リスタート〜悪魔と契約して時間を戻す力を手に入れた。その代償は隣の席の女の子の命でした〜

宗真匠

いち

 僕はある日、悪魔と契約した。


 契約内容は単純。

 僕は最大三日間時間を巻き戻すという人智を超えた力を手に入れる。

 その代わりに悪魔は僕の大切なものを一つだけ奪う。


 大切なものの定義については曖昧だった。

 それは人だったり、物だったり、記憶だったり、身体的な能力だったり。


 良くも悪くも平凡以下。大切な人はもちろん、家族もいない。心に閉まっておきたい記憶も無い。


 そんな僕にとってその契約は、メリットしかないものだと思っていた。



 契約をした翌日、隣の席の女の子が死んだ。



※※



 僕は学校があまり好きではない。

 だからと言って、特別嫌いでもない。


 つまらない授業を受ける。一人でご飯を食べる。誰とも話さずに一日を終える。そのサイクル繰り返し。

 代わり映えのない毎日。それが僕の日常で、僕にとって当然の人生だった。


 決して楽しくはない。

 けれど、不満はない。


 そこそこに生きてそこそこで死ねればいいと思っている僕にとって、勉強も友達も、ましてや彼女なんて必要ない。


 だから僕は、毎日同じ生活を繰り返す。



 その日も同じだと思っていた。


 いつも通り、ホームルームの五分前に学校に到着。窓の外を眺めていると先生が教室に入る。


 いつもと違ったのは、教室に入ってきた先生が物々しい雰囲気だったことと、隣の席の萩野悠里はぎのゆうりが休みだったこと。


 そして、その萩野が交通事故で亡くなったと知らされたことだ。




 悪魔との契約が頭をよぎった。



 それでも最初は偶然だと思った。


 萩野は僕と対極に位置する人種だ。

 僕と萩野に接点なんてない。

 萩野は皆の人気者で、その可愛らしい容姿と明るい性格で、いつもクラスの中心に居た。

 その上運動も出来て勉強の成績も上位。人気にならない理由がない。


 スクールカーストの上位に位置する萩野と最下層に位置する僕。

 ただのクラスメイトと呼ぶにも烏滸がましい他人。


 そんな萩野が偶然にも、悪魔と契約した翌日に死んだ。

 嫌でも契約の内容が頭を過ぎる。


 三日間の時間の巻き戻しという超常的な力と、その代償に奪われた僕の大切なもの。

 僕の日常に生じた変化は、萩野の死というただ一点だけ。


 果たして萩野の死は偶然か?


