第38話 今日くらい……まぁいいかぁ

 仕事を言い訳に、今日もまた玄関先で引き上げてしまった。

 このままでは、理央君との関係が壊れてしまう。彼にあんな顔をさせる私は、なんて不甲斐ないんだ。


 いつも別れ際に見せる、切なげな顔。

 原因は私の態度のせいだとわかっている。


 少しの時間なら、大丈夫なのでは? 


 そう思ってはみるものの、態度を改めることができずにいた。


「どうしたらいいんだ、私は──」 

 ハンドルを握る手に、グッと力が入る。


 理央君を傷つけたくなくて、部屋には上がらず帰っていることが、かえって彼を苦しめている。


「理性もコントロールできないとは、情けない」


 日増しに理央君への愛が深くなり、自分の中の欲望も合わせて大きくなっていた。彼と抱き合う夢を見てしまうほどに。危険信号が灯るのだ。部屋に二人きりでいてはいけないと。


 そして等しく、もう一人の自分がそそのかす。恋人同士なのだから、身体を重ねて何が悪い。早く抱いてしまえと。


 いつ理性のバランスが崩れてしまうかわからない。押さえが効かなくなりそうで怖い。本能のままに彼を求め傷つけてしまったらと思うと、二人きりになることに臆病になってしまう。


「私は、恐れているんだな」


 自分の中にある淫らな心情。それらを知られてしまうことで、彼に軽蔑されるのではないかと。


 だから、言えない──


 そうか、あのときの理央君は、こういう心境だったんだな。


 どれだけの勇気を持って、彼は女装のことを打ち明けたのか。


「私も正直に話さなければ」

 たとえ幻滅されることになったとしても、誤魔化してはいけない。

 これ以上、理央君を不安にさせないためにも。


 次に会えるのは、彼のバイトがある二日後。

 その日に、必ず打ち明けよう。


 そう堅く決心した。


 ★★★


 あくる日、私は仕事帰りに都内のデパートへ立ち寄った。


『恭一郞、クリスマスも近いことだし、プレゼントでも持って母さんに会いに行ってやれ。お前がなかなか顔を出さないから、寂しそうだったぞ』


 廊下を歩く私を呼び止めた父から、苦い顔で言われたからだ。


 まったく、社内で言うことではないだろう。


 とはいえ、半年近く実家に顔を出していないのは事実。

 幸いなことに、今日は理央君のバイトの日ではない。先ほど大学から帰宅したと、メールもあった。


 実家に寄るなら今日しかないと、母の好きなブランドのスカーフを求めて来たはいいが……


 どれがいいのかわからないな。


「すまないが、五十代後半の女性にスカーフを贈りたいんだが、見繕ってもらえないだろうか」

 私は近くにいた女性店員に声をかける。


 ブランド名を告げると、三点ほど候補を選んでくれた。その中から、白地に花のモチーフのあるものを選び、ラッピングを頼んだ。


 クリスマスプレゼントか。理央君には何がいいだろう。


 待つ間、考えてみる。


 ……学生が好みそうなものが思いつかないな。


 本人と一緒に選ぶほうが、間違いはないだろう。しかしそれでは芸がない。


 そうだ、BL小説を百冊プレゼントするのはどうだ? 我ながら名案では……いや、知識のない私では無理か。


 部屋にあれだけのBL小説を所持していることを思えば、彼の持っていない本を選ぶなど至難の業だろう。


「お待たせしました」


 考え込む私に、店員が声をかけながら近づいて来る。


「ありがとう」

 ラッピングされた母へのプレゼントを受け取り、私は実家へ向かった。


 短時間で解放されるといいんだが──


 今日は特に用事があるわけではない。

 ただ、母は話が長い。私が独身だということも、その理由の一つではあるが。


 私はため息をつきつつ、実家のガレージに車を滑り込ませた。


 ★★★


『理央君、申し訳ないんだけど、今日これから、バイトに入ってもらえないかな』


 大学から帰ってきたオレが人心地ついていると、マスターから電話がかかってきた。もともと入るはずだったバイトの子が、急に来られなくなったという。


「いいですよ。行きます」


 マスターには日頃からよくしてもらっている。オレは心よく引き受けることにした。


 鷹峰さんに、知らせたほうがいいのかな。


 帰宅が遅くなる日は、必ず連絡するよう言われている。


「でもなー、今日くらい……まぁいいかぁ。帰宅したって、もうメールしたあとだし」


 それに最近は、ストーカーからの手紙も届いていない。自転車でさっと帰れば問題ないだろう。


「もう諦めたのかもしれないな」


 平穏を取り戻したオレは、すっかり油断していた。



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