よん
六月十五日。十三回目の一日目。
僕は学校から離れた場所で、萩野を待ち伏せした。
萩野が覚えていることが一番だ。
けれど、もしも忘れしまっていた時、学校で突然話しかけるのは、周囲の目を引いてしまう。
だからと言って家まで押しかけて、萩野に不信感を抱かせるのも良くない。
僕が萩野の家を知っているのは、ループの中で一度追跡したことがあるからだ。
そんなことを説明するのも少しばかり大変そうだと思った。
ホームルームの三十分前に萩野が現れた。
真面目な萩野は早めに登校し、予習でもしているのだろう。
僕も早めに出てきてよかった。
「え、渡利くん?」
「おはよう。萩野」
僕に気付いた萩野は、どうしてこんなところに居るのかと言いたげな目を向けた。
それだけで、萩野が何も覚えていないのだと理解してしまう。
やはりそう簡単に記憶を保持できるわけが無い。
わかっていたことだけれど、なんだか胸がちくりと痛む。
「どうしてこんなところに?」
「萩野に渡したい物があって」
僕は日記を萩野に手渡す。
「えっと、これは?」
「読んでもらえればわかるよ。じゃあ、また学校で」
萩野の顔を見ていると息苦しくて、僕は逃げるようにその場を去った。
※※
結局学校に来てしまった。
学校なんて行かなくていいと萩野は言っていた。
けれど、萩野が日記を読んでくれるかさえわからない。
読んだとしても、信じてくれるかもわからない。
もしかしたら、萩野が日記を読まないまま、十八日を迎えるかもしれない。
もしそうなった時、学校をサボっていると出席日数に響いてしまう可能性がある。
それは避けたかった。
ただ、それだけ。
まただ。
胸が少し苦しい。
なんだろう、この感じ。
萩野があの三日間を覚えていなかったことが寂しいのだろうか。
萩野との関係が終わってしまうことが悲しいのだろうか。
萩野との契約が果たせないことが悔しいのかもしれない。
いや、そうじゃない。
いつもと違う三日間を過ごして、楽しかったんだ。
またいつもの生活に戻ってしまうことが、少しだけ寂しい。
なんとなくやる気が出なくて、僕は授業を眠って過ごした。
気がつけば昼休み。
萩野はいつもと変わらない様子で授業を受けていた。
休み時間も普通に友達と話していた。
何も変わらない日常だった。
やはり不審がられただろうか。
このまま萩野との関係は呆気なく終わるのだろうか。
「渡利くん」
突如放たれたその一言から教室が喧騒に包まれる。
当然だろう。
萩野が僕に表立って話しかけることなんて、物珍しいことこの上ない。
萩野のような人目を引く美少女という存在が、僕のような暗く無口な一般生徒に話しかけるなんて前代未聞。
そんなざわめきが教室に広がる。
「話があるの」
「わかった。場所、移してもいい?」
「うん」
これから話す内容は、あまり人には聞かれたくない。
何より、萩野との会話は目立ってしまってしょうがないんだ。
「ごめんなさい」
校舎裏での第一声。
傍から見ると、僕が告白してフラれたようにも見えるのだろうか。
そんなくだらないことを考える。
萩野は頭を下げたまま声を絞り出す。
「私、全部忘れちゃってた。渡利くんとの思い出、何も覚えてなかったの。本当にごめんなさい」
「仕方ないよ。日記を読んでくれただけでもありがたい」
「渡利くんに渡された物だもん。蔑ろになんてしないよ」
萩野の笑顔に、胸がちくりと痛む。
なんだか少し、苦しい。
そんな嫌悪感から逃れるように、僕は萩野に質問を投げかけた。
「どうだった? 萩野からの日記」
「すごくびっくりした。渡利くんと一緒にお出かけしてたなんて」
「え、そこ?」
「えっ」
僕らは互いに目を丸くしてお互いの顔を見る。
「ほら、僕がタイムリープしてることとか」
「あ、うん! そうだね、そこもびっくり!」
そう言って手をパチンと合わせる萩野がなんだか可笑しかった。
「萩野ってちょっと変わってるね」
「そ、そんなことないよ?」
「変わってるよ。日記のことなんて当然のように信じちゃってるし」
「それはその……。私の気持ちが日記から伝わってきて」
萩野の気持ちが伝わってくるような日記。一体何が書いていたのだろう。
少し気になったが、萩野との約束なので中身については考えないことにする。
「萩野は楽しそうだった?」
「うん! 今までで最高の三日間だったみたい!」
萩野の笑顔につられて笑う。
なんだか少しほっとした。
あれ。どうして僕は安堵したんだろう?
