第30話 記念にいいだろうか
「今日はどこに行くんですか?」
助手席に座る理央君から、期待の籠もった視線を感じる。
「横浜の中華街で食べ歩きなどどうかと思ったんだが、いいだろうか」
中華街周辺には、有名な公園やスタジアムなどがある。
私がデートプランを一通り話すと、理央君は満面に笑みを浮かべた。
「すごく行ってみたい! オレ、旅行とか
旅行の機会があまりなかったのなら、観光メインの今日のプランは最適かもしれない。
そう思う傍ら、理央君が私に気を遣ってそう言ってくれたのではないか、という不安もあった。
しかし時間の経過と共に、そんな不安は消え去った。理央君は本当に楽しそうで、笑顔が弾けていたからだ。
中華街で中華まんを頬張る姿は、リスのようで微笑ましく、海に向かって走る姿は少年のように無邪気だった。
そしてデートの最後に選んだのは、様々なイベントが催されるこの季節、ネオンが綺麗だと紹介されていた海の近くにある観光名所だ。
「うわー、赤レンガの建物って、レトロ感があっていいな~」
「いろんな店が入っているよ、行ってみよう」
外はまだ、うっすらと明るい。ネオンが灯るのはもう少しあとだ。
「あ、あそこの雑貨屋に行ってみていい?」
「いいよ、好きなだけ見て回ろう」
「はい! 嬉しいな、今日だけでこんなに観光できるなんて」
上京したらいろいろと──そう思っていたのに、バイトが忙しくて行けずじまいだったという。彼の場合、節約しながらの生活だったこともあるだろうが。
「喜んでもらえてよかった」
はしゃぐ彼がとても愛らしい。もっといろんな場所に、連れて行ってあげたいと思った。
「あ、帽子屋さん発見!」
雑貨店を堪能した理央君は、次なる店へと目を輝かせる。
「行ってみようか」
ここを選んでよかった。面白みのない私とでは、間が持たないかと心配していたんだが。
理央君は受け身ではなく、自分から楽しもうとしてくれる。
「理央君には、ベースボールキャップが似合いそうだ」
棚に並べてある、紺色の帽子を手に取り彼の頭に乗せる。
「えー、芸術家みたいなのが似合ってほしいんだけどな。鷹峰さんはこれ、シルクハット!」
頭を下げるように言われ従うと、ふわりと被せられる。
「お~、貴族様みたいだ」
目を丸くする理央君は、本当に可愛い。
「次はあっちに行ってみよう」
帽子は堪能したようだ。気に入った物があれば、プレゼントしたかったのに残念だ。
その後も寄る店ごとに、彼はいろんな表情を見せてくれた。スイーツの前では「美味しそう」とうっとりとした目で見ていた。「食べる?」と聞くと「うーん、恥ずかしいからやめとく」と諦める姿には、頭を撫でたい衝動にかられてしまった。
理央君は甘い物が好きなようだ。今度、ケーキを手土産にしよう。
そして一通り見て回ったころ。
「グーキュルル」
歩き回ったせいか、理央君のお腹が派手に鳴る。
「あちゃー。お腹が文句言ってる。あんなにお昼に食べたのに」
頬を赤らめ照れる理央君は、実に微笑ましい。
「では、お腹のご機嫌でも取るとしようか」
「じゃあ、リクエストしてもいいですか? オリジナルのハヤシライス、食べてみたい!」
「いいよ。行こうか」
散策しているときに見つけた、洋食レストランへ向う。
午後六時を過ぎたばかりの夕食時で、三十分ほど待った。しかし理央君と一緒というだけで、その三十分もあっという間に感じた。
「うわ~、ハヤシに温泉卵が乗ってるよ。それに、ライスが茶色だ。オレ、こんなのはじめて」
スプーンを口へ運ぶ姿だけで、理央君がわくわくしているのが伝わってくる。
「ん~、このお肉、美味しい!」
美味しそうに食べる姿を見ているだけで、私はお腹一杯だ。
「そんなに美味しそうに食べてもらえたら、ご馳走のしがいがあるよ。また一緒に、食事に行ってくれるかい」
「喜んで! あっ、でも今度はオレにご馳走させてほしいな。してもらってばかりは嫌だから」
あぁ、なんて人だ。今まで私に、ご馳走したいなどと言ってくれた人はいなかった。
「その気持ちは、とても嬉しいんだが……実は、来週からしばらく、出張に行かなくてはならない。その間、君に会いに来られないんだ」
そう告げると、途端に理央君の表情が曇る。
「──しばらくって、どれくらい?」
「それが、はっきりとはわからない。早くても一週間後。長くなると、二、三週間は帰って来られないかもしれない」
私の言葉に、理央君はますますしゅんとしてしまった。けれど仕事なのだからと、笑顔を見せてくれる。
ふと私の胸に、不思議な感覚が生まれた。
これは……いわゆるキュンとする、ではないのか?
