第31話 切ない気持ち

 出張の前日──

 御崎さんから借りた本が、手元に三冊ほどあった。出張前に返しておいたほうがいいだろう。 

 

「突然尋ねるのはNGと言っていたが……ポストに入れる分には問題ないか」


 今日は午後から鷹峰書店に行く予定がある。帰り際にでも、寄らせてもらおう。


 私はそう判断し、本を袋に入れて出社した。


 そして予定通り、午後から新店舗の鷹峰書店に赴いたのだが──


 企画などの打ち合わせに時間を取られ、予定より店舗を出るのが遅くなってしまった。


「行きに寄るべきだったな」

 

 書店を出たのは午後七時。日の短さに加え、空気も冷え込んでいる。


 ポストに本を入れるだけとはいえ、夜にこっそりしのぶようで気が引ける。


 日を改めるか? いや、帰国が長引くことも考えられる以上、やはり今日、返しておこう。


 私は急ぎ車を走らせる。そして彼女のアパートまで、あとひとつ曲がれば着くというときだった。信号待ちをしていると、すっと前方を見知った姿が横切った。


「あれは……理央君か?」

 まさか、ここで会えるなんて。


 バイト先を考えれば、この近辺が彼の生活圏内なのは頷ける。

 私は呼び止めようと、逸る気持ちを抑えつつ、信号が変わると同事に右折した。がしかし、自転車に乗った彼に追いつくことはできなかった──というよりも……


「あそこは……御崎さんの住むアパート──」

 視界に映る、アパートの二階の廊下を歩く彼の姿。


 私は無意識に車を路肩に寄せ、ブレーキを踏んでいた。

 

 胸が妙に騒ぐ──


「あの部屋は、彼女の……住む……部屋」


 理央君が辿り着いた、その先──

 彼の背中が、ドアの向こうに消えていく……


「御崎さんは、理央君の恋人……だったのか」


 力のない声が、微かに震える。

 突きつけられた現実に、身体を地面に叩きつけられたような衝撃が胸を打つ。


「そういう……ことだったのか」


 思い返せば『急に来るのはNG』と、御崎さんは言っていた。それは理央君と鉢合わせしないようにするため。

 そして、理央君が送らせてくれなかったことも、同じ理由。


 りんごも……そういうことか。


 いただき物で作ったというジャムは、実家がりんご農園だという理央君からだった──


 そういえば……理央君のことを話したとき、御崎さんは妙に戸惑い慌てていた。


 私は全てに合点がいく。


 彼女はどう思っただろうか。自分の恋人を好きだと言う男を。それも恋愛相談までされて。


 きっと言い出せなかったのだろう。優しい彼女には。応援してくれたのも、恋愛に興味を抱いた私をがっかりさせないためだったのかもしれない。


 もしかして、理央君が私と一緒に出かけてくれたのは、御崎さんに頼まれたから?


「私は──愚かだな」


 片手で顔を覆い、項垂れる。

 二人の関係に気づける共通点がいくつもあったのに、恋に舞い上がっていた私は見逃してしまった。


「もう終わりにしなければ」


 潔く身を引かねばと、頭では理解している。なのに、ブレーキを踏む足が離れない。


「今頃……わかるなんて──。これが……切ない気持ち……か」


 胸の痛みに、顔を顰める。けれどいつまでも、止まっているわけにはいかない。


 縁を絶つには、本を返さなければ。そして、二度と連絡は取らない。レストランにも行ってはならない。


 そう心に言い聞かせた──


 この日を境に、私はただひたすらに仕事に打ち込んだ。出張先での役割も無事果たし、昨日東京に帰ってきた。その日のうちに、スマートフォンも変えた。これでもう彼女から連絡が来ることはない。


 以前の自分に戻るだけ。そう、以前の自分に──



 

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