第10話 何かがあるとしたら……
帰宅したという連絡をもらい、ちょうど仕事が一段落したところだった私は、すぐに彼女に電話をかけた。
『はい──』
三コールほどで、御崎さんが応答する。
ん? クスッと笑われた気がしたが、気のせいだろうか……
「こんばんは、鷹峰だが」
『こんばんは。電話に出られなくてすみませんでした』
「いや、それは構わない。こちらの都合でかけた電話だ」
忙しいところ、時間を割かせて申し訳ないと伝える。
『大丈夫ですよ。御用は読んだ本のことですか?』
「ああ、本も返さなければならないし、近々会えないだろうか」
『いいですよ。バイトと重ならない日なら大丈夫なので、鷹峰さんの都合のいい日を言ってみてください』
彼女の申し出に、私はスケジュールを確認する。
「では、四日後の木曜日はどうだろう」
学生だろうから、土曜日か日曜日のほうがいいなら、合わせるとも付け足す。
『そうですね……木曜日だと、午後二時以降なら大丈夫です』
週末はバイトがあるという。
「では木曜日に。場所はまた、鷹峰書店でいいだろうか。御崎さんが構わないなら、住まいまで届けてもいいんだが」
わざわざ出向いてもらうのは忍びない。
『い、いえ、鷹峰書店に行きたいので、ちょうどいいんです! 本を見たいから』
慌てたように彼女が言う。
それもそうだな。
考えてみれば、男に易々と住まいを教えるはずはないかと納得する。
『時間は午後三時でどうだろう』
「はい、構いませんよ」
時間も決まったところで、私が通話を終わらせようとすると──
『ちょっ、ちょっと待ってください』
「うん? まだ何か不明な点があったかな」
焦ったように呼び止められたが、理由がわからず問い返す。
『私としては、読んで面白かったのか、そうでないのか、そのことが猛烈に気になるんですけど!』
少し早口で、彼女にまくし立てられる。
「その件を会ったときに話そうか──」
『だから! 先に面白いと思ったかどうかだけでも、教えてほしいんです! そうすれば心の準備もできます。どっちかわからないままなんて、また寝不足になっちゃいます!』
私の言葉を遮るほどの、彼女の剣幕に押されながらも、また寝不足の一言に引っかかる。
「私は早いほうがいいかと、読み終えてすぐ連絡を入れたと思うが……」
『そのあとの、詳しくは後日って言い回しですよ! あれだと認められない理由を、詳しく説明されるのかも……って思うじゃないですか』
なかなか寝付けず、今日は一日中、欠伸ばかりしていたと訴えられた。
「それは申し訳ない。読んだ感想を伝えるべきだったな」
良かれと思って早々に入れた知らせが、返って迷惑になってしまった。
『で? どうなんです?』
謝罪を
「面白かったよ。感動すらした。だから今後について、ゆっくり話したかったんだ」
『はぁー、よかった~。あの本は、私の大好きな物語なんです。だから、面白いって思ってもらえて嬉しいです。──続きがあればいいのに……』
電話越しに、大きく息を吐き出し安堵する彼女の様子が伝わってくる。余程、御崎さんにとって思い入れのある本なのだろう。
どうやら、悩みの種は取り除かれたようだな。
その後は冷静さを取り戻したのか、穏やかな口調で会話を終わらせることができた。
それにしても、御崎さんのBL小説に対する熱い思いは、どこからくるのだろう。
ふと思う。私はここ数年、仕事以外で熱くなることがあっただろうかと。
いや──ないかもしれない。
そのことに不満があるわけではない。しかし──
今後、私にも仕事以外に熱中できる何かがあるとしたら……
自分はどうなってしまうのだろう。勉強ばかりしてきた私には想像もつかない。
だが、興味深くもあるな。
そんなふうに思える自分に驚く。
考えてみれば、ムキになって勝負を持ちかけたことからして、普段の私ならしないはずだ。
それとも、自分でも気づいていない私が存在するのか……?
私は心に、新たな風が吹き込むような感覚に戸惑うのだった。
★★★
『面白かったよ。感動すらした』
その言葉を聞いて、オレは身体から力が抜けていくのがわかった。
緊張してたんだな、オレ──
通話を終えた後も、頭がふわふわしているようで、しばらくぼんやりとしていた。
「あの真面目な人が、面白かったって……言ってくれた」
時間が経つにつれ、喜びが溢れ出す。
あの一冊の本を選ぶのに、どれほど悩んだことか。
鷹峰さんの性格から分析し、受け入れやすいストーリーをピックアップ。そこから登場人物の選考。
自分でも涙ぐましい努力をしたと自負している。
青年と公爵。両方に彼と重なる部分があったことで選んだ作品だった。主人公の青年には勤勉で仕事に対する熱意があり、公爵には地位があるが
オレの選択は、間違ってなかったんだ!
「鷹峰さんなら、きっと共感してくれるって……信じて選んでよかった。こんな達成感、今までなかったな」
今日は興奮して寝付けなかったりして。
そんなことを思いながら、少し落ち着いてきたオレは、ふと笑いが込み上げてくる。
こんな格好で、さっきまで女の声音を使って会話してたなんて、笑っちゃうよな。だって、長袖Tシャツに短パン姿ってさ。おまけにパイプベッドの上で、あぐらをかいてるんだよ?
「あははは……変なの、ククッ──」
一頻り笑って、ため息をつく。
「あ~あ、男の姿で、鷹峰さんと出会いたかったな……」
女装姿の自分は、いうなれば偽者だ。本来の男の自分を見てほしい。
そうすれば、何かが違ったのかな。いや……それはないか。
女の子だったからこそ、鷹峰さんは真摯に謝罪してくれたんだよね。
「会いたいけど……怖いな、次に会うの」
今後について、ゆっくり話したいって、なんだろう。オレの好みの本を仕入れてくれるとか? だったら嬉しいけど、真面目な鷹峰さんはそんなことしそうにないし……
データ重視っぽい。
「まさか恋人になって……とか?」
なんて、自分本位な願望が叶うわけないか。鷹峰さんは恋愛に興味がないんだから。
でも万が一、交際を申し込まれたら?
中身が男だって知ったら、速攻振られる……よな。
「あーもう! さっきまでスッキリしてたのに、今後って、何があるんだよ⁉ すっごく気になるんだけど」
なんてことだ、別の悩みの種が発生してしまった。
あぁ、今夜は何時に寝付くことができるんだろう。
オレって、悩みが尽きないよな~。
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