第4話 え──、これ……だけ?

「ありがとうございました」


 心地よいカウベルの音と共に、ランチタイム最後のお客さんが店を出た。


 アパートからほど近いこのレストランは、二人がけのテーブルが五席と、四人がけのテーブルが六席。そしてカウンター五席のこぢんまりした店だ。

 

 中肉中背の気のいいマスターとその奥さん。腕のいいコックが二人にバイトが数名で営業を支えている。


 この洋食レストランは、オレのバイト先なんだよね。


 賄い付きが魅力的で、一人暮らしを始めると同時に働き始めた。食費はなるべく抑えたかったから。


「理央君、そこのテーブルのセッティングが終わったら、上がっていいよ」

「はい、分かりました」


 ディナータイムが始まるのは午後五時から。今日のオレは、ランチタイムのシフトで、夕方からの準備を整えてから上がるのがルーティンだ。

 賄いは作業の合間に、取らせてもらっている。


 よし、終わった!


「マスター、お疲れさまでした。次は火曜日の夕方から入ります」

「ああ、お疲れ様。火曜日、よろしく」


 挨拶を済ませたオレは、急いでロッカールームに向かう。


 手早く制服である黒のソムリエエプロンを取り、白のスタンドカラーのシャツを脱ぐ。それからグレーのパーカーを着たあと、黒のスラックスを脱ぎ、デニムのスキニーパンツに履き替えた。


 一気に子どもっぽくなるよな~。


 なんて、思っている場合ではない。


 早く帰らないと!


 今日はこれから、行きたい場所があった。三日前、鷹峰書店がオープンしたのだ。


 そして今日は、バイトの給料日!


「楽しみだな。どんなラインナップなんだろう」


 新刊も出てるだろうし、今日は思い切って十冊くらい買おうかな。


 前回買った三冊は、もう読み終わってしまった。あの本を見ると、オレに腐女子と言ったイケメン最低ヤローを思い出してしまうのが難点だ。


 言動はむかつくけど、容姿は最高にかっこよかったんだよな。

  

 会いたくないけど、姿は見たい。そんな心境のオレである。


 まさかオレのほうが一目惚れ、なんてことないよな……


 そんな思いを巡らせながら、オレは自転車のペダルを高速で踏む。


 そして十五分とかからず帰宅し、すぐさま地味系オタク女子姿に変身する。


 もうすぐ五時か、書店、混んでないといいけど。あ、BLコーナーがってことだよ。


 オレは大股にならないように気をつけながら、早足で書店に向かった。

 

 ★★★


 多分、奧の方にあると思うんだけど……。


 鷹峰書店に着いたオレは、BLコーナーを探す。

 視線を巡らせながら、少女コミックの前を通過して、壁際の方へ足を運んだ。


 あ、BLコミック発見。まあまあ置いてある方かもな。さて、小説はと……。


「え──、これ……だけ?」


 思わず口から零れる。


 ななな……なんでだよ! 棚の二段も埋まってないなんて、信じられない。少なすぎるって、『お客様の声』コーナーに書き込んでやる!


 楽しみにしてたのにとオレが憤る最中、棚の向こう側から話し声が聞こえてきた。


「売り上げが……在庫を減らして……」

 そんな言葉が断片的に聞こえた。


 話の内容からして、店員さんかな。


 何気にそんなことを思っていると、

「もっとBLコーナーを縮小してもいいのではないか」

 と、聞き捨てならない言葉を耳にしてしまう。


 今、なんて言った? 縮小するだって! それでなくても小さいコーナーなのに、冗談じゃない。


 オレは誰が言ったのかと、声のするほうに足を向ける。


「一月後の売り上げを元に、売り場面積の配分を見直そう。売り場面積に限りがある以上、売り上げに見合った拡大、縮小はやむを得ない。品揃え等、基本的には本社主導にしていこうと思っているが、現場の声は大事にしていくつもりだ」


「分かりました。ですが、これ以上BLコーナーを縮小するのはどうかと。一定数のお客様はいらっしゃいますから」


 いいこと言うじゃないか! 店長さんかな。素敵だよ、頑張って!


「しかし──BLとは、男同士の恋愛がテーマの作品だろう。そんなに需要があるとも思えないが。読んで得るものがあるのか?」


 はぁ! 何言ってるんだよ! バカにして! オレは十分救われてるのに。


 棚の陰から様子を見ていたオレは、男の言いように、頭に血が上ってしまった。


「ちょっと! なんなんですか、その上から目線。侮辱しないでほしいんですけど‼」


 会話に割り込んだオレに、二人は同時に顔を向けてきた。


 あっ! あの時の、じゃないか!


 まさかこんな再会の舞台が用意されていようとは──


 ああ神よ。今後の予期せぬ展開を、なぜ教えてくれなかったのか……


 自分の迂闊な行動を、激しく後悔するのは数時間後のことだった。

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