第23話 最適な教科書

 私が恋……


 信じがたいが、御崎さんが言うのならそうなのかもしれない。

 こうしている今も、彼に会いたいと思っていることが証拠だろう。加えて彼の笑顔が自分以外に向けられると思うと、気に食わないという感情が湧いたことも事実。


「そうか……この気持ちが恋なのか」

 初めて感じる、この表現し難い感情。


 しかし、この先どうしだらいいのだろう。

 私は彼と、どうなりたいと思っている?


 そう自身に問いかけてみる。


 親しくなりたい。彼のことをもっと知りたい。これが自身の心の欲求だった。


 そのためには、地道にレストランに通って、鷹峰恭一郞という男を知ってもらい、信頼を得る。


「上辺だけの親しさでは、意味がないからな」


 指針が決まれば、次は行動だ。いつ会いに行こうか。

 少しでも会話を交わしたい。となると、ランチタイムが最適だろう。前回同様、客足の引く時間帯を狙って行くことに決めた。


 ★★★


 明くる日。

 本社での仕事を終えた私は、新店舗の鷹峰書店に向かっていた。


 というのも、午後二時ごろだっただろうか。


御崎みさきさん……でしたかね、常務に渡してほしいと本を預かったんですが』

 と店長の小山さんから電話がかかって来たのだ。まだ借りたまま、読めずにいる本があるというのに。


「閉店十五分前か。間に合ってよかった」


 鷹峰書店の営業時間は、午前十時から午後十時までとなっている。


「お疲れ様、閉店前にすまない」


 レジカウンターに行くと、締めの作業をする店長の姿があった。


「いえいえ。はい、預かり物です」

 私は茶封筒に入ったものを受け取る。


「ありがとう。手を止めさせてしまったな」

 また今度、ゆっくり来ると告げ、すぐに店を後にした。


 ★★★


 自宅マンションに帰り着いた私は、早々に封筒を開けた。中には一冊の本と、メッセージカードが入っていた。


 それにはこう書かれてあった。


『恋愛初心者の鷹峰さんへ。この本は、今まで一度も恋をしたことがない騎士が、主人公と出会ったことで少しずつ恋心を自覚していく物語りです。参考にしてみてください』


「なるほど。私に最適な教科書ということか」


 同封されたメッセージから、御崎さんが私のことを心配して用意してくれたことが伺える。


「お礼のメールをしておかないとな」

 私は上着のポケットから、スマートフォンを取り出した。


『今晩は。本をありがとう。参考に読んでみるよ。連絡をもらえたら、私が取りに伺ったんだが、わざわざ書店まで足を運ばせて申し訳ない』


 送信後、三分と経たずに返信が来る。

 なんとも早いことだ。きっと待ち構えていたに違いない。


『どういたしまして。本を買うついでだったので、お気になさらず!』


 ここまで応援されたら、ますます頑張らないといけないな。


 自然と頬が緩んでしまうことに戸惑いながら、早速行動に移すべく手早くシャワーを済ませる。

 それから本を手にソファーに座った。


「なるほど、合点がいくことばかりだ」

 本を読み進めるうち、自分との共通点が多々あり目を見張る。


 あの日、彼を一目見たときに感じた衝撃。


「一目惚れ──私は彼に、一目惚れしたということか……」

 私は呆然と呟く。


 世の中に、本当に存在するんだな、一目惚れなんて──


 私にとっては、まさに青天の霹靂へきれきだった。

 これから起きるであろう恋のあれやこれやに、私は対応できるだろうか。


 せめて知識だけでも得ようと、本に集中する。


「これは……経験するしかなさそうだ」


 言葉で理解はできても、感情がどう反応するのかが想像できない。

 根が勤勉な私は、早々に検証したくなるのだった。


 ★★★


 土曜日の昼下がり。

 レストランの駐車場に降り立ち、私は店内を伺う。


 いた……理央君の姿が見える。


「私は今、彼がいてくれて嬉しいと感じている」

 自分の胸に手を当て、この高揚する感情を味わう。


 店に入ると、いつものように笑顔で迎えられ、自分が照れていることに驚く。


 恋だと自覚した途端、こんなにも顕著けんちょに感情が反応するとはな。


 これは心理学について、学ぶ必要があるかもしれない。

 ついガリ勉気質が顔を覗かせてしまう。


 なんだか、今日の理央君はいつもにまして笑顔が輝いているな。


 そして自分も、彼の姿を目で追うだけで、幸せな気持ちになる。


 がしかし──


 また話かけるタイミングを掴めなかった。

 見惚れるあまり、会話まで辿り着けない自分が情けない。


 残念だが、また次がある。


 食べ終えたら速やかに。長いは店に迷惑がかかる。


 私は会計のために、レジへ向かう。そこへ、彼が急いでやって来た。


「お待たせしました」

「そんなに急がなくてもよかったのに」 


 微笑ましく思いながら、彼を見る。


「あなたのお会計は、オレーじゃなくて、僕が担当したかったから」


 頬を染め、照れた顔を見せる理央君を可愛いと感じ、彼同様、私の顔も火照る。


「そう言ってもらえると嬉しいよ。私は鷹峰という」

「鷹峰さんですね。僕は理央といいます」

「理央君か。君に良く似合っている」


 名前を教えてくれたといことは、今後私が「理央君」と呼んでも不自然ではない?


「ありがとうございました。またいらしてくださいね」

 はにかむ理央君に見送られ、私は店を出た。


 帰りの車中、スムーズに会話できたことを回想するうち、ふと彼の照れた顔が浮かぶ。


 ずっと見ていたいほど、可愛かったな。


 恋とは恐ろしい。堅物と言われている私が、ここまで変わってしまうとは。


「腑抜けにならないよう、自分を戒めることも必要だな」


 私にとって、仕事がおろそかになることは、決してあってはならない。恋などしたせいだ、などと言わせないためにも。


 今まで以上に、励まなければ。

 そう肝に銘じた。


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