ご
二日目。
今日は遊園地に行く約束をしている。
僕にとって、早起きは苦ではない。
それでも、始発の時間は普段の生活よりも早起きで、少しだけ眠たい。
冷水で無理やり目を覚まし、待ち合わせの駅へ向かった。
「ごめん、遅くなっちゃった!」
始発の五分前に萩野は到着した。
僕が早く来すぎただけで、彼女に非はない。
さりとて、前回は約束の十分以上前には待ち合わせ場所にいた萩野が時間ギリギリになるとは思わず、少し焦ってしまった。
萩野でも五時半の待ち合わせとなれば起きるのに苦労したのだろうか。
そんな思考を巡らせ、萩野の姿を見てすぐに取り消した。
彼女が遅くなったのは、きっとお洒落をしていたせいだと思い至ったからだ。
長い栗色の髪を綺麗に結って、服装も大人っぽい。
女性の服装に疎い僕には上手い表現が思いつかないけれど、有り体に言えば似合っていたし、綺麗だと思った。
こんな時、見た目について褒めるべきなんだろうか。
「大丈夫だよ。切符も二人分買っておいたから」
「え。じゃあお金……」
そそくさと鞄を胸元に寄せる萩野を制止する。
「いいよ。タイムリープしてしまえばお金のことなんてなかったことになるんだから」
「……渡利くんって、結構悪い子なんだ」
「萩野には言われたくないね」
この考え方は萩野に教わったことだ。
そんなことは日記にも残していなかったようで、萩野は首を傾げる。
「なんでもないよ。ほら、急ごう」
「うん!」
「あ」
僕は駅の入口に向けた体をもう一度萩野に向け直す。
「今日の格好、すごく似合ってる。綺麗だよ」
「えっ! あ、ありがとう……」
萩野は消え入るような声でそう言って、顔を伏せてしまった。
思いつく限り精一杯、思ったように褒めてみたけれど、どうやら人を褒めたことなんてない僕にはまだ早かったらしい。
※※
始発の電車は思ったより人が少なかった。
もっと窮屈になるほど人で溢れているかと思っていたので、少し安心する。
しかしそれも最初の方だけ。
数駅過ぎた頃にはサラリーマンだけでなく、学生やOLで溢れかえっていた。
僕らはすし詰め状態で、肩をくっつけて座っていた。
右の肩がほんのり温かい。
萩野の熱が伝わってきて、少し緊張してしまう。
「人がいっぱいだね」
「平日だからね」
「私たち、悪いことしてるみたい」
「みたいじゃないよ。でも、いいんじゃないかな」
学校をサボって遊びに出かける。とてもじゃないけど褒められたことじゃない。
少しの背徳感と特別感。
それがなんだか心地よかった。
電車に揺られる心地よさか、それとも単に早起きしたせいか、僕はいつの間にか眠っていた。
目が覚めると、人が居なくなっていた。
皆それぞれ会社や学校へ行ってしまったのだろう。
残ったのは僕らとお年寄り、それに親子だけ。
がらんとした電車の中で肩を寄せあっているからか、視線を集めてしまう。
微笑ましいと言わんばかりの温かい眼差し。
きっと、萩野が僕に体重を預けているせいだ。
右肩に頭を乗せて心地よさそうに目を瞑っているせいだ。
すうすうと小さく寝息を立てて、ぐっすりと眠っているせいだ。
ほのかに香るシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐる。
多分萩野は、お洒落のために僕よりもずっと早起きしたのだろう。
目的地まではまだ時間がある。
もう少しだけ、このままにしておこう。
かれこれ二時間ほどかけて目的地に到着した。
ずっと座っていたせいでおしりが痛い。
「渡利くんほんとにごめんね」
萩野は先程からずっとこの調子だ。
