に
契約を交わした僕らは、早速日記を買いに出かけた。
近くの文房具屋で売っている、普通の日記。
その1ページ目には僕と結んだ契約の内容を記した。
「期限まであと二日。それまでに晴らせそうな未練はある?」
何度もタイムリープできるからと言って、その時間を無駄に使う必要は無い。
僕だって同じ時間を何度も繰り返すようなことはしたくない。
「そうだなぁ。じゃあ、渡利くんのことをもっと知りたい」
「それは未練なのか?」
「これから一緒に過ごすんだから、相手のことは知っておいて損は無いと思うよ?」
「それはそうかも」
萩野について知ることは、僕にとって萩野が大切なものだと判断された理由に繋がるかもしれない。
「そうだね。じゃあ、明日学校で」
「学校なんていいよ。時間が勿体ないでしょ? 渡利くんの家でいい?」
確かに、萩野にとっては学校なんて行っても行かなくても変わらない。
僕にとっては学校をサボることになるけれど、僕がサボったところで誰が困るわけでもない。
「わかった。じゃあ住所教えるよ」
僕が述べた住所を日記の2ページ目に記す。
「その日記、絶対に失くさないでね。個人情報だから」
「失くさないよ。絶対に」
萩野は日記を胸に抱きしめる。
そこまで大切にされるのも変な気分だ。
けれど萩野は僕の心中などお構い無しに、慈しむように、決して手放さないように、しっかりと抱きしめていた。
※※
二日目。
約束通り、萩野は九時にインターホンを鳴らした。
時間ぴったり。こういうところにも萩野の性格が表れている。
扉を開けると、いつもとは違う雰囲気の萩野が立っていた。
制服とは違う、大人びた服装の萩野は招き入れられるままに部屋に上がった。
僕の部屋を一瞥し、萩野は言う。
「殺風景な部屋だね」
「物は持ちたくない主義なんだよ」
彼女の言う通り、僕の部屋には物が少ない。
あるのは最低限、布団とテーブル、時計、一人分の食器。あとは小さな本棚くらい。
本棚には教科書類と文庫本が数冊。
「麦茶でいい? ぬるいけど」
「冷蔵庫も無いもんね。グラスはあるの?」
「一人分だけ」
「渡利くんは?」
「僕は飲まないからいいよ」
一つしかないグラスに麦茶を注ぎ、テーブルに置く。
六十センチ四方の小さなテーブルを挟み込むように、僕らは腰を下ろした。
「なんだか、緊張する」
「何も無い部屋だからね。音楽でもかけられたらいいんだけど」
「そ、そうじゃなくて……」
萩野は身動ぎしながら黙ってしまった。
こんなことなら娯楽の類を少しでも置いておくべきだっただろうか。
「じゃあ、自己紹介からでいいかな」
「あ、うん。中学校から同じクラスだったのに、なんか変な感じだね」
「関わりは無かったから仕方ないよ」
萩野は白いバッグから日記を取り出した。
どうやら全て記録するらしい。
なんだか、面接みたいでこちらまで緊張する。
「渡利
「……他には?」
「ごめん。特に思いつかない」
自己紹介なんて、入学式の日でもこの程度しか話したことがないのに、思いつくはずもない。
萩野は何が可笑しかったのか、口元を押さえてくすくすと笑う。
「じゃあ、私から質問。好きな食べ物は?」
「特にないかな」
「趣味は?」
「特にない」
「今までで一番楽しかった思いでは?」
「ないね」
質問が途切れたかと思うと、萩野は口を尖らせていた。
「ないないばっかりじゃ何もわからないじゃん」
「ないものはないんだよ。むしろ萩野にはあるの?」
「あるよ」
萩野は顎に手を当てて、真っ白な天井を見上げる。
「私は甘いものが好き。一番好きなのはシュークリームかなぁ。趣味は手芸で、一番楽しかった思い出は中学校の修学旅行だよ」
「すごいね。そんなにすらすらと」
素直に感心すると、萩野は少し照れたように笑った。
こういう素直なところが人に好かれる秘訣なんだろう。
僕には必要ないし、真似しようとは思わないけれど。
