第33話 聞いてもいいだろうか

「鷹峰常務、わざわざ足を運んでいただいて──」


 小山さんから相談があると連絡をもらった私は、久しぶりに書店に赴いていた。なかなか足が向かなかったのは、理央君への気持ちの整理がついていなかったことが原因だった。


 仕事に支障を来たすとは、情けないことだ。


「いや、私こそなかなか来られずに申し訳ない。相談とは、イベントの件だったな」


 本を買う方法が様々ある近年、ただ本を売るだけでは、書店の生き残る道は厳しい。特典など、何らかの特別感が必要ではないだろうか。


「はい。クリスマスにちなんで、駐車場の一画にステージを設けて何かできないかと」


 そう言って小山君は、スタッフの皆で考えた案をいくつか語った。


「本を買ってくれた人に、ビンゴカードか。子どもは喜びそうだな」


 景品は本についていた付録や、書店で使えるカード。一番の目玉は、鷹峰グループのホテルで使えるディナー券だ。


「企画書があるなら、本社に持ち帰って社長に話を通すが」


 私が後押しすると言うと、小山さんは自分がサンタクロースに変装して盛り上げますと、ガッツポーズをする。

 なんとも頼もしい店長だ。この意気込みを、空振りさせるわけにはいかない。


 早々に本社に戻り、社長にかけ合うと伝え、私が帰ろうとしたときだった。


「そういえば、あの女の子。ここ最近まったく来てないんですが、何かあったんですか?」

 そう不穏な言葉を口にした。


 あれほどBL小説に熱い彼女が、来ていない?


「たまたま、忙しいだけでは?」

「でも、二ヶ月近くですよ。私がいない時にでも、来ているかと思ったんですが、それもないようで。何せ長時間いますからね、彼女。誰かが気づきますよ」


 そんなふうに言われると、心配になってしまう。私が連絡を絶ったからだろうか。


「それは気になるな。連絡してみよう」

 そう言い残し、書店から出たものの、連絡先は消してしまっていた。


「様子だけでも見に行ってみようか……」

 運転席に座り、しばし考える。


 遠目で見るだけなら、許されるのではないか。


 理央君に会いたい気持ちが、いつもそう自分に訴えてくる。しかし、今日は彼女の様子を見に行くのであって、彼に会いに行くわけではない。そう自分に言い聞かせ、私は車を出した。


 ★★★


 夕闇の先に、御崎さんの住むアパートが見える。しかし部屋の明かりはまだついていなかった。

 私は路肩に車を止め、しばらく待つことにする。


「理央君──」


 この景色を見ると、あの日、彼女の部屋へと消える理央君の後ろ姿を思い出してしまう。切なさが込み上げてきて、胸が締めつけられる。そして、無性に顔が見たくなった。


 私はスーツの内ポケットから、スマートフォンを取り出す。

 たった一枚の、理央君の写真を画面に映す。あどけない寝顔の写真。どうしても、消すことができなかった、思い出の一枚。


「この写真を、消せる日が来るだろうか」


 そう思うたび、いつも何者かに心臓を握り潰されたかのような痛みが胸を襲う。理央君に出逢うまでは知らなかった感情に苦しめられる。


 いつまでも未練がましいな、私は……


 気持ちを切り替えなければと、画面を消し内ポケットに仕舞う。そしてふと、バックミラーに視線を向けると、うっすらとこちらに近づいて来る人影が見えた。


 御崎さんだろうか。


 私が目を凝らすと──


「理央君……か?」

 突如、心臓が暴れ出す。


 私は咄嗟とっさに、ジャケットの上から左胸を押さえる。でなければ、心臓が飛び出してしまいそうだった。


 ミラーに映る、会いたくて堪らなかった、愛おしい人。だが──


 なんだ……? 様子が変ではないか。


 そわそわと落ち着かない様子で、頻繁に後ろを振り返りながら歩いていた。あの明るく朗らかな彼が、今は俯き身体を竦めるようにして頼りなく見える。

 そんな理央君を見てしまったら、もう衝動を押さえることはできなかった。


「理央君!」


 車から飛び出し、彼の名を呼ぶ。

 私の声に、理央君はびくりと肩を震わせ身体を硬直させてしまった。私はもう一度、彼の名を呼んだ。今度は優しい声音で。


「た、鷹峰……さん?」


 顔を上げた彼は、私を見留、目を大きく見開いた。

 街灯に照らされた理央君の表情は、可哀想なほど強張っている。


「──久しぶりだね」


 私が語りかけると、理央君の顔がくしゃりと歪み、瞳から涙がこぼれ落ちる。


 な、何があったというんだ!


 私が一歩を踏み出すと、合わせるかのように理央君が駆け寄ってくる。

 両手を広げると、彼は私の胸にように飛び込んできた。


「ううっ、う……、たか……み……ねさ……ん、オレ、うっ、オ……レ」


 言葉にならない彼を、そっと包み込むように抱きしめる。背中をさすりながら、落ち着くよう宥める。


 どうしたらいい? どうすれば笑顔になってもらえる?


「モッ、に足を取られたんだね。……だったかな? 大丈夫? 一端、車に乗るかい」


 アパートは目と鼻の先だが、支え無しでは立っていられないのではと思うほど、理央君が弱々しく感じられた。


「ふふ、このタイミングで冗談って、変なの。でも……ありがとうございます」


 強張こわばっていた身体が弛緩しかんするのがわかった。以前教わったとおり口にしてみたが、リラックスできたようでよかった。


 頷く彼を確認した私は、助手席に乗せ、アパートのすぐ前に乗りつける。


「困らせてごめんなさい」

 俯いたまま、彼が謝罪を口にする。


「いや、いいんだ。何かあったのか、と聞いてもいいだろうか」


 御崎さんとの間で、揉め事があったのだとしたら?


 それは……私の、せい──


 だとしたら、自分ではなんの慰めにもならない。 

 しかし今は、なかなか口を開かない理央君を、辛抱強く待つ。


「──部屋で聞いてほしいことがあるんです。少しお時間いただけますか?」


 そう口にした彼は、何かを決意したような、強い眼差しを向けてきた。





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