萩野が日記の内容を信じてくれたことが嬉しかったのだろうか。
「明日は遊園地だね。始発前に駅で待ち合わせでいい?」
「うん。いいよ」
まあいいや。
僕の気持ちなんてどうだっていい。
僕は萩野との契約を果たすだけだから。
「今日は何しようかな」
「放課後だとあまり時間が無いから、簡単に晴らせる未練で頼むよ」
「うーん」
萩野は日記で口元を隠して唸る。
「午後の授業、サボらない?」
「いいけど、学校の人たちと話さなくていいの?」
「うん。それよりもわたり……私の未練を晴らしたい」
萩野は何かを言おうとして誤魔化したように見えた。
けれど、詮索はしない。
萩野が話したくないことなら、聞かない方がいいと思う。
「わかった。財布を置いて来たから、それだけ取ってくるよ」
「うん! ここで待ってるね」
僕は萩野を置いて教室に戻ろうとして、その足を止めた。
前回の記憶が蘇った。
萩野を一人にしたせいで、彼女に嫌な想いをさせてしまった。
学校に危険なことはないだろうけど、なんだか一人にしておきたくなかった。
「やっぱり一緒に行こう」
「えっ。う、うん」
「嫌なら無理強いはしないよ」
僕と二人で居るところを見られるのは、萩野としても避けたいんじゃないかと思う。
しかし萩野は、どこか嬉しそうに着いてきてくれた。
教室に戻ると、多くの視線を浴びた。
萩野は教室の入口で日記を抱きしめて待っている。
そんな萩野と僕を交互に見遣るクラスメイトたち。
こうなることは予期していた。
萩野が僕と一緒に教室を出て行ったかと思えば、今度は一緒に戻って来て、萩野が僕を待っている。
天変地異のような異常事態に平然としている人は居ない。
連れてくるべきじゃなかっただろうか。
余計な詮索をされる前に急いで財布を取って出て行こう。
そんな思いとは裏腹に、早速クラスメイトの一人が口を開いた。
「萩野ってさー、渡利のこと好きなのかー?」
喧騒の中に一際響く男子の声。
財布を手にして萩野を見ると、顔を真っ赤にして僕を見ていた。
「えっと、その……」
酷なことを言うものだ。
萩野にその気は無いと知っているくせに、僕と萩野はそんな関係ではないと本人に公言させようとしているのだから。
気がある女の子に意地悪をしてしまう小学生みたいだ。
なんだか、無性に苛立つ。
僕はクラスメイトの視線を集めながら、その男子の前に立った。
僕より少し低いその目をじっと見る。
声を高らかに上げた割に萎縮しているようだ。
「そんなわけないだろ。少し話があるだけ。君が萩野のことを好きだからって、萩野を傷付けるのは逆効果だよ」
僕はそれだけ告げると、踵を返して萩野の手を引いて教室を出た。
くすくすと笑う生徒たちの声と、横目に見たあの男子の表情が少し可笑しくて、少しだけすっきりした。
僕は案外、性格が悪いのかもしれない。
昼休みは校門付近にも人がいる。
そのため、僕らは授業が始まるまで体育館の裏で身を隠すことにした。
「渡利くん、ごめんね」
先程の件が尾を引いているのか、萩野の表情は晴れない。
「ううん。僕がムカついただけだから。それより、今後は教室では話さないように、集合場所とか決めた方がいいかもね」
「そう……だね」
僕のことなんて気にしなくていいのに、萩野は困ったように眉根を寄せる。
やはり萩野は優しい。
フォローはしたつもりだけど、何か思い悩んでいるようなので、僕は話題を変えることにした。
「今日はこの後何をするの?」
「渡利くんの部屋に行きたい」
「僕の部屋なんて何も無いよ」
「知ってるよ。でも、いいの。渡利くんとお話したいんだ」
萩野はあっけらかんと答えた。
僕の部屋のことも日記にありありと書いていることを想像すると少し恥ずかしかった。
それでも僕の部屋を選ぶということは、何か大切な話なのかもしれない。
萩野がそうしたいなら、僕はそれに付き合うだけだ。
「わかった。じゃあそろそろ行こうか」
タイミングよく午後の授業も始まったので、僕らは移動することにした。
※※
「本当に殺風景な部屋だね」
「だから言ったのに。娯楽なんて何も無いよ」
前回と同じ感想を抱く萩野。
まさかまた僕の部屋に来ると言い出すとは思っていなかったため、内装は前回と全く同じだ。
次からは娯楽の類も買っておくべきだろうか。
萩野用のグラスくらいは用意しておいた方がいいかもしれない。
「お茶でいい? ぬるいけど」
「あ、うん。ありがとう」
一つしかないグラスに麦茶を注ぎ、小さなテーブルに置く。
「渡利くんは?」
「僕は飲まないからいいよ」
流石に全てのことを日記に残しているはずもなく、似たような会話が繰り返される。
タイムリープの度にこんな会話を繰り返すのは、少しつまらない。
倦怠感を避けるため、僕はすぐに話を切り替えた。
「それで、何か話したいことがあるの?」
萩野は日記で口元を隠した。
そのせいで表情はよくわからない。
「話したいことって言うほどじゃないんだけど、渡利くんとゆっくりお喋りする時間が欲しいなって思って」
