第17話 絶対BLの「B」だよ

 最近の私の楽しみは、夜に御崎みさきさんから借りた本を読むこと。以前の私なら、仕事をしているはずの時間だった。


「学問以外の本でも楽しめるものだな」


 この心境の変化も、御崎さんのお陰だろう。だからといって、恋愛したいかと問われれば、答えはNOだ。物語りとして楽しめるようになっただけで、私にとっては十分な娯楽。


「こんなことを、運転中に考えるようになるとはな」


 新店舗である鷹峰書店から、本社へ戻る道中だというのに。本来なら、次の仕事の段取りを考えてもよさそうなものだ。


「ここを曲がれば、御崎さんのアパートか──しまった! 何をやっているんだ、私は……」


 不意にそんなことを思ったのがいけなかったのか、私は無意識に、ハンドルを切ってしまっていた。

 慣れとは怖いものだ。身体が勝手に反応してしまうとは。


 左に曲がれば、元の道に戻れると思うんだが──


 迂回しようと住宅街をしばし走る。

 そして大通りに出られそうな交差点を左に曲がると、煉瓦造りのおしゃれなレストランが目に入る。


「そういえば、昼食がまだだったな。ここで済ませるか」


 時計を見ると、間もなく午後一時半になろうとしていた。

 仕事を優先しがちな私には、遅めの昼食はよくあることだ。


 幸いにも、五台ほど止められる駐車場には、空きが二台分あり車を止めることができた。


 空いているようでよかった。


 入り口に向かいながら、店内の様子をガラス越しに窺う。


 品のありそうな店だな。


 ダークブラウンの重厚なドアを前に、そんなことを思う。


 そっとドアを引くと、「カラン」と耳に心地よいカウベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」

 明るく元気な声で迎えられ、引き寄せられるように声のしたほうへ視線をやる。


「お好きな──」

「っ──‼」


 若いウエイターの青年と目が合った瞬間、目の前がパッと明るくなり、時が止まったように私は動けなくなった。


 な、なんなんだ、いったい……


 青年も目を大きく見開き、私を見ている。


「あ……あの、お好きなお席へどうぞ」

 先に時が動き出したのは青年だった。


 その涼やかな声に、私ははっと我に返る。


「ああ……」

 頷き目についた空席に座ると、青年が水とおしぼりを持ってやって来た。


「ご、ご注文、お決まりでしたらお伺いします」


 やや緊張している? 私の態度が怖かったのだろうか。


 私にはそんな自覚はないのだが、父によく、真面目な顔が近寄りがたくて怖いと言われていた。


「まだランチは大丈夫だろうか」

「はい、大丈夫です」

「では、Bランチを」

「かっ、かしこまりました」


 オーダーを通すため、厨房に向かう青年の後ろ姿を目で追う。


 初々しいな。新人だろうか。


 ──うん? 動悸がしているような……


 なぜかウエイターの青年を見ていると、鼓動が早まってしまう。心なしか、顔が火照っているようにも感じた。


 どうしたというんだ、私は──風邪の引き始めか?

 

 体調の変化に首を傾げる。


 そしてさらに、私の身に奇妙な現象が起こった。青年が運んできてくれた料理を食べている最中、気がつけば立ち働く青年の姿をチラチラ見てしまうのだ。


 まったくもって、自分の行動が理解できない。

 しかも、店を出てからも青年の顔が浮かんでしまう。


 ふわりとして、とても可愛らしい人だったな。


 大きな目には清涼さを感じた。やわらかな雰囲気とは裏腹に、凜とした姿勢で立ち働く姿には好印象を受けた。


 またあのレストランに行けば、会えるだろうか。


 帰りの車中でそんなことを思う。


 あれ……?


 ふと心に湧いた感情に、ただただ私は困惑するのだった。


 ★★★


 心臓が止まるかと思った。

 いや、一瞬止まった!


「気づかれちゃったかな……」


 鷹峰さんのあの態度からして、絶対にバレてるよ。だってオレを見た瞬間、身体を硬直させてたし。


 それにランチを注文するあたり、絶対の『』だよ! 

 

 メニューを使って、御崎だって気づいてること、匂わせたに違いない!


 お陰で声が裏返るしさ……


『御崎さんなのか』と、聞いてこなかったことを思えば、まだ確信を持ったわけではなさそうだけど。


 でも……オレのこと、チラチラ見てたしな。


 明らかに挙動不審だった。

 確かめるべきか迷っているようにも見えた。


 オレから御崎だって名乗ったら、どんな反応するのかな。


 なまじ親しくなっていただけに、黙っていたことを不審に思うかもしれない。


 信用……なくしたかも。


 良き友人と言ってくれたのに、その座をもオレは失うのか?


 考えれば考えるほど、不安から目に涙が滲む。


 鷹峰さんと出会ってからというもの、それなりに楽しかった。怒ったり、悩んだり、笑ったり。


 それも今日で終わりなのかな……


 そう思うには、あまりにも恋心が育ちすぎた。本気になってしまったオレには、現実を受け入れることはまだできそうになかった。


 ★★★


 あの衝撃の日から五日が過ぎた。その間、鷹峰さんからの連絡はない。


 せっかくの夏休みだというのに、オレの心はどんよりとした冬空のようだった。


 はぁー、何もする気になれないよ。


 スマホ片手にベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見上げる。

 いくら前向きに考えようとしても、今回の件だけは『まあいいか、なるようになる!』とはいかなかった。


「なんでもいいから──連絡ちょうだい。ねぇ……鷹峰さん」

 スマホを見つめながら呟く。


 このまま連絡が来なかったら──


 もうオレに会う気はないという、鷹峰さんの意思表示のような気がした。


 待ってばかりいないで、自分から連絡すればいいんだ、とも思うけど……


 なんて言って連絡したらいいのかわからなかった。それに、電話に出てもらえなかったら。メールの返事が来なかったら。


 拒絶されるのが、怖い──


「……こんなんじゃ、昔の自分に逆戻りだよ」

 悪い方にばかり、意識が囚われる。


「気持ち、切り替えないと」

 そろそろバイトに行く時間だ。


 夏休みの間は、目一杯バイトを詰め込んでいた。


 大学の授業料くらい、自分で何とかしないと。

 これは家業から逃げたオレの、せめてもの償いだった。


「よし! 行くか。頑張れ御崎理央!」

 部屋にいるより、動き回っているほうが気も紛れるだろう。


 自分を鼓舞し、オレはバイトに向かった。

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