第13話 オレと同じ?

 私はどうしてあんなことを言ったのだろう。

『またあの感情を味わってみたい』などと……


 今の自分に不満などないが、潜在意識の中に変わりたいと願う己がいるのだろうか。


 もしそれが、恋をしてみたいという願望だったら?


「想像つかないな」


 自分のことだというのに、恋愛と自身が結びつかない。


「しばらく流れに任せてみるか」


 彼女の薦めるBL小説。それを読めば、自ずとわかるだろう。

 頭を切り替えた私は、本社に戻るべく車を走らせた。


 ★★★


 明くる日、いつものように出社したのだが……


 なんなんだ、いったい。


 今日もまた、視線を感じる。この一週間、何やらコソコソ噂されているような気がしてならない。


 真面目で堅物──私が陰でそう囁かれていることは知っている。しかし今回の視線に含まれる感情は、何かが違うように思う。


 そんな違和感を抱えつつ、父に呼び出された私は社長室に赴いた。


「御用件はなんですか、社長」


「まあ座ってくれ。時に恭一郎、今社内でもっぱら噂になっていることが何か、知っているか?」


「噂──?」

 唐突な質問に、思い当たることのない私は首を傾げる。そんな私を前に、父はしたり顔を浮かべていた。


 気に入らないな……


「真面目な御曹司に春が来た。堅物常務が恋に落ちた」


 妙に芝居がかった言い回しが鼻につく。


「なんの話しをしているんですか。気は確かですか?」

「やはり気がついてないのか」

「言いたい事があるなら、でお願いします」


 嘆息し肩を落とす父に、私は冷ややかに返す。


「相変わらず堅苦しいやつだ。少しは取り乱してみせろ」

 ぼやきながらも、父は詳細を話し出す。


「お前が恋に目覚めたらしいと、社内で噂になっているんだ」

「は? どこからそんな話が……身に覚えはありませんが」


 意味がわからない。何をどうしたら、そんな噂が流れるのか。


「秘書課の子に、お薦めの恋愛小説を教えろと頼んだだろう」


 話の出所はそこか。無闇に噂を流すとは、困ったものだ。


「あぁ、はい。確かに頼みました。実際に読んでみましたが、教訓になるようなことは何も。専門書のほうが面白いですね、私にとっては」


「本当か? 誤魔化しているんじゃないのか。お前が恋愛小説だなんて、何かあるはずだ」


 父が探るような目で見てくる。


「書店経営の参考に、読んだことのないジャンルに挑んだだけですが。それが何か?」

「まったくお前は──。とんだ肩すかしだ」


 やれやれとため息をつかれ、「どういう意味ですか?」と父をめつける。


「いや……な。お前が恋愛小説を読んだなんて聞いたら、期待もするだろう。好きな人でもできたのかとね。今まで浮いた話の一つもなかったんだぞ。親として、気になって当然だ。いよいよ結婚する気に──」


「なっていません」

 言葉尻を奪い、私は話しをスパッと遮る。


「その件には口出ししない約束です」

「っ──、わかっている。ちょっと聞いてみただけだ」


 父は仏頂面を隠しもせず「もう仕事に戻っていい」と、シッシッと手で払われる。

 いくら父親でも、腹の立つ仕草だ。

 私も不機嫌さを隠さず、無言で席を立ち、社長室を出た。


「くだらない要件で、いちいち呼び出さないでもらいたい」


 廊下を歩く私は、かなり不機嫌な顔をしていただろう。自分でも眉間に皺が寄っているのがわかる。

 

