第42話 オレが導いてあげなければ
「──恥を忍んで言う。私は、理央君と二人きりになるのが怖かったんだ」
身構えるオレに、鷹峰さんはやや早口でそう言った。
「え、怖かったって……どういう意味?」
男のオレが相手では、恋から覚めてしまいそうだった……とか?
「君を抱きたいという欲情を、理性で抑えられなくなりそうで……怖かった」
「へ……」
それは予想外の答えだった。
「軽蔑しただろうか。自分でも驚いている。私の中に、こんなにも性欲があったなんて」
絶句するオレに、鷹峰さんは自嘲ぎみに呟いた。
「性欲って──オレに欲情?」
「ああ、他の誰にも感じたことはない。君にだけだ。こんな私では、君に相応しくないな」
肩を落とす鷹峰さんには申し訳ないけど、オレの心は一気に富士山頂まで駆け上がったくらいの高揚感に包まれる。
「嬉しい──」
心のままに言葉を口にすると、彼は勢いよく身を乗り出してくる。
「嬉しいとは? こんな私でもいいと? これからも恋人でいてくれるのか?」
矢継ぎ早に問うてくる彼に、オレは思わず失笑してしまう。
「笑うなんて酷いな、私は真剣に悩んでいたというのに」
「ごめんなさい。でも、だって──」
彼が自分に対して、そんなふうに悩んでいたとは思ってもみなかったから。
てっきりオレは、男の自分では性欲が湧かないから避けられていると思っていた。だから悩みが真逆すぎて、緊張の糸が切れてつい笑ってしまった。
「笑ってごめんなさい。オレは、鷹峰さんが何もしてくれないことに悩んでいたから」
「しかし、まだ付き合い始めて間もないのに、それでは不誠実ではないか?」
とことん真面目なんだな。鷹峰さんらしいけど。
「付き合う長さなんて関係ないと思うよ。それとも鷹峰さんは、オレとのこと遊びなの?」
「まさか! 本気に決まっている」
そう強く言い切ってくれたことに、心が満たされていく。
「なら、何も問題ないんじゃないかな。だって、本当に好きな相手となら……もっと愛が深まるはずだから」
うわ~、オレは何を口走ってるんだよ! 愛が深まるって、恥ずかしすぎる。でもでも、この展開は、いよいよベッドインなんじゃ⁉
一人ハラハラドキドキするオレとは対照的に、鷹峰さんはフリーズしたかのように視点が定まらず、宙に浮いていた。
ど、どうしよう。淫乱だと思われたのかな。
「あの~、鷹峰さーん。帰って来てくださ~い」
鷹峰さんの視界に入るように、手をひらひら振ってみる。
「──あっ、ああ、すまない。ちょっと考え事をしてしまった」
取り乱す彼が珍しくて、悪戯心が顔を覗かせる。
「ふーん。考え事って、何を考えていたんですか?」
「い、いや、たいしたことではないよ」
「へぇー、いやらしいことでも考えてたのかと思った」
そう言うと、彼は大きな身体を窄ませる。目に見えて動揺する様が面白い。
なんて、揶揄ってる場合じゃないだろ、オレのバカ。
ここはオレが導いてあげなければ。
オレは二人の間にあるテーブルを端に寄せる。
「ねえ鷹峰さん。オレはあなたに触れてほしいし、あなたにも触れたいと思ってるよ」
そっと彼の手に触れてみる。
ぴくりと反応するものの、鷹峰さんは伏し目がちだ。
「情けない話しだが、君とどう抱き合えばいいのかわからないんだ」
躊躇いながら、彼は言った。
「確かに、男相手に戸惑うのも無理ないよね。でも、女の人と手順はそう変わらないと思うよ」
若干、挿入先が違うだけで。
「────」
「鷹峰さん、どうかしたの?」
「いや──そもそも……経験自体がない」
「……は? 今、なんと?」
「だから、性行為の経験がない。言い訳のようだが、興味もなかったし、結婚相手以外とする必要性を感じなかったんだ」
童貞かもって思ったこともあったけど……嘘だろ? この容姿で? どこの大和撫子だよ! 男だけど。
恋愛経験は乏しくても、男として一度や二度の経験はあると思っていた。女性が放っておかないだろうと。
「そ、そうなんだ。あ、気にすることないよ。オレだって経験ないし。だから、一緒にゆっくり進もう」
驚きすぎては傷つけてしまう。とはいえ、背中を押してあげないと、進展しない気もする。
オレは立ち上がり本棚の前に行くと、一冊の本を取り出す。これは男同士の初歩的な情事が描かれているBL小説だ。
オレの場合、経験こそないけど、BL小説の読みすぎで知識だけは膨大なんだよね。
「十二月二十四日、クリスマスイブの夜に。ね? わかるよね?」
イメージトレーニングにどうぞと、本を差し出す。
「──わかった。君にそこまで言わせてしまうとは、私は不甲斐ないな」
オレの言わんとすることを、ちゃんと理解してくれたようで何よりだ。本心は、今夜は一緒にいてほしいところだけど、我慢するべきだろう。
「今日は本当に、ありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね。連絡、待ってます」
「ああ……」
鷹峰さんはゆっくりと立ち上がり、玄関に向かう。そしてドアを背にオレと向かい合うと、そっと頬に手を伸ばしてくる。
優しく包まれ、親指で唇に触れられる。
意図を感じ取ったオレは、目を閉じた──
★★★
「初心なんだな、鷹峰さん」
玄関でひとり、オレはぽつりと呟く。
何も激しいキスをしてほしかったわけじゃないけど。
前振りがあっただけに、ちょっと期待してしまった。だけど鷹峰さんは、掠めるように唇を触れさせた程度で、あっという間に帰っていった。
まあいいか。あと十日もすれば、オレたちは──
にやけそうになる口元を、手で覆う。
「それにしても、今日はいろんなことがあったな」
ベッドに移動したオレは、膝を抱え今日起こった出来事を思い返す。
やっぱりあいつだったんだな、ストーカーは。自転車のチェーンまで外すなんて、信じられないよ。歩いて帰るしかないオレを、待ち伏せするためにやったんだろうけどさ。
でもこれで、安心して鷹峰さんとの恋を進めていける。
クリスマスイブ──オレを抱いてくれるかな。
鷹峰さんは自分も男が恋愛対象だと言ってはいたけど、オレとは違って自覚してまだ日は浅い。
「うん、やっぱりオレが、しっかりしないと」
絶対に、初夜を失敗に終わらせるわけにはいかない。
オレ、頑張るからね、鷹峰さん!
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