さん
三日目の朝、僕は支度を済ませて家を出た。
理由は当然、萩野の未練のため。
昨晩連絡があった通り、僕は駅へ向かった。
どうやら萩野は、ショッピングモールに行きたいらしい。
ここから二駅のショッピングモールなら、一日で終わるだろうと了承した。
駅に着くと、既に萩野の姿があった。
昨日とはまた違った服装。女子はお洒落に気を遣って大変だと思う。
かく言う僕は、いつも着回ししているパーカー。
相も変わらずセンスの欠けらも無いけれど、見た目に気を遣わない僕には、これでも精一杯のお洒落だった。
「早いね。まだ十分前だよ」
「時間が勿体ない気がして早めに着いちゃった」
並ぶと余計に僕のみすぼらしさが際立つ。
萩野と並んでいるのを公衆の面前に晒すのは少しだけ恥ずかしい。
しかし萩野はそんなこと気にする素振りもなく、いつものように笑っている。
「じゃあ行こっか」
「そうだね」
にこりと笑ってスカートをひらりと靡かせる萩野を見ていると、僕の服装も些細なことに思えた。
どうせこの時間はタイムリープするんだ。周りの目なんて気にする必要はない。
僕は萩野の未練を晴らすことだけを考えよう。
※※
ショッピングモールは平日ということもあり、思っていたよりは人が少ない。
小さな子供を連れた親子は、おもちゃ屋で子供が駄々を捏ねて、お母さんが困ったように笑っている。
学生のような集団は離れていても聞こえるような声で会話し、これからゲームセンターに向かうようだった。
若い女性の三人組は婦人服売り場でお互いに服を宛てがってはころころと表情を巡らせている。
そんな中に二人で並ぶ僕らは少し浮いている気がした。
「そろそろ暖かくなるし、夏物の服を見たかったんだぁ」
「どうせ戻るのに?」
「いいの。それが未練だから」
口にしてから反省する。
萩野が少し寂しそうに答えたから。
今のはあまりに萩野の気持ちを無視していた。
萩野だってわかっているはずだ。
それでも、萩野がそうしたいと言うのなら、僕はそれに付き合うだけだ。
「そうだね、ごめん。まずはどのお店に行こうか」
「えっとね、お気に入りのお店があって」
萩野はころっと表情を変え、「こっちこっち」と僕を導いた。
ブランドに疎い僕は、萩野が選んだ店にも聞き覚えはない。
萩野が着ている服と似た装飾の服が並んでいることから、恐らく同じブランドなのだろうと推測できる。
萩野はテキパキと幾つか服を見繕い、それらをカゴに入れて試着室に入った。
一人になるとどうしても周囲の目が気になってしまう。
明らかに僕だけ浮いているのだから仕方のないことではあるんだけど。
数分後、萩野はカーテンを開けた。
白のワンピースに水色のワンポイント。
夏っぽい涼し気な格好は、明るく清楚な雰囲気の萩野にぴったりだった。
「どう、かな?」
「似合ってるよ。萩野のイメージに合ってていいと思う。」
「ほんと? じゃあこれ買おう!」
萩野は再びカーテンを閉めた。
てっきりそれで終わりかと思っていたけれど、次に現れた萩野はまた違った服装をしていた。
「これは?」
「それも似合うけど、色合いが派手かな。萩野は見た目が良いから服の方が目立つのはあまり良くない気がする」
「えっ。そ、そうかな? じゃあこれは無し!」
僕の批評で恥ずかしくなったのか、萩野は顔を赤らめてカーテンを勢いよく閉めてしまった。
女性との買い物は男性側はつまらないと聞いたことがあるけれど、僕はそうは思わなかった。
萩野がいろんな服を着て、その度に表情をコロコロと変えるのは、見ていて飽きなかったから。
毎日同じルーティンを繰り返す生活よりは余程楽しかった。
結局萩野は、僕が褒めた服だけを買い、それ以外は元の場所に戻してしまった。
「良かったの? 僕の勝手な意見で決めていたみたいだけど」
「うん! 渡利くんの意見、的確ですごく参考になった。こんなことなら今までの服選びも付き合ってもらえば良かったなぁ」
「何回でも付き合うよ。それが未練になるなら」
「じゃあまた付き合ってもらお」
嬉しそうに買い物袋を抱きしめる萩野。
こんな時、荷物は持ってあげた方がいいのだろうか。
「それ、持つよ」
萩野に向けてそっと手を差し出した。
