるとさすがに申し訳なくなってくる。


「顔を上げてください。ベント男爵と言えば、香辛料の国内栽培研究に多大な投資をして成功させ、その市場を一手に担う大商家。そんな方のご令嬢に頭を下げられては、僕が怒られてしまいます」


 頭を上げてくれたクリスタだが、その顔には困惑の色が浮かんでいた。


「ご存知でしたか……それこそお気になさらないでください。つい最近男爵位を賜ったばかりで、ほとんど平民と変わりません。貴族の扱いを受けることにいまだに慣れなくて。それに――」


 そう言ってクリスタは、抱えている卵を優しく撫でた。


「アレクさんが通りがからなければ、この子が奪われていたかもしれません。そんなことになったら私は――」


 それを撫でる彼女の顔は、本当に心配しているように見えた。

 事情は分からないが、よほど大切な卵なんだろう。

 場合によっては自分に危害が加えられていたかもしれないのに。

 優しい人だ。

 そんな人をこれ以上、怖い目に合わせるわけにはいかない。


「またあいつらが来ないとも限りません。宜しければ、お家までお送りしますが……」

「あっ……ま、待ってください!」


 早々に家に帰した方がいいと思ったが、止められてしまった。


「あの……お、お礼!助けていただいたお礼をさせてもらえませんか……?」

「お礼、ですか?」

「我が家では、受けた御恩はすぐに返すよう言われています。アレクさんにまた会えるのかも分かりませんし……いかが、でしょうか?」


 なんだその家訓は?と思ったが、商人は信用こそが重要だと聞く。

 恩を返せないようなことがあれば、その信用に響く。

 そうならないようにするためのものだろう。


 しかし残念だが、あの男たちのことも気になるし、僕たちも早く帰らなければいけない。


「お気持ちは嬉しいのですが─」

「良い心がけだな、娘!その礼、受け取ってやろう!」

「…………」


 このスライムは、余計なことを……。


「良いではないかアレク。礼をくれると言うならもらっておけば」

「そうかもだけど――」

「先ほどの男たちなら、ストイルがいれば後れを取ることなどない。そうであろう?」

「当然です。しかし……」


 ストイルも、僕と同じことを気にしているんだろう。

 歯切れが悪い。


「女からの誘いを、お主らは断ると?それはむしろ、娘に恥をかかせることになるぞ?礼がしたいというのだから、その気持ちは汲んでやるべきだと思うがな」


 バーンはたまに人間臭い。他者への気遣いなんて、魔獣や召喚獣から縁遠い言葉の一つのはずなんだけど。


「そして、何より……」


 体をプルプルと震わせながら、バーンが叫ぶ。


「これ以上は我慢の限界なのだ!早く!メシを!食わせろ!!」


 ……そういえば、ご飯を食べたいから早く済ませろって言われてたな。

 忘れてた。


 ここで無理に立ち去るとバーンは余計に拗ねる。二日ぐらい。


 面倒だ。

 すごく、面倒だ。

 ストイルと顔を合わせて、溜息をつく。


「あ、あの……?」

「……では、何か軽く食べられるところに案内してもらえますか?この街の土地勘が無いもので」


 そう言うと、クリスタは――


「は、はい!私のオススメで良ければ、是非!」


 そう言って、案内を引き受けてくれた。

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