親父と子と

刈谷つむぐ

親父と子と

 父は、どうしようもなく馬鹿である。


 大馬鹿者だ、なんて僕如きがほざいたところで意味はなく、ただただ僕が生意気な野郎である、ということになるだろう。でも、やはりばかだ。それは覆せない。


 僕はかなり遅くに生まれ落ちた人間だったらしい。家系図をみると、年齢差の大きいはずなのに横並びになっていたりする。同じ中学校にいるはずなのに、続きがらは大叔父さん、なんて笑い話を、よく友達になったばかりの人に語らったりするほどには、だ。


僕が生を神やら仏やらに与えられた時、父はちょうど還暦を迎えている年になっていた。別に、だからといってもさしたる不便もない。僕はお父さんが好きであった。口のうるさい母親から庇ってくれて、とてもいいお父さんであった。


 私の考えや知識の基盤にあるのは、お父さんである。お父さんは読書家であったので、僕も父譲りの読書家になったようで、うむ現にこの文章を今まさに書いている訳であるが、よく本を借りては読んでいた。


 しかし、老いは案外近いところにある。この事実を僕が自覚したのは、叔母の葬式の日であった。ぼんやりした頭でお坊さんのお経を聴き流し、彼女の配偶者が泣いているのを見て、お父さんの葬式の日には、僕もあのようになっているのだろうか、なんて思ってしまったものである。


花を棺に副葬して、最期に一目見んと多くの親類方、ご友人方が集まった。人望ある人であったのだ。その人は戦前の生まれであったから、よく戦時中の話をしてくれた。軍歌を唄ってくれた。日本の軍歌は、反戦歌に片足を突っ込んだものだけれど。


 僕は火葬場の、あまりいとはいえない匂いを嗅ぎながら、叔母との思い出を蘇らせていた。お父さんの時は、どうだろうか。


 ああ、お父さん。何故あなたはこんなにも馬鹿なのですか。意味もなく呟いてみる。未だに木魚の音が脳髄に沁み渡り、ぼうっと天井を眺めていた。


 ——或る日、転倒して顔に傷をつけて病院に運ばれた。その姿をみて、この家は、僕がなんとかせねばと決心した。もう馬鹿になっていたお父さんからの、最後の訓示であったかのように思われる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

親父と子と 刈谷つむぐ @kali0710

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