僕に寄りかかって熟睡していたことを申し訳ないと思っているらしく、こうして何度も謝っている。
「気にしなくていいって。それより、楽しい思い出をつくるんだから、笑わないと」
僕は萩野を安心させるために笑って見せた。
「渡利くんって、作り笑顔下手なんだね」
「やっぱり?」
「うん。顔が強ばってる」
萩野は笑顔を取り戻した。
僕の小さな恥じらいも、このためだと思えば悪くない気がする。
僕も萩野につられて笑う。
「あ、今度はちゃんと笑った」
「からかうのはやめてほしいなぁ」
肩を竦めた僕の手を引いて、萩野は軽快に駆け出した。
※※
県内では一番大きな遊園地。
平日でもそれなりに人は居た。
ただ、客は基本家族連れが多く、高校生は僕たちだけのようだ。
サボっているのだから当然だけど。
背徳感を抱えながら二人分のチケットを買って入場する。
高校生ということを隠すために大人料金を支払った。普段なら痛い出費だけれど、タイムリープすると思えば気にならない。
何より、萩野が楽しみだと言わんばかりにそわそわしているものだから、お金なんて些細なことだった。
「何から乗ろうかなぁ」
入園してから──と言うかする前から、萩野はずっとキョロキョロとアトラクションに目を配っている。
「時間はたくさんあるんだから、全部乗ればいいんじゃないかな」
「甘いよ渡利くん! アトラクションが多すぎて、一日じゃ全部回れないんだよ!」
「そうなの? じゃあ、萩野が乗りたいものに乗ろう。萩野はどんなものが好きなの?」
「私は絶叫系かなぁ。渡利くんは乗れる?」
「そういうの乗ったことないけど、僕は苦手なものはないから大丈夫だよ」
「じゃあ、あれがいい!」
萩野が最初に選んだのは、ロープに座席が繋がっていて、回転しながら上昇するアトラクションだった。
早速短い列に並び、指定された席に座る。
人が少ないおかげで待ち時間も短い。
これならテンポよくアトラクションを回れそうだ。
そんな楽観的な考えは、上昇が始まった頃には消えてしまっていた。
不安定な座席。宙ぶらりんの足。回転する視界。
絶叫アトラクションを甘く見ていた。
僕はあっという間に恐怖に飲み込まれてしまって、人に聞かせられないような叫び声を上げていた。
「渡利くん大丈夫?」
「なんとか……」
ベンチに座り、萩野に背中を擦られる。
苦手なものはないなんて言っておきながら、まさか絶叫アトラクションに乗れないなんて。
本当に恥ずかしい。
僕の気持ちとは裏腹に、萩野は声を上げて笑う。
「そんなに笑われると余計に恥ずかしいんだけど」
「ご、ごめん。渡利くんがあんなに叫ぶとは思わなくて」
「僕もあんな声が出るなんて思ってなかったよ」
頭を抱えていると、萩野は僕の手をきゅっと握った。
「渡利くんにも苦手なものがあるんだなーって思うと、なんだか嬉しいね」
「その理由も釈然としないよ」
僕に苦手なものがあると萩野は嬉しいのか。
やはり萩野は意地が悪い。
「これで苦手なものも更新だね」
「不本意ながら」
萩野は日記にいそいそと書き込む。
僕の苦手なものに絶叫アトラクションとでも書いているのだろう。
萩野に日記は見ないでほしいと言われてから、僕は萩野が日記に追記する際には目を逸らすようにしている。
萩野が何を隠したいのかは知らないけれど、隠したいものを覗き見する趣味もない。
「次はもっと緩やかなアトラクションにしよっか」
「僕に気を遣わなくていいよ。萩野は絶叫アトラクションが好きなんでしょ? 出口で待ってるから、一人で乗っておいでよ」
「一人じゃ楽しくないもん。渡利くんが一緒じゃなきゃ」
「そういうものなのか」
「そういうものなのだよ」