「渡利くんも趣味を見つけよう」
「僕には無縁だね」
「ダメだよ。私の未練が残っちゃう」
「それは……困るね」
未練をすべて晴らさなければ僕は十九日に進めない。
僕が趣味を見つけることが萩野の未練だと言われると、僕はそれを受け入れるしかない。
そういう契約だから。
「わかった。タイムリープの中でなんとか探してみるよ」
「じゃあそれも残しておくからね」
萩野は満足そうに日記を書き足す。
その後も身長や体重、家族構成まで事細かに聞かれた。
やがて、日記の2ページ目は僕に関する情報で埋め尽くされてしまった。
「そんなに書き込んでどうするの?」
「たくさん書いておけば、もしかしたら過去に戻っても思い出せるかもしれないでしょ?」
「過去のことを思い出すならともかく、未来の記憶を取り戻すことは出来ないよ」
「わからないよ? 時間を戻すなんて超常的な力があるんだもん。無いはずの記憶を憶えてる、なんてロマンチックなことがあってもいいと思うんだ」
それがロマンチックかはわからないけれど、それはそうかもしれない。
現に僕は何度も普通ではありえないことを経験しているのだから、どんなことであってもありえないと切り捨てることは出来ない。
「そうだね。きっといつか思い出せる時が来るよ」
そんな根拠の無い言葉を口にする。
それでも萩野は満足そうだった。
「そろそろお腹空いたね。何か買いに行こうか」
気がつくと時計の針は頂上を少し過ぎていた。
「私が作ってもいいんだけど……」
「調理器具が無いからね」
「だよね」
食事は基本コンビニで済ませる僕としては、調理器具や家電なんて必要ないのだから仕方ない。
萩野はうーんと唸った後、何か閃いたように手を打った。
「今日は贅沢しない?」
「贅沢?」
「外食だよ外食! ちょっと高いところで! 時間が戻って全てが無かったことになるなら、外食してもお金は減らないし、満足感だけが残るよ」
「ああ、確かに。そんな使い方もあるんだ」
「誰でも思いつくと思うよ。渡利くんが無欲過ぎるだけだよ」
「そうなのかな」
萩野はいたずらっ子のようにくすくすと笑った。
萩野は真面目な優等生だと思っていたけれど、案外そうでもないらしい。
悪知恵が働くというか、自分の欲に正直というか。
萩野の新たな一面を見た気がした。
※※
僕は萩野に連れられるまま、家の近くのカフェにやって来た。
お洒落な内装に若くてかっこいい店員。客も若い女性が多いようだ。
店員に案内されて席に座るも、少し居心地が悪い。
客観的に見られることを考えると、場違いな気がしてくるんだ。
少なくともこんな状況でなければ、人生で一度も訪れることは無い場所だ。
「ここ、来てみたかったんだよね」
「それも未練?」
「そうだよ。これで一つ解決だね」
萩野は日記の3ページ目に書き込んでチェックを付けているようだった。
そうやって一つずつ未練を晴らしていくのだろう。
「未練って一体幾つあるの?」
「幾つだろうね? 今夜にでも思いつく限り書き込んでおくね」
「あまりたくさん書かれても困るから、少しは妥協してほしいな」
「私との契約だから我慢してよ」
「そう言われると困るなぁ」
同じ日を何周も何周もループするのは嫌だなぁ。
なんて思っても、僕が受け入れたことだから今更どうしようもない。
契約を後悔していた僕を他所に、萩野はメニューを広げて、子供のように目を輝かせていた。
「このお店のね……これ!このハンバーグが気になってたんだ」
「学生には手が届かない金額だなぁ」
「だから、贅沢なの」
三千円もあれば数日の食事は困らない。
普段の僕ならそんなもの食べなかったと思う。
でも萩野の言う通り、お金を使っても無かったことになるのなら、その満足感のために贅沢をしたっていい気がする。
「じゃあ、僕もそれで」
「うん!」
萩野は元気よく店員を呼び、スペシャルハンバーグを二つ注文した。