「僕と?」
「うん。もっと渡利くんのことを知りたい」
難しい未練だ。
僕の情報なんて前回ほとんど話してしまった。
これ以上何を話すべきなのだろう。
そもそもこれは、未練と関係があるのだろうか。
「僕のことを知るのは、萩野の未練なの?」
「そうだよ」
「どうして? 僕なんか何も面白味がないよ」
「そんなことないよ。渡利くんがどんな人なのか、どんなものが好きなのか、どんなものが苦手なのか、どんなふうに泣いて、どんなふうに怒って、どんなふうに笑う人なのか。もっともっと、たくさん知りたい」
「なんだか恥ずかしいね」
そんなに根掘り葉掘り聞き出されると、体が縮んでしまう。
でも、萩野が知りたいなら僕も答えよう。
「僕は特に取り柄もない、平凡以下の高校生だよ。好きなものはない……ううん、なかったけれど、萩野が教えてくれたハンバーグは好きかな。苦手なものは思いつかないね。笑ったり泣いたりは……難しいな。さっき怒りはしたけどね」
そう答え切ると、萩野は何故か顔を伏せていた。
どうしたの? と声をかけると、萩野はなんでもないと首を振り、はにかんで見せた。
嫌な気分にさせたわけではないみたいだ。
「渡利くんの笑顔、見てみたいな」
「たまに笑うよ?」
「もっとたくさん見たいの。それに、今の私は見てないもん」
「あ、そうか」
今の萩野に前回の記憶はない。
だから、無愛想な僕しか見たことがないんだ。
また、胸の辺りがちくちくする。
なんだろう。このもどかしい感覚は。
なんだか嫌だ。
「明日はたくさん笑える一日にしよう」
「うん! 渡利くんにとって一番楽しかった思い出にしてみせる!」
「楽しかった思い出?」
そう反芻すると、萩野は机に置いた日記をそっと撫でた。
「ここに書いてたんだ。渡利くんは趣味も楽しかった思い出もないって答えたんだよね?」
「そう言えば……」
前回の萩野からの問いかけに、確かにそう答えた。
「だから、渡利くんに楽しい思い出をたくさん残そうと思って」
「僕のことはいいよ。萩野の未練を晴らさなきゃ」
「渡利くんが楽しい人生を送ってくれないと、私は未練たらたらで死んじゃうことになるかもなぁ」
萩野はいたずらっぽく笑う。
そう言われてしまうと、僕は断ることが出来ない。
それを知っていて、萩野はそんなことを言うんだ。
「意地が悪いね」
「どうせ死んじゃうなら、最後までわがままになりたいなぁって」
「わかった。仕方がないから楽しい思い出を作ることにするよ」
「それだけじゃないよ。趣味も見つけてほしいな」
「難しいね。楽しいと思えることもそう多くないのに」
「他にもたくさんあるよ」
「えー。因みにどんなこと?」
「渡利くんには幸せになってもらいます」
「曖昧な表現だ」
「好きな人が居て、その好きな人と付き合って、結婚するの。子供ができて、家族のために働いて、たくさんの孫に看取られながら安らかに亡くなる。そんな幸せ」
「随分具体的だ」
思わず眉が寄ってしまう。
僕が歩みたい人生とは真逆だったから。
それはきっと、萩野が歩みたかった人生なのかもしれない。
だとすると、僕は萩野が望んでいた幸せを奪ってしまったことになる。
そうだ。
考えないようにしていたけれど、僕が悪魔と契約したせいで、萩野は死ぬんだ。
僕のせいで、理不尽に命を奪われる。
僕にとって、萩野が大切なものだと判断されたせいで。
「ごめん、萩野」
「え、え? どうしたの?」
なんだか急に申し訳なくなった。
僕のちっぽけな望みのせいで、萩野が犠牲になったのだから。
どうして萩野なんだろう。
僕にとって、赤の他人でしかなかったはずなのに。
もう一度謝ると、萩野はそっと僕の頭を撫でた。
やはり萩野はどこまでも優しい。
「ごめんね。急にこんなこと」
十分ほど萩野に撫でられて、ようやく落ち着いた。
冷静になると恥ずかしい。
急に落ち込んで女の子に慰められるなんて。
しかし萩野は僕の心境とは裏腹に、満足そうに笑っている。
「私は渡利くんが悲しむ顔が見れて少し嬉しかった」
「それはそれで複雑だね」
こういうところが人気の秘訣なのだろうか。
萩野の優しさに少し救われた気がした。
冷静な頭でもう一度考える。
僕にとって萩野は大切なもの。だから萩野は六月十八日に命を落とす。
でも、そうじゃなかったとわかったら。或いは萩野よりも大切なものが出来たら。萩野は死なずに済むのではないだろうか。
タイムリープの中で大切なものを見つけることで、萩野が死なずに済むかもしれない。
「萩野の未練、僕が晴らすよ。楽しい思い出をたくさん作る。幸せな人生を歩んで見せるよ」
「うん! 私も渡利くんのために精一杯頑張るね!」
萩野の未練は晴らす。
けれど、萩野を死なせたくもない。
僕はたくさんのタイムリープの中で、大切なものを見つければいいんだ。
萩野の未練を萩野の手で晴らせるように。
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