遊園地なんて幼い頃に家族と来て以来、一度も足を運んだことの無い僕にはわからない。
けれど、萩野がそう言うのならそうなのだろう。
「わかった。じゃあ、萩野が乗りたいものに付き合うよ」
「絶叫系でもいいの?」
「うん。インターバルを挟めば乗れるはず」
萩野はパタンと日記を閉じ、「覚悟してね」と不敵な笑みを浮かべた。
そこからはひたすら、絶叫アトラクションツアーが行われた。
一つ乗る度に僕の三半規管はダメージを負い、その度に休憩を挟む。
意地悪な萩野は僕の様子を見て心配しながらも楽しそうに笑っていた。
十二時を回った頃、僕らは昼食を摂ることにした。
園内のちょっと洒落たレストランに入る。
やはりここも家族連れが多く、中にはカップルの姿もちらほら見られる。
僕らもそう見えているのだろうかと思うと、少しもどかしい。
そんなことは気にも留めていない様子の萩野は、メニューとにらめっこしている。
「渡利くんは決まった?」
「そうだね。ハンバーグにしようかな」
「ハンバーグ、気に入ったの?」
「どうだろう。そうなのかもしれない」
萩野は何故か満足そうに微笑むと、定員を呼んでハンバーグ定食を二つ頼んだ。
ハンバーグ定食は美味しかった。
けれど、なんだか物足りない気がした。
「美味しくない?」
表情に出ていたのか、萩野は心配そうに首を傾げる。
「ううん。美味しいよ。でも、萩野が教えてくれた店のハンバーグの方が好きかな」
「そ、そうなんだ。今の私は食べたことないから、味の違いがわかんないや」
「明日、食べに行く?」
「二日連続でハンバーグになっちゃうよ?」
「萩野にも食べてほしいんだ。僕の好きなもの。もちろん、萩野が嫌じゃなければ」
「い、嫌じゃない! じゃあ、明日もハンバーグね!」
「うん」
勧めてくれた相手に同じものを勧め返すのは、少し不思議な感じがした。
二度も同じ未練を晴らすことになるけれど、萩野が嬉しそうならそれも悪くないと思う。
食事を終えた僕らは、萩野の提案でお化け屋敷に入ることにした。
「絶叫アトラクションはもういいの?」
「食べたばかりだもん。渡利くん具合悪くなっちゃうよ?」
「それは……そうかもしれない」
「それに、絶叫アトラクションに乗り続けるよりも、一旦他のアトラクションで休憩を挟んだ方が怖さも倍増するんだよ!」
「ここは別の意味で怖いけどね」
萩野が気を遣っているようで申し訳ない気がしたけれど、このまま絶叫アトラクションに乗るとかえって萩野に迷惑をかけてしまいそうなので、ここは萩野に甘えることにした。
受付を済ませ、僕らは二人並んで暗い廊下を進む。
廃病院をモチーフにした内装は、よく作り込まれていて、本物の病院そっくりの造りだった。
「渡利くんは怖いの苦手?」
「どうだろう。あまり怖いと思ったことはなかったけど、絶叫アトラクションのこともあるし、なんとも言えない」
「相当響いてるね」
僕が苦手なものの話をすると、萩野はくすくすと笑う。
本当に意地が悪い。
「萩野は怖いの苦手なの?」
「私は苦手。ホラーとかびっくりするものは怖いんだ」
「じゃあどうしてここを選んだの?」
「えーっと……。あ、あれだよ、怖いもの見たさってやつ! ホラー番組とか怖いってわかっててもついつい見ちゃうんだ」
「なるほど。それはわか」
萩野と話していると、ガシャンと大きな音を立てて、突然目の前に何かが落ちてきた。
萩野は、きゃっと短い悲鳴を上げる。
落ちてきたものはバインダーだった。どうやらカルテのようだ。
「僕らのカルテだね。受付で話した内容が書いてある」
「い、入口で渡してくれればいいのに」