大して重くはないと思うけど、女性だけが荷物を持っている状況というのはあまり好ましくないように思う。
まるで彼氏みたいだ。
急にそんなことを思って、恥ずかしくなって手を引っ込めようとすると、萩野はぶんぶんと首を振った。
「ううん。次は渡利くんの番だから」
「僕の番?」
そうして次に連れられたのは、男性用の衣料品店。
「もしかして、僕も買うの?」
「そうだよ。渡利くんの服を私が選びたい」
「マニアックな未練だね」
「そ、そうかな? でも、これが終わらないと先に進めないよ」
「それなら仕方ないね。付き合うよ」
女の子はどうも、服を選ぶのが好きらしい。
着せ替え人形のようなものだろうか。
それは幾つになっても変わらないようだ。
萩野は僕に服を当てては唸り、三十分ほどかけて数着選んだ。
萩野の服選びより余程時間をかけていた。もしかするとこちらが本命だったのかもしれない。
「あとは試着してみてからね」
と言う萩野の指示の元、僕は萩野が選んでくれた服を着てみた。
いつもは着心地の良さから、緩いパーカーしか着ていない。
そのせいか、シルエットに合う服というのはどうも着心地が悪い。
けれど、良くも悪くも細身の体型にピッタリとフィットしたカジュアルな服装は、少なくとも見た目は悪くない気がした。
「あ、似合う! 似合うよ!」
「そうかな。よかった」
「着心地はどう?」
「いつもより少し窮屈に感じるかな」
「パーカーと比べるとどうしてもね……。渡利くんが良ければ、他のも着てみてほしいな」
「わかった」
私服からもわかっていたけれど、萩野のセンスは良いと思う。
どれを着ても僕に似合っている気がした。
萩野も手放しで褒めてくれて、悪い気はしない。
「渡利くんって、細身で身長もあるからどんな服でも似合うね」
「萩野が似合う服を選んでくれているだけだよ」
「そ、そうかな」
僕が褒めると萩野は少し照れる。
やはり表情がコロコロと変わる萩野は、見ていて飽きない。
全ての試着を終えて、僕は萩野に尋ねた。
「萩野はどれが良かったと思う?」
「最初に来たポロシャツかな? でも、着心地悪いなら他の服の方がいいかも」
「いや、それにするよ」
萩野が喜ぶなら着心地なんてどうでもいい。
でないと、萩野に未練が残ってしまう。
僕は店員に相談し、買ったポロシャツをそのまま着ることにした。
「え、着て行くの?」
「うん。せっかく買ったのに、萩野の前で見せられないなら意味が無いから。今日は暖かいし、七分丈なら悪目立ちすることもないと思って」
「そ、そうだね。私もその方が未練が残らなくていい……かな」
せっかく選んでもらった服を着ている姿を見せられないのは申し訳ない気がした。ただそれだけのことだ。
それなのに、驚きからか恥じらいからか、萩野は顔を赤らめる。
シルエットがはっきりと分かる黒地のポロシャツを見に纏い、萩野に見えるように身をよじる。
「似合うかな」
「うん。とっても!」
「よかった」
思った通り、萩野は喜んでくれた。
その笑顔を見られただけで、僕としても満足だ。
萩野は何故か僕に合わせて、先程買った服に着替えてきた。
水玉に彩られた白のワンピースは今の季節には少し早すぎる気がする。
そんな季節感を無視しても、シンプルで落ち着いた雰囲気のその服は、萩野によく似合っていた。
季節を先取りした僕らは、昼食のためにフードコートを訪れた。
フードコートを選んだのは、萩野が一度も利用したことがないと言うからだ。
「好きな店で好きなものを選ぶんだよ」
「うーん。お店もメニューも多くて選びきれないね……」
「ゆっくり選ぶといいよ。店は逃げたりしないから」
萩野は真剣な眼差しで各種メニューとにらめっこしている。
僕もあまり来たことはないけれど、利用方法すら知らない人は初めて見た。
贅沢と言って外食を選んでいたことから、萩野はあまり外で食事をしたことがないのだろうか。
「渡利くんは決めた?」
「僕はオムライスにしようかな」
「じゃあ私もそれにする」
好きなものを選んで、と言ったのに、僕と同じものでいいのだろうか。
萩野が決めたことなら口を出すこともないけれど。
荷物が嵩張ってきたので、僕は荷物を席に置いて萩野に待っているよう伝えた。
