第40話 助けて、怖いよ──

「頼む、間に合ってくれ」

 私は必死に車を走らせる。


 なぜもっと早くに、メールに気がつかなかったんだ。あの無意味なやり取りさえなければ……


 私はそう思わずにはいられなかった。


 ──それは三十分前のこと。


「さあ、恭一郞。好みの女性を選んでちょうだい!」


 そう言って、母がテーブルにお見合い写真をずらりと並べる。


「結構です。その件については、お父さんに約束を取り付けていますから」


 ここは退散したほうがよさそうだ。

 私は素早く席を離れた。


「ダメよ。そんな約束、私は知らないもの。さあ、選んで。でないと帰さないわよ」


 私を追い抜いた母が、玄関に立ちはだかる。まるで仁王立ちだ。


「何を言われようが、お見合いはしません」


 不毛な押し問答を繰り返し、やっと解放されたのは午後九時半を過ぎたころ。

 脱力し車に乗り込んだ私は、交通情報をチェックするため、スマートフォンを開いた。


「あれ? 理央君からメールが来ている」

 大学から帰ったと、一度連絡は受けていた。なのに──


「何! 新城が来た──」

 文面を目にし、顔からスーっと血の気が引いていく。


 私はすぐさま送られて来た時刻を確認した。


「九時十分か……。今が九時三十五分。まだ店にいるだろう」


 急がなければ。だが、どんなに急いでも一時間はかかってしまう。

 気が急く中、何事もありませんようにと、ただそれだけを祈った──


 そして私が理央君のアパートに着いたときには、午後十時半を過ぎてしまっていた。


「部屋が暗い。まだ帰ってないのか」


 車から飛び出した私は、レストランに続く道順を辿る。


 愛おしい人の姿を求めて駆ける靴音が、夜の闇に響く。

 途中、電話をかけてみたが繋がらない。


「理央君──」


 寄り道していようと、鼻歌交じりで呑気に帰ってこようとも、無事ならそれでいい。


 自分の胸騒ぎが、ただの杞憂で終わることを願った。

         

 ★★★


「さあ、僕の部屋においで」

 新城さんがオレの腕を掴む。


「嫌です、放してください」

 腕を振りほどこうとするも、後ろから抱き込まれ動きを封じられる。


「どうして? やっと二人きりになれたのに。いつもあいつに邪魔されて、もう我慢の限界なんだよ」

「何を言ってるんですか? オレは、新城さんの部屋になんか行きません!」


 語気荒く抵抗を見せると、新城さんが激高する。


「君は僕のことが好きなんだろ! 言うことを聞けよ!」

「はあ? 好きなわけないだろ! 放せったら、放せー!」

「ふん、嘘はいけないな。僕に熱い視線を送っていたじゃないか。話だって楽しそうに聞いてくれた」


 大きな勘違いだよ! オレは、鷹峰さんのことが知りたかっただけだ。


 焦るオレの首筋に、新城さんの荒い息がかかり怖気おぞけが走る。


 それに……


 何か硬いものが、お尻に当たってるんですけど!


「お前なんか嫌いだ! オレには、他に好きな人がいるんだよ」


 そう言った瞬間、新城さんの纏う空気が変わった気がした。


「へぇー。でも残念だったね。待っても助けは来ないと思うよ。今日は実家に行ってるはずだからね、。僕は今日、本社に行っていたんだよね。それでさ、小耳に挟んだってわけ」


 確かな情報だと耳元で囁き、ククッと喉を鳴らす。


 こいつ、鷹峰さんのこと、調べてたのか。


 彼が今日来ないと知り、オレのアパートを張っていたのかもしれない。そこに予定外のバイトで出かけたオレを見て、レストランに来た。

 チャンスが来るのを、ずっと待っていたなんて。


「だからさ、おとなしく僕の部屋においでよ。楽しいこと、しよう──」


 新城さんが首元に顔を埋めてくる。そして、オレの首筋をねっとりと舐め上げた。


「や、やめろ! 気持ち悪いんだよ」


 必死に体をよじらせる。だけど、暴れるオレを楽しんでいるかのように、今度は手のひらで股間を撫でられる。


「触るな! クソ」

 悔しさで涙が滲む。


 あんなこと、考えるんじゃなかった。解決しなくてもいいだなんて。


 後悔と恐怖で身体が震えだす。


 オレは……オレはどうなるんだよ──


「おや? 震えているね。そうか、寒いんだね。近くに車を止めてあるんだ。さあ、行こう。僕の部屋は温かいよ。手料理もご馳走するからさ」


「うっ──」

 腹部に激痛が走り、オレはくの字に身体を曲げる。


「理央君が悪いんだよ、浮気するから。素直に謝れば、許してあげたのに……」


 身体に力が入らなくなり、引きずられるように連れて行かれる。


 あ……れ?


 遠ざかるリュックから、スマホの着信音が聞こえた気がした。


 鷹峰さん……かな。


 助けて、怖いよ──




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