「萩野みたいに驚いてくれる人がいるからだよ。ほら、進もう」
萩野は今の一件で萎縮してしまったようで、僕の少し後ろをとぼとぼと歩く。
「萩野、大丈夫?」
「う、うん」
大人しなってしまった萩野が心配で後ろを振り返ると、いつの間にかその背後にもう一人立っていた。
「萩野、後ろ」
「えっ」
包帯でぐるぐる巻きにされたその人は、萩野が振り返る直前にそっと肩に触れた。
甲高い悲鳴。
包帯の人もどこか嬉しそうに見える。
これだけ驚いてくれたら、驚かす側としても冥利に尽きるだろう。
包帯の人が満足そうに病室に入ってしまい、再び静寂が訪れる。
「……病室の場所を聞きたかったのかもね」
「驚かさないで普通に聞いてよぉ……」
先程まではずっと笑顔だった萩野が震えている姿は、なんだか可笑しかった。
「まさかお化け屋敷が苦手なんてね」
「うう……渡利くんの意地悪」
「萩野には言われたくないなぁ」
恨めしそうにこちらを見る萩野に笑顔を返す。
先程までの仕返しだ。
ただ、萩野が本当に怖いと言うなら、あまり長居すべきでない気がする。
「怖いなら戻ろうか?」
「ううん。大丈夫」
萩野は肩を震わせながらもぶんぶんと首を振る。
大丈夫なようには到底見えない。
どう声をかけるべきか悩んでいると、萩野がそっと手を差し伸べる。
「て」
「て?」
「手、繋いでほしい」
薄暗い中でもわかるほど、萩野の頬が赤らむ。
心臓がどきりと跳ねる。なんだか胸がきゅっと締め付けられるような気がして、少し苦しい。
朱に染まったその顔が、震えるその手が、僕の心を苦しめる。
その手を取ってしまえば、少しは気が楽になるのだろうか。
僕は恐る恐る萩野の手を握った。
萩野は一瞬ぴくりと体を震わせ、微笑んだ。
胸が苦しい。
不安とも恐怖とも違う。
言い知れぬ感覚に襲われ、なんとももどかしい。
「ほら、行こう」
萩野には悟られたくなくて、僕は少し強引に彼女の手を引く。
左手が温かい。
彼女の温もりをもってしても、この感覚は振り払えない。
「渡利くんの手、冷たいね。冷え性?」
「そうなのかな。萩野の手が温かいだけだよ」
「私が温めてあげる」
「萩野の手が冷えちゃうよ」
「いいんだよ。それに、手が冷たい人は心が温かいって言うでしょ?」
「逆じゃない?」
萩野と話しているうちに少し落ち着いた。
萩野の声は僕の心を落ち着かせてくれる。
萩野の優しさは僕の不安を振り払ってくれる。
やっぱり、手が温かい人は心も温かいのだ。
「急に何も出てこなくなったね」
「これからだよ。きっと」
そう言った矢先、病室からバンバンと扉を叩く音が響いた。
声にならないしゃくり声と共に萩野の手に力がこもる。
怖がる萩野に追い討ちをかけるように、廊下を挟んだ反対側から顔が爛れた看護師が現れた。
萩野の悲鳴が廊下に響く。
その恐怖のせいか、萩野は咄嗟に僕の腕にしがみついた。
「萩野、大丈夫?」
「だ、大丈夫……じゃないかも」
本当に怖いものが苦手なんだ。
萩野はどうしてここを選んだのだろう。
「このままくっついててもいい?」
萩野が腕にしがみついたままだと少し歩きにくい。
けれど、怖がる萩野のお願いなら仕方ない。
「わかった。じゃあ、このまま進もうか」
萩野の体温が腕を伝って、僕まで温かくなる。
少しむず痒いけれど、嫌な気はしない。
その後も萩野はびっくりする度に僕の腕を締め付けた。
くっついていても恐怖心は拭えなかったのか、萩野の涙で袖が湿っていった。
それでも、何故か嫌な気はしなかった。
なんとかお化け屋敷を抜け、外の暖かい空気に触れる。
時間をかけてゆっくりと歩いていたせいか、久しぶりに外に出た気分になる。
