第9話 すぐ電話してきそうだし……
新店舗がオープンして十日。
ジャンル別の売り上げ傾向を一通りチェックした私は、パソコン画面に表示されているデータを閉じる。
細かい分析は、もう少し先だな。
既存の店舗と比べると、客層の差なのかビジネス関連の本が弱いようだ。その分、子どもに関する本や、少年コミックなどは上乗と言ったところか。
「そろそろ戻るか」
都心にビルを構える鷹峰グループの本社に戻るには、車で一時間は優にかかる。渋滞ならばプラス三十分だ。
「まだいたのか」
店内の客入りを見てから帰ろうかと表に出ると、本選びに夢中になっている
確か個室を出たのは、一時間ほど前だったはずだ。
そんなに多い品揃えでもないんだが……
彼女は実に楽しそうに、一冊手に取っては悩み棚に戻すことを繰り返していた。左手には買うと決めたのだろう本を持っていて、五、六冊はありそうだ。
気に入った本があったようでよかった。
声をかけようか迷ったが、集中しているようだからやめておいた。余計なことをしてまた怒らせてはいけない。
私は気づかれないよう、そっと書店を後にした。
★★★
御崎さんから借りた本を読むために、いつもより少し早めに仕事を切り上げ帰宅した。
彼女を寝不足にさせるわけにはいかないだろう。
御崎さんからしてみれば、好きな本を否定されるかもしれないのだから、気になるのも無理ないことだ。あんなに楽しそうに本を選ぶ姿を見たら、なおさら納得だ。
幸いページ数は二百五十ほど。難なく読めそうだ。
私はコーヒー片手にソファーに移り、本を開いた。
──そして数時間後。
男同士の恋愛か……と思いながら読み進めるうち、私は知らず物語の世界観に引き込まれていた──
「主人公の心情が、よく表現されているな」
青年の健気さ、仕事に対する真摯な姿勢に共感した。ストーリー半ば当主の男が青年に辛く当たる場面では、怒りさえ覚えた。
そして、心を閉ざし全身に棘の花を纏わせたような当主が、青年の包み込むような愛にふれ、闇から解放される瞬間にはほっとした。
やっと自分の気持ちに向き合うことができた当主が、青年に愛を誓ったラストの場面では、男らしいと賞賛もした。
気がつけば完読していた自分に驚く。恋愛に興味などなかったはずなのに、胸にジンときた。
「まさかこの私に、恋愛小説を読んで感動する日が来ようとは……」
しかもそれが、BL小説──
呆然とする私が放心状態から覚め時計を見ると、午前零時になろうとしていた。
読み終えたと連絡するには遅い時間だろう。とはいえ、もし眠れずに彼女がまだ起きていたらと思うと自分も気になる。
「メールなら、寝ていても大丈夫か」
そう判断し、『読み終えた。詳しくは後日』とだけ打って送った。
★★★
「ふわぁー」
大きな欠伸が立て続けに出る。これも鷹峰さんの中途半端な報告内容のせいだ。
すぐに連絡してくれるのは、真面目な鷹峰さんらしいけど。
でもさ、『読み終えた、詳しくは後日』、なんて送ってくるんだもんな。ダメ出しでもされるのかもって、不安になって当然だと思わない?
お陰でオレは、昨夜なかなか寝付けなかった。何度も寝返りを打ちながら、寝付けたのは明け方。
日曜日だったから、もっと寝ていたいところだったけど、今日に限って、友人と遊ぶ約束をしていた。
「御崎、さっきから欠伸ばっかりしてるけど、夜遅くまで何かやってたのか?」
不思議顔で尋ねてきたのは、体育会系の
「彼女と盛り上がってたんじゃないのか?」
こういうのって、男子お決まりトークってやつかな。
彼はオレが上京して、初めてできた友人なんだ。
「うるさいよ、宮田。彼女いないって知ってるだろ」
「まあな。でもなんでだろうな。御崎、顔いいのに。可愛すぎるからか?」
「だろー、オレってキュートだからさ。女の子が嫉妬しちゃうんだよね」
都会って、こんなノリでいいのかな。オレはいつも探り探りだ。
「あははっ……自分で言うなよな」
頬に手を当て、口角を上げお嬢様スマイルをしてみせるオレに、宮田が愉快げに笑う。
「いいんだよ! いつか馬車に乗った王女様が、オレを迎えに来るんだからさ」
もうこの手の話題は勘弁してほしい。
オレは適当におちゃらけて終わりにする。
「あっ、バイトのヘルプ頼まれた。どうしようかな……」
宮田がスマホを見ながら
「行ってこいよ。恩は売っておくに限るぞ。それに、そろそろお開きにいい時間だったしな」
中里が迷っている宮田の背中を押す。
オレもそれがいいと思うと賛同した。
カラオケボックスで三時間。ファミレスに二時間でもう夕方だ。
「悪いな、先輩からだったから、断りにくかったんだ」
オレたちはそれぞれ会計を済ませて店から出た。
「じゃあまたな」
「おう、明日、大学でな~」
手を振り合い、それぞれ別の方向に散っていく。
友人たちは、大学の近くにアパートを借りているんだけど、オレはちょっと離れてるんだよね。
オレはひとり駅に向かいながら、友人と遊んでいる間、一度も見ていなかったスマホをリュックから取り出した。
「あ……鷹峰さんからメールきてる」
おまけに電話の着信暦まであった。
急ぎの用事かな。オレって、
騒いでたから、着信音に気がつかなかった。
急いでメールを開くと、『話があるんだが、時間が空いたときに連絡してくれないだろうか』とあった。文面からして、『詳しくは後日』について話したのだとわかった。
オレは素早く『只今出先なため、帰宅後にまた連絡します』と打ち返信した。鷹峰さんが相手だと、自然とかしこまった言葉を選んでしまうのが自分でも可笑しい。
「早く帰って連絡しなきゃ」
気持ちが逸り、駅に向かう足取りが早くなる。
その道中、リュックの中から着信音が聞こえた。
鷹峰さんかな。『了解した』とだけ返してそうなんだけど。
想像すると、くすくす笑いが出る。
案の定、電車に乗ってからすぐにメールを確認すると、『了解した』とあった。
オレは思わず口を手で覆い、肩を震わせ笑ってしまう。
『帰宅したことを知らせてもらえたら、こちらから電話する』ともあったけど。
早く電話したい。声が聞きたい。
そう思ってしまう自分に、オレは待ったをかける。
好きになってはいけない人だ。彼にとって恋愛は、迷惑でしかないのだから。辛い思いをするだけだと。
★★★
「どうしようかな、連絡入れたら、すぐ電話してきそうだし……」
帰宅後、鷹峰さんの行動パターンを予測したオレは、ゆっくり話ができる体制を整えてから返信することにした。
「先にシャワーだな」
梅雨時が近づき、肌がじっとりしていてスッキリしたかった。
オレは手早く汗を流して部屋着に着替えてから、『帰宅しました』とメールを送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます