第11話 心境の変化

 御崎みさきさんと会うまでに、私には確かめたいことがあった。


 そのために、鷹峰グループ本社に出社した私は、秘書課へと足を向ける。

 誰に頼むのが最良かと考えた末、情報量の多いだろう秘書課にしたのだが。


「すまないが、お薦めの恋愛小説があれば、教えてくれないだろうか」


 入室して最初に目に入った人物に尋ねると、机に座っていた三人の女性秘書が、


「えっ!」

「はっ⁉」

「キャー」


 と、三者三様の一声をあげた。


「鷹峰常務が読まれるんですか?」

「ああ、そうだが」


 皆が皆、奇異な目で私を見ている。

 やはり書店で問うべきだったか。


「何か変なことでも言っただろうか」

「いっいえ、お薦めの恋愛小説ですね。お急ぎですか?」

「できれば、今日中に頼みたい」


 そうすれば、帰宅途中に書店に寄れる。


「はい。今日中ですね。リストアップしてお渡しします」

「では、よろしく頼む」


 要件を伝え終えた私は、早々に秘書課を後にした。


 午後にはこのやり取りが他部署の女性社員にまで広がり、憶測と好奇心が社内を駆け巡ることになろうとは、このときの私は知る由もなかった。


 ★★★


「最近女装する頻度が高いような……」


 今日のオレの出で立ちは、ネットで買ったばかりのワンピース。涼しげな水色で、裾の部分にある白い花柄が可愛い。


「なんだか、恋をして綺麗になっていく女の子の気持ちがわかるかも」


 この服を見つけるまでに、一時間近くスマホと睨めっこした。

 鷹峰さんが派手好きとは、思えなかったから。


 控えめで清楚をテーマに選んでみたけど、鷹峰さんの目にはどう映るかな。


 何か感想とか、言ってくれると嬉しい。


 さすがに変化に気づかない、なんてことないよね。真面目と無関心は違うだろうし。

 それに、初対面のときと全然見た目が違うんだよ?

 

 はっきりいって、相当垢抜けていると思う。眼鏡だって、野暮ったい黒縁の丸眼鏡から、フレームが細く、レンズの縦幅も細めで知的風なものに変えた。


 女の子の姿で好感度上げても、仕方ないんだけどさ……


 本来の自分は、男なんだから。


「はぁー。この姿で鷹峰さんに会うのも、今日が最後になるのかな……」


 本を返してもらったら、それで終わり。

 もう会えなくなると思うと、胸がキリキリと痛む。


「でも……今ならまだ、この程度ですむ」


 自分でもわかる。鷹峰さんに惹かれているのが。

 でも、失恋確定なんだから、これ以上好きになったらダメなんだ。


「あ、ヤバイ。約束の時間に遅れちゃう」


 ぐだぐだ考えてる場合じゃなかった。書店までは歩きだ。急がないと。


 オレは慌ててアパートを出る。


「自転車だったら、十分もあれば着くのに」


 オレの乗っている自転車は、スポーツタイプだからスカートでは乗れない。


「あ、あれって、鷹峰さんかな」


 早足で歩くうち、鷹峰書店の駐車場に背の高いスーツ姿の男性が立っているのが見えてくる。


 もしかして、オレを待っててくれてる? あ、でも、こもままじゃあマズイかも。


 車に寄りかかり腕時計を見ている姿に、オレは焦った。

 約束の時間まで、あと五分。きっちりしてそうだから、遅れたくない。


 オレは女の子っぽく、鷹峰さんに向かって小走った。


「鷹峰さん、お待たせしてすみません」

「いや、まだ約束の時間は過ぎていない」


 駆け寄るオレに冷静な言葉が返ってくる。


 よっ、よかった~ 遅刻しなくて。

 過ぎてたら、なんて言われてたのかな。


「えーっと、お話しって長くなりそうですか?」

 駐車場でさっと済ませられることか尋ねる。


「御崎さんの時間が許すなら、事務所でゆっくり話したいんだが。それにBL小説の話しをするのに、ここは適していないだろう」


 腐女子発言から学習したのか、彼が気遣いを見せる。


 確かにイケメンの彼と一緒では、駐車場といえども目立つ。通りすがりに聞き耳でも立てられたら、怪しいカップルだと思われるに違いない。


「そうですね……周りに聞かれたくないです」

「では移動しようか。その前に、先に本を返してもいいだろうか」


 鷹峰さんは車のダッシュボードから本を取り出した。


 シルバーのセダンか……高そう。まあ、鷹峰さんには高級車が似合うけど。


「ありがとう」


 イラストが見えないよう、表紙を下にして差し出される。ここにも気遣いを感じ、オレは鷹峰さんの人柄を知っていく。


 同じ過ちはしない。やっぱり真面目なんだな……というより、優秀な人?


「いえ、面白かったと言ってもらえてよかったです」


 オレは素早く受け取り、トートバッグに入れた。それを見届けた鷹峰さんは、前回と同じ事務所の個室に案内してくれた。


「冷たいものでも飲まないか。とはいえ、アイスコーヒーか、お茶しかないんだが」


 額に浮く汗を見られたのかもしれない。今日は梅雨入り後の、貴重な晴れ間で、一気に夏が来たみたいに蒸し暑かった。


「はい、じゃあ、アイスコーヒーをお願いします」


 そう答えると、鷹峰さんは内線を使って事務員さんに連絡した。


 数分もしないうちに、お盆を手に事務員さんがやって来る。それを鷹峰さんが受け取り、オレの前にグラスを置いてくれた。


 笑顔でお礼を言うと、椅子に座った鷹峰さんが真剣な顔を向けてくる。


 えっ、急に何? 心拍数上がっちゃうんですけど!


「感想なんだが、最初は正直、私に恋愛小説は合わないと思っていた。私自身が恋愛を楽しいと思ったこともなければ、恋愛したいと思ったこともないからだ。だから自分には、恋愛感情を理解することが難しいのではないかと思ったんだが──」


 鷹峰さんはそう言うと、視線を落とす。


 何か言いにくいことでもあるのかな。


 そう思うものの、オレはどうすることもできず、黙ったまま続きを待つ。


「そんな私が、御崎さんに借りた本は読んでいて面白いと思えた。もしかしたら他の恋愛小説も楽しんで読めるかと、数日前試してみたんだが……」


 鷹峰さんは自身と向き合っているのか、確認するように一度頷いた。


「胸に刺さらなかったんだ。同じ恋愛をテーマにした作品なのに」


 神妙な面持ちの彼によくよく話を聞けば、BL小説を読んで面白いと思えたなら、一般的な恋愛小説でもそう思うのではないかと、勧められた作品を読んでみたのだそうだ。


 面白いと思えたなら、今の自分は恋愛したいのではないか。それを確かめたかったという。


「何が違うのだろうか。わかることといえば、BL小説を読んだとき、自分の感情が波のように動いていたということ。普段は冷静に分析しながら読んでしまうんだ」


 どんな言葉をかければいいんだろう。でも……オレの心当たりがあるとすれば、あれかな。


「あの本は、鷹峰さんの性格に合うストーリーだったからだと思います」


 そう言うと、鷹峰さんは怪訝な顔でオレに視線を向けてくる。


「うーん、たとえばですけど。友人に『この漫画面白かったから読んでみて』とか『お薦めの映画があるから一緒に見よう』って言われて試すけど、自分はそうでもないなって思うこと、私もあります。興味がある題材じゃないとか理由は色々ですけど。要は自分の好みに合うか合わないか。単純なことだと思いますよ」


 恋愛小説でいえば、オレは断然BL小説だ。一般のものは、自分とは重ねられないから。


 まあ彼の場合、恋愛に興味がない分、恋愛小説に共感が得られないんだろうけど。


 じゃあ、学問の本だったら、共感しまくるのかな? オレとは真逆かも。論文読んでても、共感どころか疑問符だらけで読む気にならないもんな。


 鷹峰さんにとっては、恋愛小説がそういう感じなのかと腑に落ちる。


「そうなのか──。だが私には、自分の好みそのものがわからない」


 これって、恋愛に対して、理解しようとしてくれてる?

 

 心境の変化が起こったのだとしたら──


「それなら試しに、また私のお薦めするBL小説を読んでみますか? 今度は私からの提案です!」


「そうだな……またあの感情を味わってみたい」


 無邪気に言うオレとは裏腹に、しみじみと答える彼に同情してしまった。


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