顔を照らす日差しに目を細めると、背後から篭った叫び声が響いてきた。
きっと萩野のように恐怖に身を震わせている人たちが居るのだろう。
僕にはその気持ちがわからないけれど、怖いもの見たさというのは本当にあるのかもしれない。
萩野は僕の腕からは離れたものの、その手は固く繋いだままだった。
これじゃあ本当に恋人みたいだ。
なぜだか、胸がズキズキする。
「怖かった」
萩野は魂を抜かれてしまったように抑揚のない声でそんな感想を述べた。
お化け屋敷に入る前よりやつれて見える。
余程怖かったのだろう。
「萩野はどうしてお化け屋敷を選んだの?」
ずっと抱いていた疑問をぶつけてみた。
萩野は答えにくそうに身動ぎする。
「それはその……苦手なものを克服出来たらなーって」
「なるほど」
それも萩野の未練の一つだったのかもしれない。
そうなると、萩野は未練を一つ残してしまったことになる。
「未練を晴らせなくてごめんね」
「えっ。ううん。未練は晴れたよ」
「そうなの?」
「うん。ちょっとだけ未練はあるけど、私はこれでも満足だよ」
萩野は僕の手をぎゅっと握る。
やっぱり、少し引っ掛かりがあるのかもしれない。
苦手を克服するというのは、一朝一夕でできるものではない。
そのことを理解した上で、萩野は妥協したように思う。
妥協は未練だ。
もっとできることがある。もっとしたいことがある。
そんな気持ちを押し殺して諦めることと同義なのだから。
でも、萩野がそれでいいと言うのなら、僕も受け入れるしかない。
「少し、休憩しよう」
少しでも気を紛らわそうと、僕はそう提案した。
※※
僕らはベンチに座り、通り過ぎる人々を眺めていた。
静かになってしまった萩野と、どうしていいのかわからない僕。
「ごめんね」
静かな空気の中、萩野はぽつりと呟く。
「どうして謝るの?」
「楽しい思い出を作るって言ったのに、渡利くんに迷惑かけちゃった」
なんだ、そんなことか。
「僕は迷惑だなんて思ってないよ。僕の方が迷惑かけて申し訳ないよ」
「ぜ、全然! 私は楽しいよ!」
「そう?」
楽しいと言う割に、萩野の表情を見る限り本当に楽しんでいるようには見えない。
このままでは、また萩野に未練が残ってしまう気がする。
それは嫌だ。
僕は萩野の手を引くように立ち上がった。
「気を取り直して次のアトラクションに乗ろう。絶叫系がいい?」
「いいの?」
「いいよ。萩野が果たせなかった苦手克服を僕が代わりに成し遂げる」
「ふふっ。頼もしいね」
やっと笑ってくれた。
萩野が笑っていると、僕もなんだか安心する。
「じゃあ、あの空中ブランコがいい!」
「わかった。あれなら足場も安定してるし、僕も頑張れそうだ」
萩野も立ち上がって、握ったままだった手を引く。
お化け屋敷から出たというのに、ずっと握ったままの手を。
どうして僕なんかと手を繋いでいるのかはわからないけれど、萩野がそう望むなら、と僕もぎゅっと手に力を込める。
萩野は一瞬目を丸くして、その目をふにゃりと曲げた。
やっぱり僕は絶叫アトラクションが苦手だった。
けれど、最初に比べると少しはマシになった気がする。
少しずつ、周囲の景色に目を向ける余裕が出来てきた。
隣では萩野が叫び声を上げている。
お化け屋敷の時と違うのは、その顔に不安や恐怖は一切見られないということ。
萩野は本当に絶叫アトラクションが好きなんだ。
僕も好きになれるだろうか。
萩野と一緒に楽しんで、彼女を喜ばせることが出来るだろうか。
僕の視線に気付いたのか、萩野はにこりと微笑んで、僕の手をそっと握った。
