第9話

 テレサ以下、その正体を察していた者、元より知っていたであろう者に関わらず、閉口せざる者は無かった。

 その顔ぶれの一抹の疑惑の目を感じ取り、衛士ランを名乗っていたルフは、悪戯っぽく笑った。


「案ずるな。別に替え玉や幻術の類じゃない。元より俺は、なのさ。ほぼ獣人の姿と、ほぼ人の姿を持つ。生まれ持っての体質なんだ……叔父上には、すでにご承知のことかと思うがな」


 ……そう、パオルは知っていた。そして同時に手駒であるソーシャからは、なんの報告も受けていなかったのだろう。

 不審なる青年について。そこに至る出入りについて。

 であれば断念するかあるいは謀略に組み込んでいたはずだ。


「さて、ソーシャよ」

 テレサと己とを隔てる槍を下げさせつつ、ルフは言った。

「お前は言ったな。『そのような男など見ていない』と。だが俺はお前と目が合ったぞ」

「や。それは……齢にて夜目が利かず」

「今宵は良い月も出ている。窓縁にいた俺の方が、テレサ殿より良く見えたと思うが?」

「いえ、あの」

「そもそもがだ。お前は『そのような男など見たこともない』と言った……何故、男だとわかった? テレサ殿は、一言も男だとは言ってないぞ」

 その程度のカマかけに引っかかるような者が近習頭とは。『彼』の目が、そう嘆きたげだ。

「何なら、お前の供をした捕吏にあらためて訊くか。今宵に限って、やたら人数が多いことへの仔細を含めてな」

 そう言いながらテレサの手を引き、玉座へ戻る。彼女を侍らせる。


「それとも……手っ取り早く、此奴に訊くか?」

 そう嘯いた彼の背、座の向こうに、気配が二つ、いや三つ浮かび上がった。

 黒き羽織と真紅の双眸、そして蝙蝠の耳を持つ、小柄な少女。

 そして、高い筒帽子を目深にかぶった、獣としてのルフの姿をいくらか幼くしたかのような若き獣人。おそらくは彼の近親者であろう。

 その二人に挟み込まれるように拘束され、覆面の兇徒が引き立てられている。


「ディル、ミウ」

 どちらかのものかは知れないが、ルフの紡いだ単語が、若者らを示す名らしい。

 筒帽子が上下に揺れると同時に、伸びた獣の五指五爪が、その顔を覆うものを剥いだ。

 現れたのは人に近いが人に非ず。猿面であった。


「この者、従兄上あにうえを始末しようと追跡しようとしていたようですが、その正体を知って立往生していたところを捕らえました……密偵としては、二流ですな……主に、似たようで」

 わずかに棘と陰気のある物言いとともに、怜悧の瞳が近習頭を捉える。

「この者の正体は?」

 そう問うルフではあったが、そのとりこの面構えは傲岸にして豪胆。きつく引き結ばれた口許を、容易に開かせることは出来まい。


「名はガンロク。ソーシャお抱えの刺客ですね」

 そして『ディルないしミウ』は、その筒帽子を揺らしながら答えた。


 なるほど、すでにお膳立ては済んでいる。

 この襲撃を事前に掴んでいたかはともかく、少なくともこの裁きの場に臨むにあたり、当たりをつけて証拠を固めていたと。


(そして私は、上手いこと担がれたってぇわけね)


 手を取る狼王に、我ながら名状し難い表情と共に頬を引き攣らせる。

 あの時テレサがランを逃してさえおらず、共に捕らえられていれば、もっと事は円滑に進めていたかもしれない。


 ソーシャはもはや、一切の反論も出来ずにいる。

 毛皮の内は、冷汗に塗れてさぞや蒸すことだろう、と安全圏にいる今では寧ろ彼を憐む余裕が生まれていた。


「なぁ、ソーシャよ」

 と、裁くはずが裁かれる側に回った老人に、ルフはあらためて顔を振り向けた。

「お前は、生真面目な男だ。このような企みには向かん、誠実な男だ。だからこそ慣れないことをして下手を打った」


 えらく好意的な解釈だが、テレサに言わせれば自身の気質と立場に甘えた怠慢であり傲慢だ。

 おそらくここに至るまでも動向は監視されていて、そこには『ラン』の存在があったはずだ。


 だが異邦の聖職者などそんなもの。一皮剥けば男と逢瀬を重ねる程度の堕落と、いずれは両者ともに口を塞げば済む話と。

 そう、たかを括って報告を怠っていたのだろう。


「我々の間にはどうにも行き違いがあるようだな。後日、あらためてお前と話し合うでその齟齬を減らしていければと思う……それまで、帰宅は許さん。ここに居てもらう」

 ルフの目は、ソーシャを見ているようであり、その実背後にいる渋面の叔父に向けられていた。互いにそれを認識できるほどに、そして周囲に知らしめるほどに、明け透けに。


「では、皆の者。夜分にこのような茶番につき合わせて悪かった。解散してくれ」


 それより先に踵を返したパオルと一部を無視して、ルフはそう正式に宣った。


「お、お館様……私はッ」

「長くの忠勤、大義であった」


 そして懸命に足掻こうとする虜囚に一方的に言う。部下に拘留を手早く命じ、自らは再び獣人の王の姿となって座を引き払った。

 その変貌ぶりには、今後ずっと慣れることはないのだろう、とテレサは漠然と想いつつ、


(ずっと、ね)

 と、あらためてこのクニにおける自らの運命を悟った。


「じゃあ、行こうか……先生?」

 手を引いてテレサを自らの供回りに加えつつ、灰狼はまた意地悪げに笑う。


 今まで己の内を明かさなかった獣人。

 今まで己が何者かを語らなかった衛士。


 その本質が、ようやく見えてきた瞬間だった。

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