第28話 奇妙な三角関係

「あ~、美味しかった。鷹峰さん、ご馳走さまでした」


 鷹峰さんの選んだ店は、畏まった店ではなく、気軽な定食屋だった。きっとオレが気後れしないように、気遣ってくれたんだと思う。


「美味しかったなら何よりだ。遅くなってはいけない。そろそろ帰ろう」


 もっと一緒に過ごしたいけど、真面目な彼にまだ帰りたくないと駄々をこねるわけにはいかない。


 名残惜しいけど、まだ車で帰る間は話ができるしね。


「理央君の弟さんは、何かスポーツしているのか」


 車に乗り込んだところで聞かれる。

 後部座席に置いてある、紙袋が目に入ったからかもしれない。


「弟は高校二年生なんですけど、毎朝のジョギングが日課なんです。これから寒くなるし、いいかなと思って」


 積極的に家業を手伝うこともあってか、弟の幸太こうたはオレと違って体格がいい。

 

 オレもそこそこには手伝っていたけど、やっぱり向き不向きはあると思う。


「理央君は、弟さん思いなんだな」


 違う……自分の中に、負い目があるだけ。実家の家業を押しつけて逃げてしまったことへの。


「そんなことないですよ。鷹峰さんこそ、何かスポーツしてるんですか? 体格いいですよね」


「あまりスポーツは得意ではないが、ジムで体力維持に務めている。激務に耐えられるくらいにだが」


 そんなところにまで、真面目さを発揮するんだね。もう、感服だよ。


 仕事のために、か──


「そういった意味でいえば、弟も同じかも。オレの実家、りんご園を営んでいるんです」


 農業は体力勝負みたいなところがある。


「そうなのか。では、ゆくゆくは家業を?」


「いえ……、弟が継いでくれるんです。オレが上京してしまったから──」


 目を伏せるオレの横顔を、対向車のライトが照らす。それを鷹峰さんはちらりと見たようだ。


「それは……話し合った上で、決めたことではないのか?」

 

 遠慮がちに問われる。


「それはそうなんですけど。悩んでたオレのために、無理してるんじゃないかって思ってしまうんです」


 進学したいならするべきだ。そう背中を押してくれたのは弟だった。両親は地元に残ってほしそうだったけど、『家のことは心配するな。俺の方が兄ちゃんより、りんごに愛されてるんだからさ』って言ってくれて。


 嬉しかった。でも、考えずにはいられない。弟にもやりたいことや、夢があったんじゃないかって。


 一人で抱え込むのが苦しくて、鷹峰さんに吐露してしまった。もうひとつの胸の内、男が好きな自分では、跡継ぎが残せないから逃げ出した、というのは言えなかったけど。


 鷹峰さんにも、この問題は付きまとう。御曹司なんだから──


「世の中、好きなことを仕事に出来る人間はごくわずかだ。しかし人というのは、好きだけでは続かない。なぜなら、好きで始めたことや、興味が湧いて始めたことは、その気持ちがなくなったら辞めてしまうからだ」


 鷹峰さんは自分の持論だが、と付け加える。


「大切なのは、使ではないだろうか。理央君の弟さんは、覚悟を持って決断した。その思いを信じて応援していくことが、君の使命だと私は思う」


 故郷から離れていたとしても、できることはある。そういって鷹峰さんは、例えばといくつか語ってくれた。 


 経営に行き詰まったとき、自然災害に遭ったとき、新たな企画を思いついたとき。すべてにアドバイスできるよう、知識と人脈を得ておく。困ったときは、兄がいてくれるというのは、弟にとって心強いのではないかと。


「そんな風に考えたこと、なかったです。オレはずっと、押しつけて逃げ出した、申し訳ないって、そればかりで」


「苦しんでいたんだね。だがそれでは、弟さんの志を踏みにじることになる」


「え……?」


「自分が盛り立てていこうとしていることを、嫌々やらされているみたいだろう?」


 目から鱗が落ちた。

 弟の性格を、よく知っていたはずなのに。


「そうですよね。弟は誇りを持って、りんご作りに励んでいたのに」


 丹精込めて世話をすれば、それに答えるように色艶がよくなるんだと言っていた。


「鷹峰さんに聞いてもらえてよかったです。なんだか心が軽くなりました」


「それはよかった。これからも、何かあったときは私に相談してくれると嬉しい」


 やわらかな笑みを浮かべたあと、「もう着いてしまった」と鷹峰さんが小さな声で呟いた。


「はい、そうさせてもらいます。あの、今日はいろいろと、ありがとうございました。すごく楽しかったです」


 鷹峰さんのことをもっと知りたかったのに、自分のことばかり話してしまった。


「本当にここでいいのか?」


 本当は自宅まで送ると言ってくれたけど、御崎と同じアパートに送らせるわけにはいかないから、バイト先でとお願いした。


「はい、自転車を置いたままにはできないので」

 断り方が不自然にならなくてよかった。


「それもそうだな。今日は私も楽しかったよ。また、誘ってもいいだろうか」

「はい! 誘ってほしいです」

「よかった……では、気をつけて」

「鷹峰さんも、運転、気をつけてくださいね」


 オレは車が見えなくなるまで見送った。


「警戒してるって、思われたかな」


 連絡先を聞かれたとき、オレはスマホを忘れてきたと嘘をついてしまった。もともとオレは、あまりスマホを見る習慣がないから、デート中、 ずっとリュックから取り出すこともなかった。


 だからオレが言ったこと、信じてくれてると思うんだけど……


 今日は誤魔化せた。でも次は? 


 御崎と同じ電話番号を、教えることはできない。


 いっそのこと、もう一台スマホ買う? 無理だよな、お金かかるし。


 自転車に鍵を差し込みながら思い悩んでいると、背負うリュックから振動を感じた。


「あ、鷹峰さんだ」


 リュックから取り出し見ると、別れたばかりの彼からだった。


「どうしよう。ますます言えないよ──」


 それは御崎への報告だった。


 デートがこんなに楽しいものだとは知らなかった。誘うことができたのは、御崎さんのお陰だ。という内容に、オレは嬉しい反面、不安になる。


「よっぽど嬉しかったってことだよな……」

 車を止めてまで、今の気持ちを誰かに伝えたかった。


 その相手が、御崎──


 怖い。信頼を裏切ることになったらと思うと。それに……


 奇妙な三角関係になってるよな、これ。


 今後も、この三角関係が続くのだとしたら。


 オレは……堪えられるのか、罪悪感に。


 デートの帰りだというのに、オレは自転車には乗らず、俯きとぼとぼと重い足を運びアパートに帰った。


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