 確かめてみたくなった。

 偶然であることを偶然だと再確認するために。


 僕は初めてタイムリープをした。



 するとどうだろう。やはり萩野は死んだ。


 でも、タイムリープしたところで萩野が同じ道を通って登校するなら何も変わらなくて当然だ。

 それだけでは、偶然にも萩野は事故で死んだという結果が残るだけ。



 二度目のタイムリープの後、僕は萩野に接触した。


 自分から誰かに話しかけるなんて、契約前の僕に話しても信じてもらえないと思う。

 それがましてや、今まで大した接点も無かった萩野悠里だなんて。


 僕は萩野に話しかけて、少しだけ登校時間を遅らせた。

 萩野は僕が話しかけたことに大層驚いた様子だったけど、不信感や疑念を抱いた様子は無かった。

 むしろ、どこか嬉しそうに笑っていたように思う。

 接点のない庶民に話しかけられてもああいう笑顔を見せられるところが、彼女の魅力の一端なのだろうと思った。


 結局、そのループでも萩野は帰宅途中で事故に遭って死んだ。



 その後も色々と試してみた。

 学校帰りに話しかけて帰宅時間をずらしても、夜中にコンビニへ出かけた際に萩野は事故で死んだ。

 偶然を装ってコンビニへ向かう萩野に話しかけても、僕が見ていない家の中、階段で足を滑らせて萩野は死んだ。



 ここまで来ると偶然の一言で片付けるには安易だと思った。


 悪魔との契約が頭を過ぎる。


『僕の大切なものを一つだけ奪う』



 萩野の死を五回経験し、ようやくその可能性を認め始めた。

 萩野悠里が僕にとって大切なものだったのだと。




 大切なものなんて存在しない。

 そう思っていた僕にとって、その事実は受け入れ難いものだった。


 確かに、大切なものなんて無くても、奪うという契約がある以上、相対的に大切とされるものが奪われる可能性は考慮していた。

 捨てられなかった文庫本。生活内で使用頻度の高いガラスのコップ。はたまた幼い頃の記憶か。

 けれど、それらは全て消えることなく今も僕の部屋に、僕の記憶に残っている。


 唯一の変化が萩野の死だけだった。



 萩野はその美貌と明るい性格故、誰とでも仲が良い。

 そんな萩野は僕に話しかけてくる唯一の存在だった。


 けれど、僕にとっては迷惑でしかなかった。


 萩野が僕に話しかけてくることで、周囲の視線が集まる。どうしてあんな奴に、と。

 それが嫌で仕方なかった。


 だから僕は、どちらかと言うと萩野のことが嫌いだった。


 だと言うのに、萩野が僕にとって大切なものだと、この世界は、あの悪魔は言っているんだ。


 そんなこと、受け入れられるはずがない。



 その事実を受け入れないために、僕は萩野が死ぬ度に三日間タイムリープした。


 萩野は僕にとって無関係な人間だ。

 そんな人間の命が奪われるなんて契約違反だ。


 そう悪魔に訴えるため。或いは、そう自分に言い聞かせるため。


 僕は何度もタイムリープを続けた。


 その度に萩野は凄惨な死を迎えた。



※※



 人は同じ時間を繰り返すと気がおかしくなってしまうらしい。


 タイムリープが十回を越えた頃、僕は萩野に頼み事をした。

 萩野が死なないために。


 自分でもその理由は分からない。

 萩野を何度も見殺しにすることに罪悪感を覚えたのだろうか。それともこのループに飽きてしまっただけだろうか。萩野の死を認めたくないという我儘だったのかもしれない。



 萩野が死を迎える前日。僕は帰路に着く萩野を呼び止めた。


 学校で話しかけるのは、周りの目が気になってはばかられたから。


「萩野」

渡利わたりくん?」


 僕が話しかけたことが意外だったのだろう。萩野は目を丸くして僕を見た。


 当然だ。このループの萩野にとっては、僕が話しかけるのは初めてなんだから。


「どうしたの?」

「ちょっと、話があって」


 栗色の髪を靡かせ、大きな瞳を細める彼女を前に少し緊張した。


 明日、君は死ぬ。

 そう言ったところで、萩野は信じないだろう。


 ろくに話したことも無いクラスメイトからそんなことを言われると不気味でしかない。


 だから、僕は一つお願いをした。


「萩野。明日、部屋から一歩も出ないようにしてほしい」

「え、どうして?」


 萩野は訝しげな目を向けると言うより、純粋にその理由を知りたいように見える。


 でも、理由なんて話せない。


「どうしても。お願いだ」


 理由もなくそんなお願いをするのだから、萩野にとっては不気味だったと思う。

 そう考えると真実を伝えることとあまり変わらなかった気がする。


 それでも萩野は「わかった」と言って笑った。


「何か大事な理由があるんだよね。明後日、その理由を教えてくれるなら約束する」

「ありがとう」


 萩野は優しい。

 こんな僕の意味のわからないお願いを笑って聞きいれてくれるのだから。



 翌日、萩野は学校には来なかった。


 体調不良を理由に休んだらしい。


 あとは萩野にかかっている。

 彼女は外に出ずとも階段から転落して死んだことがある。


 萩野ができるだけ部屋から出ないように祈るしかない。



 その祈りは通じた。


 それと同時に、僕にとって萩野が大切なものだと決定付けることとなった。



 その日の最後の授業は急遽中止され、全校生徒が体育館に集められた。


 微かに過った嫌な予感は的中する。


 その日、萩野が強盗に押し入った何者かに殺害されたことを知らされた。




 僕は暗い部屋の中で天井を見上げて呆然としていた。

 これまでのループを思い出していた。


 何度繰り返そうと、何度道を逸らそうと、萩野は死ぬ。

 六月十八日の今日、必ず死ぬ。


 それは即ち、僕にとって萩野が大切なものだということを意味していた。

 紛れもない事実。疑いようのない現実。

 何度逃避しようともそれが変わることは無かった。