そんなに食べたかったのかな。萩野の様子を見ていると、僕も少しだけ楽しみになる。
「渡利くんの好きな食べ物になるよ。きっと」
そう言った萩野の言う通り、ハンバーグは絶品だった。
フォークで触れるだけで溢れる肉汁は、口に含むとさらにその風味を広げる。
特製のソースともよく合っていて、食欲を掻き立てられる。
スペシャルの名に相応しい出来だった。
「美味しい」
「だね! よかった。気に入ってくれて」
「これは確かに、僕の好きな食べ物として自慢できるよ」
「それなら、渡利くんのプロフィールも更新しなきゃね」
萩野はハンバーグを一口頬張って顔を蕩けさせる。
美味しそうに食べる萩野の姿は、見ていて少し楽しかった。
「あ、でも私、人参嫌い」
萩野は付け合せの人参をフォークでつんつんとつついていた。
鉄板の端に寄せられた人参がころころと転がっている。
「萩野にも嫌いなものとかあったんだ」
「あの独特な匂いが苦手で……。って、笑わないでよ」
子供っぽい萩野が可笑しくて、僕はいつの間にか笑っていたらしい。
僕より随分歳上に見えてしまう萩野の新たな一面だった。
「ごめん。食べてみたら? 美味しいよ」
「うーん……。わかった。ちょっとだけ」
一口サイズにカットされた人参をフォークでさらに小さく切って、萩野はそれを頬張った。
ゆっくりと咀嚼し、飲み込む。
「あれ? 食べられる」
「ほら。この人参は食べやすいと思うよ」
「そ、それでも美味しくは……ないかなぁ」
「それは残念」
そう言いつつも萩野は人参も残さずに食べた。
満足感に満たされた僕たちは、次の計画について相談した。
「渡利くんはどこまで時間を遡れるの?」
「悪魔と契約した日の三日前だね。それ以上は何度試しても戻れなかった。契約は十七日の夜。そこから戻って十四日の夜が限界」
そう、何度も試した。
だけど、十四日の夜より前に戻ろうとしても能力は発動しなかった。
何のために悪魔と契約を交わしたのかわからないと辟易したものだ。
「渡利くん?」
萩野は顔を曇らせて僕の顔を覗き込んでいた。
余計なことを思い出したせいで心配をかけてしまったようだ。
「大丈夫だよ。とにかく、僕が戻れるのは十四日まで。それ以上は無理だね」
「活動出来るのは十五日から十七日の三日間だけなんだね」
「そうなるね」
「そっか。残念だなぁ」
萩野はため息をついて肩を落とす。
「中学生まで戻れたら、もっとたくさんしたいことがあったのに」
「中学でしたいことって、どんなこと?」
「えっ。そ、それは内緒!」
ぶんぶんと首を振る萩野。
それを聞いたところで、その未練は晴らせないから深く問い詰めるつもりはない。
「中学時代の未練は我慢してもらうしかないね」
「仕方ないなぁ。その代わり、三日間を精一杯楽しむ!」
薄いブラウンの瞳に静かな闘志を燃やして、萩野は気合い充分だ。
「明日はどうする? 何か予定は決めた?」
「うーん。まだ決まってない。今日中に決めてから連絡してもいい?」
「いいよ。でも、一日で済ませられることにしてね」
「明日までだもんね。わかった」
萩野はこちらに手を向ける。
「握手?」
「違うよ。連絡先教えて」
「ああ、なるほど」
物は持ち合わせない僕でもスマホくらいは持っている。
アラーム代わりにしか使われないスマホを萩野に差し出すと、電話番号とメールアドレスを日記に控えた。
「それ、本当に失くさないでね」
「何よりも大切なものだもん。絶対に失くさないよ」
何よりも大切、か。
今、萩野が悪魔と契約を交わしたら、その日記が奪われるのだろうか。
僕の個人情報を悪魔が手にするところを想像して、少し可笑しくなる。
「な、なんで笑うの」
「なんでもないよ」
ムッと口を尖らせる萩野の表情が可笑しくて、僕はまた笑った。
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