第37話 やっと恋人同士になれたんだよ?
あれから十日。ストーカーはなりを潜めている。
というのも──
「待たせてすまない」
オレがバイトで遅い帰宅になるときは、鷹峰さんがこうして迎えに来てくれていた。
やっぱり有能な人なんだな、鷹峰さん。だってオレのスケジュールを、すべて把握してるんだから。もちろん伝えはしたけどさ。
彼はまず、オレの大学での時間割を知らせるよう要求してきた。
オレはサークル活動の類いはしてないから、友人と遊びに行かない限り、帰りが遅くなることはないんだけど。
一応そう説明すると、鷹峰さんは帰宅時間の目安になるから教えてほしいと言った。
ということは、その時間にオレが『帰宅しました』連絡をしないと、鷹峰さんを心配させてしまうわけで。
約束したから、ちゃんと連絡はしてるけどね。
「オレのほうこそ、遠いところをありがとうございます」
「いいんだ。私がしたくて、やっていることだから。それに、愛おしい理央君に少しでも会いたいからな」
鷹峰さんの愛情表現は直球で、臆面なくさらっと言ったりする。言われたオレのほうが恥ずかしくて、頭から火柱が立ってるんじゃないかって思うことも間々あった。
「どこか寄りたい所はある?」
鷹峰さんはオレがなるべく一人で行動しなくてすむように、気を配ってくれている。
「コンビニに寄ってもらっていいですか? パン買い忘れちゃって」
「わかった。今日は川向こうのコンビニへ行こう」
以前、新城さんと鉢合わせしたコンビニは避けている。彼は新城さんの住所を調べたらしく、出くわす可能性が極めて低い場所をチョイスしているらしい。
やると決めたら、とことんやる。
味方でよかった。敵には回したくないタイプだ。
もしかして、エッチもとことんヤル──タイプだったりして……
「今日は、忙しかったのか?」
急に黙り込んだオレを心配してか、彼が問いかけてくる。
「あ、うん。十二月は特に忙しいよ。若いとはいえ、疲れた~」
誤魔化すように、腕を前に伸ばす。
エッチな妄想してたなんて、言えないよ。心配してわざわざ来てくれてるのに。
「着いたよ。私も一緒に行こう」
本当に、超がつく過保護なんだから。
大丈夫だと言っても却下されることは、この数日で検証済みだから、素直に好意は受けておく。
「鷹峰さん、今日はゆっくりしていける?」
最近の彼はオレを送り届けると、すぐに帰ってしまう。なぜなのか、先日聞いてみた。
『もしストーカーが見ていたら、嫉妬で何をしてくるかわからない』
余計な刺激は与えたくないのだという。
確かにそうだけどさ。でも、やっと恋人同士になれんだよ?
オレとしては、もっと二人の時間を過ごしたい。イチャイチャだってしたいのに。
それにさ、初めてキスをした日以来、何もないなんて信じられる?
キスすらしてくれないって、オレに魅力がないのかな……
「そうだな。コーヒーを飲む時間くらいなら」
思いが通じたのか、そう言ってくれたことに、オレは安堵した。
★★★
「はい、座って」
部屋に通した鷹峰さんに、買っておいた座布団を進める。
それからオレは素早くコーヒーを用意して、テーブルに淡いブルーのマグカップを置いた。
「ありがとう。これは……お揃いなんだな」
ふっと微笑を浮かべ、彼がマグカップを手に取る。
気づいてくれた!
好きな人と、お揃いのカップでコーヒーを飲む。ただそれだけのことだけど、心が躍る。
でも……そう思っていたのは、オレだけだったのかな。
「ご馳走さま。そろそろ帰るよ」
鷹峰さんはコーヒーを飲み干すと、すっと立ち上がる。
「えっ! もう帰るの?」
玄関に向かう彼を追いながら、弱々しい声が出てしまう。
彼には仕事がある。無理を言ってはいけない。
頭ではわかっていても、寂しい気持ちが膨らみ気持ちが沈む。
「すまない。これは、私自身の問題なんだ」
振り返った鷹峰さんは、暗い顔のオレを見て苦しげに眉根を寄せた。だけどオレの頭をそっと撫でただけで、戸締まりするよう念押しして、ドアの向こうへ消えていった。
オレ、子どもじゃないんだけどな。
それに、私自身の問題って、どういう意味?
「やっぱり、男は無理だった──ってこと?」
オレは閉じられたドアを前に、愕然と立ち尽くす。
「違うよね……鷹峰さんに限って、そんなことあるはずない」
自分の考えを必死に打ち消す。彼は不誠実なことをする人じゃない。
そう思うことで、オレはなんとか気持ちを立て直した。
★★★
その後も鷹峰さんは、変わらずオレを迎えにやって来る。そして、そそくさと帰っていく。この繰り返しだった。
今日もオレは、ドアの向こうに消えて行く彼の背中を見送った。
『まだ仕事が残っているんだ』
そんなふうに言われたら、無理に引き止めることはできない。
初めて恋が実ったはずだったのに。一人で浮かれてたなんて、バカみたいじゃないか。
日増しに募る不安から、先日『オレのこと、好き?』と聞いてしまった。即座に彼は『もちろんだ。好きだよ』と言ってくれた。嘘を言っているようには見えなかったし、本心だと思えた。なのに、よそよそしく感じるのはなぜだろう。
考えれば考えるほど、頭をよぎるのは最悪なことばかりだ。
友人の関係に戻りたいのではないか。
好きだけど、男と思うと抱く気になれないのではないか。
関係を白紙に戻されたらと思うと、悲愴感が重くのしかかり、自然と視線が下がる。
「このまま、終わりが来たらどうしよう」
そんなの、嫌だ。どうしたら、彼をつなぎ止めていられる?
オレは頭を抱え、必死に考える。
そうだ、ストーカー。
心配性で過保護の鷹峰さんなら、この件が解決するまで、オレと関わることを止めないはずだ。
「だったら、今のままでいい。そうすれば、ずっと側にいてくれる」
あ……なんて最低なんだろう、オレ。こんな腐った考えをするなんて。
これでは避けられて当然だ。
彼が好きになってくれた、明るく頑張り屋の自分でいないと。
オレは俯けていた顔をスッと上げる。
「まだ本人から、何も言われてないじゃないか」
彼の口から聞くまでは、余計なことは考えない。
好きな人を信じられなくでどうするんだ。
心に潜む弱い自分を完全に打ち消すために、オレは何度も言い聞かせた。
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