第7話 やっぱり真面目なんだ……
「いらっしゃいませ」
「やあ、
爽やかな笑顔で入店して来たのは、常連客の
確か彼がこのレストランに来るようになったのは、一年くらい前だったと思う。
前髪をセンター分けにしていて、落ち着きのあるブラウンに染めている彼は、キザな感じはなく気さくな人だ。
「仕事帰りですか? お疲れ様です。お席へご案内します」
オレは新城さんのお気に入りの席に向かう。カウンター寄りの、二人がけのテーブル席だ。
あっ! もしかして新城さん、鷹峰グループの社員なのかな?
ビジネス鞄の外ポケットに差し込んである大判の封筒に、鷹峰グループと印字されているのが目に入った。
「ご注文、お決まりになりましたら、お呼びください」
気になりつつも、店内のお客さんに目を配っていると、新城さんが合図を送ってくる。
「お呼びですか」
「注文いいかな、生ハムとチーズの盛り合わせ、それからローストビーフを。ワインは……グラスで赤にしようかな。マスターにお任せで」
「はい、かしこまりました」
マスターはソムリエの資格を持っているんだけど、新城さんは信頼しているみたいで、よくお任せって言うんだよね。
このレストランは、ランチタイムとディナータイムでは、店の雰囲気が変わるんだ。
アルコール類も提供するし、ちょっと
実は慣れるまで、結構苦労したんだ。立ち姿や所作は、アパートの部屋で何度も練習したから、なんとか様になったけど、言葉遣いは地方特有の
今は大丈夫だと思うんだけど……いや、大丈夫だと思いたい。
オレはメニュー表を下げ、厨房にオーダーを通してから、手の空いてる間、洗い物を始める。
だけどオレの視線は、知らず新城さんへと向いてしまう。
すっごく探りを入れたいんだけど! でも、
オレが
スマホで支払いを済ませた新城さんは、酔っているのか頬がほんのりと赤くなっている。
「お気をつけてお帰りください」
一応、一声はかけておいたほうがいいよな。
「ありがとう。今日は空きっ腹にワインを飲んだからかな。いつもより酔いが回ったみたいだ。ごちそうさま、次はランチタイムに来るよ」
「ありがとうございました」
上機嫌で帰っていく新城さんを見送る。
はぁー、聞きそびれちゃったな、残念。鷹峰さんのことを知る、せっかくのチャンスだったのに。
肩を落としつつ、オレはテーブルの片付けに向かう。
あれから三日、オレは本選びに行き詰まっていた。このままでは、約束の日に飛び切りの一冊を差し出すことができない。
あれ、これって……
椅子の上に置いたままの封筒が目に入る。
あ、そういえば新城さん、鞄からスマホを取り出すとき、封筒を
あ~ぁ、酔ってたから、うっかり忘れたんだな。
……うん? これって、チャンス到来じゃない⁉
「マスター、忘れ物がありました」
オレはマスターに歩み寄り、封筒を見せる。
「そこに座ってたの、新城さん?」
「はい、そうです。追いかければ間に合うかも」
マスターから「じゃあお願い」と頼まれ、オレはこれ幸いと店を出る。
「確か、右に行ったよな」
小走りしながら新城さんの姿を探す。
「あっ、いた」
オレが見つけたとき、新城さんは交差点で信号待ちをしていた。
青に変わる前に、声をかけないと。
「新城さん待ってー、忘れ物! 新城さーん」
声が届いたのか、振り返り辺りを見回している。オレはもう一度、大きな声で呼んで封筒を掲げて見せる。
新城さんは『あっ!』というような顔をして、引き返して来た。
「間に合ってよかったです」
「ありがとう、助かったよ。手間かけさせたね」
酔って失態とは面目ないと、新城さんは後頭部に手を当てる。
「いえいえ、いつもご
印字してある方を上にして、封筒を手渡しながら尋ねてみる。
「ああ、そうだよ。とはいっても、本社じゃないんだけどね」
「それでもすごいな~! 有名どころじゃないですか」
相手を持ち上げつつ、オレは本題へ入るタイミングを伺う。
「エリートですね」と弾むように言い笑顔を向けると、「そんなことないよ」と言いながらも、
「三年で就活始まるから、鷹峰グループちょっと気になってて。最近、書店が近所にオープンしましたけど、景気がいいんでしょうね」
「ああ、あの書店ね。確か社長の息子が海外から帰って来たのは、書店立て直しのためって話を聞いたことあるよ」
思いどおりの話の展開に、オレは心の中で万歳三唱をする。
「へぇー、そうなんですか。やり手なんでしょうね。どんな人ですか? 会ったことあります?」
「うーん、僕はまだ入社して三年目だからさ。会ったことはないんだよ。だけど、本社の同期から聞いた話だと、とにかく真面目で冷静沈着。仕事も遅くまで残業してるらしいよ」
やっぱり真面目なんだ……
「女性社員の間では、恋人の影も感じない。チャンスとばかりアピールするも『見向きもされない』って
「うわー、モテるんですね、羨ましい。あ、いけない、バイト中だった、もう戻らないと。足止めしてごめんなさい。失礼します」
これ以上引き止めるわけにもいかない。
それに有力な情報もなさそうだ。
オレは軽く頭を下げ、お店に戻った。
★★★
『飛び切りの一冊をお持ちします』
あの約束を交わした日から、私は書店の在り方について考えている。
週刊誌、月刊誌、コミック、文庫本、参考書、写真集……。本のジャンルの多さに加え、毎日のように多数の新刊が出るという。そこから何を書店に置くか、選考するのは大変だろう。書店の規模に合わせ、定番商品からマニアックなものまで、置きたくても置けない本もある。
今日も各店舗に赴き、店長から話しを聞いた。ジャンル別の担当者には、POP作製に励む者や、陳列に工夫を凝らしお客へのアピールを試みる者。それぞれに売り上げを伸ばそうと奮闘していた。
皆、それぞれに担当するジャンルへの思い入れがある。
『書店で出会えた本がたくさんあって……』
ふと彼女の言葉を思い出す。
「書店にあったから読んでみた。そんなこともあるのか……」
『偶然手に取った、たった一冊の本がその人の人生を大きく左右することもある』
そう父も言っていた。あながち間違ってはいないのかもしれない。
私はそんなふうに、本と出会ったことがあっただろうか。
──なかったように思う。
私はどちらかといえば、『始めから買う本を決めて』書店に行くタイプの人間だ。
迷っている時間が無駄だと思っていたからな。
「本を選ぶことが楽しい……か」
それはどんな感覚なのだろう。私が勉強することが楽しいと思う感覚と、同じなのかもしれない。
とはいえ、自分の判断基準は、あくまでも有意義かどうかだ。
生真面目、堅物。私が周囲からそう評される由縁は、こういった感覚のせいもあるだろう。
それらが今後、変わるようなことがあったら。それは自分に何をもたらすのか。
僅かに高揚している胸を感じつつ、私は約束の日を待った。
彼女との約束の日まで──あと二日。
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