五分後、完成したオムライスを二つ持って席に戻る。
すると、萩野の周りに見覚えのない人が二人居た。
その二人に挟まれ、困惑した表情の萩野。
どうやら、ナンパというやつらしい。
萩野はその容姿から男子の人気も高い。
こうして声をかけられることも想定しておくべきだっただろうか。
「お待たせ」
「あ、渡利くん……」
三人分の目線が僕に注目する。
見たところ大学生だろうか。髪は明るく、ピアスが目立つ。
僕を視界に捉えるや否や、二人は急に睨みを効かせる。
僕も対抗するように二人に尋ねた。
「あの、何か用ですか?」
「誰? 彼氏?」
「いえ。ただの連れです」
「なんだよ。こんな冴えない奴と一緒なの?」
「なにこいつ。なにその服、貧乏人かよ。絶対俺たちの方が良いって。なあ、奢ってやるからカラオケ行こうぜ」
格下と見るや嘲笑するように鼻を鳴らして、萩野に声をかけ続ける。
萩野と僕では不釣り合い。そんなことは僕が一番知っている。
見た目で言えば、僕なんかより彼らの方が萩野にはぴったりだと思う。
ただ、どうしてだろうか。
僕にしては珍しく、無性に怒りを感じていたんだ。
ふつふつと腹の中が熱くなる感覚。
それはきっと、彼らの一言が原因なんだと思う。
僕のことをどう言われようと、どうだっていい。
僕が冴えないことなんて僕が一番わかっている。
僕が萩野に不釣り合いなことだって知っている。
けれど、萩野が選んでくれた服装を馬鹿にされるのは、何故か無性に腹が立つんだ。
こんな気分は初めてだ。
もしかして、萩野に服を選んでもらったことが嬉しかったのかもしれない。
いや、少し違うかな。
萩野が彼らについて行ったところで未練は晴らせない。
それは萩野の助けを求めるような表情を見ていればわかることだ。
そのことがどうしようもなく嫌なんだ、きっと。
歳上に恐怖するなんて気持ちもなく、僕は感情のままに口を開いた。
「相手の気持ちも汲み取れないのについて来るわけないですよ」
「は?」
「警備員呼びますか? 周囲の目も気にした方がいいですよ」
人が多いフードコートで揉めると、当然目立つ。
周囲の席に座る人たちや近くの店の店員がこちらに視線を集めている。
明るい髪の二人は周囲をキョロキョロと見渡すと、捨て台詞を吐いて立ち去った。
感情に疎いおかげでなんとか平然と言ってのけることが出来た。
ここが人の多いショッピングモールの中ということも相まって、萩野にこれ以上の被害が及ばなかったのもラッキーだ。
目を丸くする萩野の前にオムライスを置いて、僕はその向かいに座る。
「冷める前に食べよう」
「あ、うん……」
先程の二人が怖かったのだろうか。
萩野はオムライスには手をつけず、顔を伏せた。
さっきの二人のせいで、せっかくの楽しい雰囲気が台無しだ。
いや、僕が萩野に気を配っていなかったことが原因か。
僕は萩野に対して軽く頭を下げた。
「ごめん。今後は一人にさせないように気をつけるよ」
「う、ううん! 渡利くんのせいじゃないから!」
「それでも。こんなことで萩野に未練が残ってしまったら悔やまれるよ」
「そう……だね。じゃあ、出かける時はずっと一緒に居てね」
「うん。わかったよ」
そう言うと萩野は再び笑顔を見せた。
なんとか元気を取り戻した萩野に安堵し、僕はオムライスを食べる。
萩野もそれに倣い一口食べると「美味しい」と声を漏らした。
「渡利くんは、彼女とかいないの?」
食事を終えた頃、萩野は唐突にそんなことを訊く。
「いないよ」
「好きな人は?」
「いないかな。好きって気持ちがよくわからないんだ」
「そうなんだ」
特に欲を持たない僕は、好意や執着という言葉に疎いらしい。
そんな僕に恋人や好きな人がいるはずもない。
だからこそ、萩野が大切なものだと判断された理由を知りたいわけで。
僕の話なんて聞いてもつまらないだろうと思い、萩野に同じ質問を返してみる。
「萩野には好きな人がいるの?」
「うん。いるよ」
「告白とかしなかったの?」
「したかった……けど、ちょっと怖いんだ」
不思議だ。
男子に人気な萩野でもそんなことを思うんだ。
「萩野の告白ならその人も二つ返事で了承すると思うけどね」
「そう……かな」