 苛立ちが抑えられず、人目もはばからず、「大きなお世話だ。ほっといてくれ」と愚痴が口をついて出てしまうほどには憤っていた。


 ★★★


 そして夕刻前。

 御崎さんから『お薦めの本が三冊あるのですが、全部読んでみますか?』とメールが来た。


 昨日の今日で、もう選んでくれたようだ。早々に『読みたい』と返事をし、取りに行ける日を伝えると、その日までに鷹峰書店に預けておくと返事が来た。


「どんな本を選んでくれたのか、楽しみだな」


 知らず微笑んでいる自分に気づき、驚く。

 自分が思っている以上に、読みたい欲求があったようだ。


 この分だと、三冊をあっという間に読んでしまうかもしれないな。


 となれば、読書の時間を確保しておく必要がある。

 私は仕事のピッチを上げるべく、手元の資料に目を走らせた。


 ★★★


 オレは円卓に並べた本を見下ろし、腕を組む。


「う~ん、三冊も選んじゃったけど、よかったのかな」

 彼の忙しさを思うと、気が引けるのも確かで……


 鷹峰さんに読んでほしい本がありすぎて、これでも絞ったほうではあった。


「まぁいいよな、読みたいって返事きたし。えっとー、明後日にこっちに来るそうだから、預けておくのは明日でいいか」


 話は通しておくってことだったけど、店長さんにはなんて言ってあるのかな。まさか正直に、BL小説を借りるって言ってないよね。いや、でもあの鷹峰さんだし、恥ずかしいなんて思ってないかも。


 そう思うものの、一応配慮はしておくことにした。


「確かこの中に入れといたんだけどな」

 ブックカバーを探そうと、オレは引き出しを探る。


「お、あったあった」

 参考書に隠れるように、それはあった。よく書店でつけてくれる、紙の文庫カバーだ。


 それを三冊全部につけて、小さめの紙袋に入れる。


「何かメッセージ的なやつ、書いとこうかな」


 何気にメモ帳を手にしたものの──


「女の子がこれはないか」

 ごく普通の、横線が引いてあるメモ帳だ。


 ここはやっぱり、可愛いキャラクターものだろう。

 とはいえ、そんなもの、オレは持ってないんだけどさ。


「あ、そういえば、鷹峰書店って文房具も置いてあった気がする」


 だったら、買ってその場で書けばいいか。


 そうと決まれば、身体がうずうずしてくる。


 明日出かけるつもりだったけど、今から行こうっと。


「オレって、大胆なことしてるよな」

 真面目な御曹司に、BL小説を推してるんだから。


 ある意味オレって、勇者じゃない? 


 そんな事を考えながら、身支度を整えて書店に向かった。


 ──そして数日後。


『読み終えた。どれも面白かった』と鷹峰さんからメールが来た。メッセージカードに、『どれが面白かったか教えてくださいね!』と書いておいたからだろう。


 それにしても、読むの速くない? だって、鷹峰さんが本を取りに来たのって、二日前のはずなんだけど。


 仕事もある彼は、夜にしか読めないだろうに。

 でもそれだけ、面白いと思ってもらえたということ。


 しかも、『もっと読みたい』だなんて、嬉しい限りだよ!

 もちろん即返事を返した。次は五冊ほど用意しましょうかってね。


 そんなやり取りを、本人には会わないまま、何度か繰り返しているうちに、オレは夏休みに突入した。


 できることなら鷹峰さんに会いたかったけど、いつ書店に来ているかわからなかったから、偶然を装いバッタリ! というわけにもいかず──


 それが今日になって、鷹峰さんのほうから会って話がしたい、都合を教えてほしいと連絡が来た。明日はバイトだから明後日なら会える旨を伝えると、相談したいことがあるという。


「オレに答えられることならいいけど……」


 まさか、自分の性癖に気がついた、とか?


 一般的な恋愛小説より、BL小説のほうが面白いと思えたということは──


 鷹峰さんもオレと同じ? 男が恋愛対象なんじゃ……


 無自覚だっただけで、十分可能性はある気がした。


「これって、オレにもチャンスがあるってこと?」

 なんて希望を抱いたものの。


 どうやって出会えばいいんだよ。接点なんてないのに。


 鷹峰さんと知り合いなのは、女装した自分だ。


 実は男なんですって、正直に言えばいいんだろうけど……


 今はまだ、どうしても勇気が出なかった。

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