第18話 どう解釈するべきかなぁ

 午後九時前になり、ディナータイムの客足が落ち着いたころ。


「じゃあ、私はそろそろ上がるわね。理央君、今日はラストまでお願いね」


「はい。お疲れ様でした」


 オーナーの奥さんがエプロンを外し、店の奥に消えて行く。


 店のラストオーダーは午後九時半。店内には二組のお客さんがいるだけだ。


 このままいけば、十時には上がれそうだな。


 そう思った矢先、一台の車が駐車場に入って来る。窓から窺い見ると、車から降りた人影は一人ようだ。


「お一人様、入ります」


 小声でオーナーに知らせると、出迎えのためにオーナーがカウンターから出て来る。オレはその間、銀製のトレンチに水とおしぼりを用意する。


 そしてフロアに出ると── 


「え──? な……んで」


 声にもならないつぶやきが口からこぼれた。


 鷹峰さんが来るなんて、思わなかった。なんの連絡もなかったから。


 驚きと緊張で、オレの手が微かに震える。上手く給仕できるだろうか。


 オレは一呼吸してから、彼の座るテーブルへ近づく。


「失礼します。こちらはメニューでございます。お決まりになりましたら、お呼びください」


 ランチタイムとは違うから、Bランチなんてないけど……


 それでも、なんらかのサインがあったらどうしよう。

 なんてね……鷹峰さん、オレに視線、向けてくれなかったな──


 視界にすら、入れてもらえないなんて。 


 手をギュッと握りしめ、やり場のない思いをやり過ごす。


 あ……オーナーに合図送った── 


 避けられてる? じゃあ、なんで来たんだよ。


 いたたまれず、オレは洗い場に逃げ込む。


 袖口をまくりスポンジを手にしたときだった。ふと、視線を感じたような気がした。


 顔を上げ、フロアに視線を向けると、鷹峰さんと目が合う。


 気まずいのはわかるけど……


 オレと目が合った瞬間、鷹峰さんは視線を逸らしてしまった。そんなやり取りを、数回繰り返す。


 何か言いたい事があるのかな。声をかけるタイミングが掴めないとか?


 オレとしても、この場で女装が趣味なのかと聞かれても困る。


 いっそのこと、メールで聞いてくれればいいのに。


 面と向かって問いかけるより、気も楽なはずだ。なのにそうはせず、ここまで来た彼の意図がまったくわからない。


 もしかして、オレから打ち明けられるのを待ってるとか?


 わざわざ姿を見せたのは、そういうメッセージだったりするのだろうか。だとしたら、怒っているわけでも、縁を切りたいわけでもない?


 なんだか勇気が出てきたかも。


 オレは一か八か、アクションを起こしてみようと決める。


 あ、食べ終わったみたいだ。そろそろレジに行くかな。


 鷹峰さんの様子を窺いながら、レジに入るタイミングを計る。


 よし、席を立った。今だ。


 意を決してレジに入ったオレは、渾身の笑顔で接客を試みる。


 がしかし──


 鷹峰さんは目元を赤く染め、目を伏せてしまった。


 もー! 何か言ってよ。勇気を振り絞ったっていうのに。


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 なすすべなく、オレは見送りの挨拶を口に乗せる。


「また、来させていただくよ」

 振り返った鷹峰さんは、ほんの少し口角を上げ頷いてみせ帰っていった。


 なんとなく、嬉しそうに見えたような……

 オレの気のせいじゃないよね。やっぱり、怒ってるわけじゃなかったのかも!


 あんなにも落ち込んでいたのが嘘のように、オレの心を覆っていた曇天どんてんは消え、晴れ渡った快晴へと変わった。


 ★★★


 バイトから急ぎ帰ってきたオレは、すぐに浴室に直行した。


「ふぅーさっぱりした」


 水に近いシャワーを浴びて、身体に籠もる熱を冷ます。

 九月に入ったものの、まだまだ蒸し暑い。


 オレは冷蔵庫から、ペットボトルの炭酸飲料を取り出し、一気に半分ほど飲み干す。


「ぷはー、よし、準備はOKだよ鷹峰さん!」


 もしかしたら、今日こそ彼から連絡が入るかもしれない。そう思い、喜び勇んで帰ってきたというわけだ。


「う~ん、まだ帰り着いてないのかな~」


 うんともすんとも言わない、手の中のスマホ。


 オレは一端、折りたたみ式のテーブルの上にそれを置く。

 腕を組みスマホを見下ろし、「さあ来い!」なんて話しかけてみたりして。


 オレ……マヌケなんじゃ──


 なかなか着信音を奏でないスマホに、徐々にテンションが下がる。

 

 最初こそテーブルの前に座ってスマホと睨めっこしていたけど、時間の経過と共にベッドの上に座り、そして今はベッドに仰向けに寝転がって横目でスマホを伺っている。


「はぁー、期待したオレがバカだった……」


 そう都合よくいくはずはない。そう諦めかけたとき、待望の着信音が鳴る。

 嬉しいはずなのに、オレはびくりと肩を揺らし、スマホを凝視してしまう。


「落ち着け。まだ相手は鷹峰さんと決まったわけじゃないし」


 ゆっくりとベッドから起き上がり、スマホを手に取る。覚悟を決めて開くと、待ちに待った彼からだった。

 オレ思わず、直立不動になる。


 大丈夫、大丈夫……


 大きく深呼吸した後、文面に目を走らせる。


『今晩は。夜分遅くすまない。実は仕事が立て込んでいて、借りた本を読む時間が取れない。申し訳ないが、しばらく待ってほしい』と書いてあった。女装のことやレストランでのことには、一切触れていない。


 オレは脱力して、ベッドにストンと腰掛ける。


「これは……どう解釈するべきかなぁ」


 女装姿のオレのことは、不問。無かったことにしてくれる。そう思っていいのかな……


 まあ、デリケートな問題だし、目をつむってくれるのかもしれない。


 じゃあ、これからは、男のオレと親交を深めてくれるってこと⁉


 自分本位に解釈すればこうなるけど、そんな都合のいいことなんてない気もする。


 ──もしかして、気づいてないとか?


 いやいや、それこそ都合のいい考えだ。違ったときのダメージを思うと、甘い考えは頭から追い出すべきだ。


 オレはひとまず、無難に『お仕事お疲れ様です。本のことは気にしなくて大丈夫です。年明けだろうと、ちゃんと返してくれれば大丈夫です!』と返信した。


 そして数分後。


『ありがとう。目処めどが立ち次第連絡する』

 と返ってきた。


 御崎とは少し、距離を置きたいのかもな。


 それも仕方のないことだ。急には切り替えられないだろう。


 でも、よかった。あのまま、音信不通にならなくてすんだんだから。


 鷹峰さんは、目処が立ったら連絡すると言った。先日のように、ただ不安なまま待ち続けるわけではない。


 連絡が来たとき、それは女装したオレも受け入れてくれたと思っていいのかな。


 そんな日が、本当に来る?


 大丈夫、オレは信じて、待っていればいいんだ。

 真面目な鷹峰さんは、必ず約束を守るはずだから。

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