一回り小さいその手に指を絡めると、萩野は満足気に顔を弛めた。
※※
「もうこんな時間なんだ」
いつの間にか辺りは暗くなり、閉園時間が迫っていた。
「全部は回れなかったね」
「ごめんね。僕がアトラクションに乗る度に休んだせいだ」
「ううん。また来ればいいだけだもん!」
また、という言葉が心に刺さる。
今の萩野にその"また"は来ない。
萩野もそんなことはわかっているはずだ。
それなのに、萩野は嬉しそうに笑うんだ。
「最後に何か乗る?」
「最後はね、もう決めてるんだ」
萩野が選んだのは、観覧車だった。
国内有数の大きな観覧車は、真下に来るとその大きさが際立つ。
僕らはスタッフの爽やかな笑顔に見送られ、観覧車に乗り込んだ。
ゆっくりと時間をかけて上昇していく。
少しずつ人が小さくなっていく。
肩を寄せ合って座る僕らは、だんだんと広がっていく夜景を眺めていた。
「さっきの受付の人、私たちのことカップルだと思ったかな」
静かな空間に響く小さな声。
萩野もそんなことを考えるんだ。
「そうかもね。そんな大層な関係じゃないのに」
「私たちってどんな関係なんだろうね」
そういえば、考えたことがなかった。
恋人ではない。けれど、友達と呼ぶには単純すぎる気がする。
僕は思い至った言葉を口にしてみた。
「協力者かな」
「協力者?」
「萩野の未練を晴らす協力者」
「それなら、共犯者の方が似合うかも」
「共犯者?」
「無限のお金と無限の時間を使って、自由気ままに過ごす共犯者」
「なるほど。確かに僕らは共犯者だ」
なんだかしっくりきた。
タイムリープという人ならざる力を使って、したいことをしたいように、したいだけする。
それは決して良い事だとは言えない。
だから、僕らは秘密を共有する共犯者。
ただ一つ違うのは、この時間は有限だということ。
いつまでもしたいことだけをし続けることはできないということ。
必ず、終わりが訪れてしまうということ。
「次はどんな未練を晴らそうか」
「明日はハンバーグね」
「そうだね。他にはしたいことはある?」
萩野はうーん、と暫く唸って、僕の顔を覗き見た。
「渡利くんが嫌じゃないなら、渡利くんが昔住んでた場所に行ってみたい」
「いいけど、特に何もないよ」
「いいんだよ。渡利くんが生まれた場所を見てみたいんだ」
「それも未練?」
「そうだよ」
僕の生まれた地元に行くことが本当に未練なのだろうか。
そんな疑問を抱いても、萩野がそう言うのなら断ることは出来そうにない。
「あ、見て! すごく綺麗!」
頂上にたどり着いた観覧車からは、園内が一望出来た。
下にはイルミネーションの光が、上には明るい星々がきらきらと輝いている。
とても幻想的だった。
「本当だ。高い場所からだと、違った景色が見られて良いね」
「渡利くんはこういうの好き?」
「そうだね。好きなのかも」
「ふふ。渡利くんの好きなもの、またひとつ増えたね」
イルミネーションのライトアップのせいか、萩野の笑顔は一段と輝いて見えた。
この手を離せば消えてしまいそうな寂しさを内包した輝き。
ああ、まただ。
どうしてだろう。
萩野が嬉しそうなら、僕も嬉しいはずなのに。
どうしてこんなに苦しいのだろう。
「私、すごく楽しかった。今まで生きてきて、最高の思い出だった」
「うん。僕もだよ。一番楽しかった思い出、出来たみたいだ」
「そっか、よかった」
今までで一番楽しかった思い出。
それと同時に、今までで一番苦しかった思い出。
そんな一日は、遊園地の消灯と共に幕を閉じた。
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