「うん。でも、怖いならすぐじゃなくてもいいと思うよ。それもきっと未練だから、タイムリープの中で達成したらいいんじゃないかな」
「そうだね。うん、そうする」
萩野は口角を上げて小さく微笑む。
誰にでも人気のある萩野はどんな人を選ぶのだろう。
綺麗で明るくて真っ直ぐな萩野はどんな人が好きなのだろう。
きっと萩野は一途で、ずっとその人を想ってくれるはずだ。萩野の気持ちに忌避感を示す人なんて居ないだろう。
もしもその相手が僕だったら、どんな返事をするだろうか。
そんなありもしないもしもを思い浮かべ、少し可笑しくなってしまった。
萩野の未練であった買い物を終えて帰路に着いた。
一緒に僕の部屋に来た萩野は、熊のぬいぐるみを抱きしめている。
三日目に晴らせた未練は三つ。
服を買うことと、フードコートで食事を摂ること。それに、ゲームセンターに行くこと。
熊のぬいぐるみはUFOキャッチャーの戦利品だ。
元の値段より明らかに大金を払ったと思うけれど、それでも萩野が満足そうなので僕も気にしない。
何より、ぬいぐるみが取れた時の萩野の嬉しそうな顔は、金には替えられない価値があったと思う。
晴らした未練は一日で三つ。このペースなら、萩野の未練も早い内に晴らせるだろうか。
萩野の未練が幾つあるのかわからないので、なんとも言えないけれど。
夕陽を背に、萩野は小さく口を開いた。
「今日で終わりなんだね」
「そうだね。ちゃんと日記に書き留めておいてね。次のループで萩野に渡すから」
「うん……」
萩野は元気なく返事をして目を伏せた。
「どうしたの?」
「渡利くんは今日のこと覚えていてくれるのに、私は忘れちゃうんだなって思うと、少し寂しくて」
「仕方ないよ。僕の力で人は連れて行けない。そんなことをすると、萩野が二人になっちゃうからね」
「わかってる。でも……」
萩野はそのまま黙ってしまった。
萩野の気持ちも少しはわかる気がする。
相手が覚えているのに自分が忘れてしまうのは、少し申し訳ない気分になる。
僕が中学時代に話しかけたことを萩野は覚えてくれていたのに、僕はすっかり忘れてしまっていた。それと同じだ。
「大丈夫。そのために日記があるんだから。それに、萩野は覚えていてくれるんだよね」
「渡利くん……」
萩野が言ったことだ。
無いはずの記憶を覚えているなんて、ロマンチックで非現実的な話。
忘れることで萩野が傷つくのなら、そんなロマンチックな超常現象を信じてみたいと思う。
「そうだね。うん、きっとそう。こんなに楽しかったんだもん。忘れるはずないよ」
萩野はうんうんと自分に言い聞かせる。
根拠の無い気休めとはいえ、萩野は調子を取り戻したらしい。
「今のうちに次の計画も立てとこ!」
「したいことは決まったの?」
「うん! 次は遊園地に行きたい!」
「遊園地かぁ」
「嫌?」
「ううん。この辺りにあったかなと思って」
「あ、無いかも」
がっかりと肩を落とす萩野。
「次は少し遠出しよう。始発なら一日中遊んで帰って来られるんじゃないかな」
「でも、渡利くんが日記を持ってるなら一日目は難しいよね」
「うん。だからそれは二日目かな。一日目は萩野と仲良くなるところから始めるよ」
「そう……だね。わかった! じゃあ二日目の予定はそれで決まり!」
萩野は一瞬顔を曇らせたように見えた気がした。
※※
交差点の十字路の真ん中で僕らは向き合う。
ここで萩野とはお別れだ。とは言え、また三日前で会うことになるけど。
ただ、この萩野とはお別れ。その事実は変わらない。
「日記、よろしくね」
「うん。ちゃんと萩野に引き継ぐよ」
「それと、その……」
萩野は身をよじる。
僕が首を傾げると、萩野は意を決したように声を張る。
「な、中身! 絶対に読まないでね!」
それだけ告げると、萩野は身を翻してそそくさと行ってしまった。
今日あったことが書いてあるだけだろうに、何を恥ずかしがることがあるんだろうか。
ともあれ、それが萩野の願いなら僕も読むつもりはない。
その夜、萩野に託された日記を持って、僕はもう一度タイムリープした。
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