 萩野なんて僕にとっては赤の他人。それなのに、何度繰り返しても彼女は死んでしまう。


 それならば。

 僕は彼女を見殺しにしようと思った。



 萩野が死ぬことで、僕にとって萩野が大切なものではないと自分に言い聞かせたかった。

 萩野が死んでも僕は何も感じないと思うことで、萩野が大切なものではないと自分に思い聞かせたかった。

 萩野が死ぬことで、僕が傷つき続けることを拒んだんだ。



 だからこれが最後の別れだ。



 僕はせっかくなので、萩野に全てを話すことにした。


 どうせこれから死んでいく相手だ。どう思われようと気にすることじゃない。

 それに、誰かに話してみたかった。神にも匹敵するような力を手に入れたと自慢してみたかった。


 その相手として、萩野はちょうどよかったんだ。

 ほんの小さな好奇心だった。




 萩野を生き返らせる最後のタイムリープ。


 僕はすぐに萩野と接触した。



 何度もタイムリープしたおかげで、この日萩野が一人で帰ることを知っていた僕は、学校から少し離れた場所で彼女に話しかけた。


 何度も見た、萩野の驚く顔。

 何度見ても、その笑顔は輝いている。


「どうしたの? 渡利くんから話しかけてくれるなんて珍しいね」

「初めてだよ」


 このループでは。


「ううん。中学生の時に一度だけ話しかけてくれたよ」

「そうだっけ?」


 萩野は夕陽をその頬に浴びながら頷く。


 よく覚えているものだと感心する。


 そんなこと、もう忘れてしまった。

 話しかけたことも話した内容も。


「それで、何か用かな?」

「三日後の六月十八日、君は死ぬ」


 自分でも驚くほどすんなりと言葉が出てきた。


 萩野の死を経験しすぎたせいか、抵抗がなくなってしまったらしい。


 どんな反応をするだろうと期待していた。

 でも、萩野の反応は酷くつまらないものだった。


「そうなんだ。私はどうやって死ぬの?」


 驚きもしない。悲しみもしない。

 僕の言うことが嘘だと疑っているわけでもない。

 それが運命だと受け入れているようにさえ見える。


 何かを期待していたわけじゃない。

 それでも、こうも簡単に受け入れられては面白くない。


 僕はもっと具体的に教えてやることにした。


「死に方はいろいろ。交通事故だったり、階段から落ちたり、空き巣と出くわして殺されたり」

「そっか。寂しい死に方だね」


 萩野は残念そうに肩を竦める。


「私はどうして死ぬの?」

「僕が悪魔と契約したからだよ」

「どんな契約なの?」

「僕は時間を巻き戻す力を手に入れる。その代わりに大切なものを失う」

「私が大切なものなの?」

「どうやらそうらしい。何度も戻して試したけれど、君が死ぬこと以外何も変わらなかったからね」

「そう……なんだ」


 そう告げると、萩野はあろうことか、笑顔を見せた。


 さっぱり理解できない。

 これから死ぬと宣言され、嘘だと怒るでもなく、死に脅え悲しむでもなく、嬉しそうに笑うのだから。


「どうして話してくれたの?」

「君を見殺しにしようと思ったから」

「もう時間を戻さないってこと?」

「うん」

「それは嫌」


 笑ったと思ったら、今度は急に真剣な眼差しを向けた。


 やっぱり理解できない。

 死を受け入れたんじゃなかったのか。


「どうして?」

「それは……」

「話さないなら、僕はこのまま十二回目の君の死を受け入れることにするよ」


 萩野は肩にかけた鞄をきゅっと握る。


 夕陽に照らされた萩野の顔は、どこか悲しげに見える。


「まだ、未練があるから」


 萩野はそう言って目を伏せた。


 未練? さっきまでは死を受け入れていたのに?

 わからない。理解ができない。


 それと同時に、もっと知りたいと思った。

 ただの好奇心。


 何故、萩野は死を受け入れようとしたのか。

 何故、一転して死を避けたいと思ったのか。

 何故、僕にとって萩野が大切なものなのか。


 それを知ってからでも遅くないと思った。


「その未練を晴らせば、萩野は死を受け入れるんだね」

「うん。全て晴れれば、ちゃんと死ねると思う」

「わかった。それじゃあこうしよう。僕は何度も時間を戻して、君の未練を一つずつ晴らしていく。そして、君が抱える未練を全て晴らしたら、僕は三日後の先へ進む」

「それって、私は覚えていられるの?」

「忘れるだろうね。だから、日記を書こう」

「日記?」


 何度もタイムリープしてわかった。


 僕はタイムリープの際、物を一つだけ過去に持ち越すことが出来る。

 その力を使って、記憶を持たない過去の萩野に今まで何があったのかを伝えられると思った。


「君は三日間で晴らした未練を日記に書き記す。僕がそれを持ってタイムリープし、過去の君にそれを渡す。そしたら、君は思い出すことが出来るだろう?」


 思い出す、とは少し違う気がした。

 ありもしない記憶を一つずつ植え付けていく。


 そうして何人もの萩野が何日もかけて未練を晴らす。

 全て終わったら、僕は萩野の死を見届けて次の日へ進める。


 その中で、萩野のことを知っていけばいい。

 この契約の意味を知ればいい。


「君にとっても悪くない提案だと思うよ」

「わかった。じゃあ、これは私との契約」


 悪魔の次は隣の席の美少女か。


 萩野は小指を向ける。

 指切りというやつだ。


「契約にしては雑だね」

「渡利くんは約束を守る人だからね」

「それは……どうだろう」

「守るよ。きっと」


 根拠の無い期待を押し付けられ、僕は肩を竦めた。


 しかし、萩野の双眸は信じているとでも言いたげで、そんな淡い期待でも裏切れそうにない。


「わかったよ。契約だ」


 僕は小指を搦めた。


 萩野は嬉しそうに目を細める。


 夕陽に晒されたその笑顔は、やはり僕には不釣り合いなほど綺麗だった。

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