「それで、どこに行くんですか」
「海外だ」
「そうなんですか。遠いな……」
「お土産を買ってくるよ。どんな物がいい」
「えっ、ねだったつもりはないけど、ありがとうございます。じゃあ、美味しそうなお菓子をお願いしようかな」
そう言って小首を傾げる理央君は、言い表す言葉が見つからないほど、私の胸をキュンとさせた。
好きな人の仕草は、どんなものも可愛く思える。恋は盲目とはよく言ったものだ。
この幸せな一時が、しばらくお預けだと思うと辛い。
「そろそろ出ようか」
食事を終えレストランを出ると、すっかり日が落ちていた。お陰で今日のメインである、ライトアップされた夜の港町がとても綺麗だった。
しかし私は、夜景に見入る理央君を、ネオンそっちのけで見つめる。視線を感じたのか、彼が顔を向けてくる。目が合うと、照れたように微笑んだ。
「少し歩こうか」
肩を並べ、光の中を歩く。
「前に見た映画で、ネオンをバックにプロポーズするシーンがあったんです。『百年後も変わらず愛している』って。素敵だと思わない?」
「そうか? 百年後は死んでいると思うが。嘘は誠実さに欠ける」
「もう! ロマンがないんだから。そういうことじゃないんだけどなぁ」
理央君は呆れ顔だ。
せっかくのムードを壊してしまった。どこまでも現実主義の私には、心の機微は難解だった。
まだまだ恋愛修行が足りないな。
失言にため息を零す私に、理央君は真面目さの現れだと流してくれた。
私を理解しようとしてくれるその心に、また惹かれていく。
「これ以上は、身体が冷えてしまう。名残惜しいが帰ろう」
秋も深まり、冷たい風が並んで歩く二人の隙間を吹き抜ける。
「はい。また……一緒に出掛けたいな」
独り言のように呟く彼の声が、私の耳に届く。とてもこそばゆい感覚を味わった。
★★★
帰りの車中、はしゃぎ疲れたのか、理央君は寝てしまった。気を許してくれているようで嬉しいが、あどけない寝顔に、私はおかしな気を起こしそうで自身を律する。
──とはいえ。
「記念に、いいだろうか……」
着いたと起こす前に、こっそりスマートフォンで寝顔を撮ってしまった。
「理央君、着いたよ」
そっと肩を揺すって声をかける。
「ううん……あっ、ごめんなさい。オレ、寝ちゃったんだ」
「いいんだ。疲れさせてしまったね」
「いいえ、鷹峰さんのほうこそ、出張前なのに……」
「気にしなくていい。帰ってきたらまた会いに来るよ」
「はい。──あの、これ今日のお礼です」
別れ際、彼に小さな袋を手渡される。
受け取り開けてみると、赤い靴のキーホルダーだった。
なんて可愛いことをしてくれるんだ、理央君は。
今日という記念日を、私は絶対に忘れない。
「ありがとう。どこにつけようか」
その場で思案し、車のキーケースに付けることにした。
「実は、オレも同じ物買ったんです。本当は内緒でお揃いにしようと思ってたけど、我慢できずに喋っちゃいました」
恥ずかしそうに、秘密を打ち明けてしまう姿に魅了される。
あぁ──愛おしい。
「理央君はどこに付けるんだ?」
「うーん、それは秘密です」
教えてくれないことに、ガクリと肩を落とし、大袈裟に落胆してみる。
「あ、あの、出張から帰ってきたら教えてあげます! だから……会いに来てくださいね」
あぁ……なんていじらしいんだ。
「必ず、会いに来るよ」
「はい、待ってます。それじゃあ、おやすみなさい」
車を降りる彼を引き留め、抱きしめたい衝動に駆られる。
これはもう、キュンとするレベルの鼓動の高まりではない。
私はなんとか理性を総動員させ、手を振る彼に見送られるのだった。
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