第8話

 そしてあれよあれよという間に。

 テレサは拘束を解かれないままに玉座の前にあった。


 左右から冷ややかな視線を浴びせかかるは、獣の一同。中央に座すはそれらの王。最初の拝謁時と同じ図ではあるが、空気の温度はより一層に冷えている。


「如何! この不祥事たるや!?」

 と、その中でソーシャの怒声だけが熱を上げている。


「お歴々の兼ねての懸念に違わず、このペテン師めは早速に我が国の民と諍いを起こし、ついにはこれを生害せしめるに至った! もはや、この場においてこの娘の首を刎ね、無惨にも命奪われし者の霊前に供すべしっ!」

 そう気焔を吐く彼に、然りと左右の声が同調する。

 この場に招かれし面々は、パオルと、彼を筆頭とした派閥が大半。ろくに物証も無く、証拠がないまま即日裁判と極刑。


(なんとまぁ露骨も露骨。雑なことで)

 と、彼女は呆れた。


「しかし、状況だけで処断するには、いささか性急じゃないかね」

 そしてこの即興劇に、不審の声があがった。

 頭巾より突き出した三角の犬耳の少女。均整のとれた姿形。いささかの揺らぎもない眼光は、その引き締まった腹の奥にある肝の太さを感じさせた。

 それが、『ロウーラーラの灯台主』と称されるナナァである。

 地勢の絡みでパオル閥に族してはいるものの、中立に近い。

「それに、曲がりなりにも他国からの客人を処断することこそ、後日災いとなるのでは?」

 その彼女が、水を差すかたちで異論を挟んだ。

 もちろんそれはテレサを庇い立てるためなどではなく、国を想っての正論だったろう。というより、真っ当な見識さえあれば行き着く疑問だ。


「……処断自体は急ぎ過ぎ、やもしれぬにせよ」

 と、パオルが毛皮に覆われたその手を掲げた。

「そして真偽のほどはともかくとしても、その娘の存在自体が我が国を乱しておること、これは事実である。そして他国より無用の招聘をした甥御もまた、判断を誤ったと言わざるを得ない」

 と、その責任をルフに求め、仮にも己が奉じる主君を公然と批判した。

 彼にとってはテレサの生死如何より、そこを主眼に置きたいのだろう。そしてそれに反論は出ない。ナナァもそこから先の追及をしない。

 だが、その問いかけが出ること自体、


(あ、これちゃんと根回しやってないわ)


 と察せざるを得ない。権勢にモノを言わせた、稚拙な悪だくみだ。

 そもそも今のパオルの回答は、「殺人の容疑がかけられているとは言え他国の使者を勝手に裁けば国際問題になるのではないか」というナナァの問いに対するものとしては不適切だ。ただ、

 ――黙っていろ

 と言外に目線で黙らせたに過ぎない。


(このやり口は、美しくない)

 大聖堂の坊主共でさえ、最低限の体裁は整えた。

 そして自分ならば、もっと巧くる。


 とは言うものの、この強引さに抗するすべなく押し切られそうになっているのが今のテレサであるわけだが。

 そしてルフは、首座に在って瞑目していたが、

「テレサ殿、何か異議はあるか」

 庇うそぶりさえ見せず、丸投げにした。


 この突っ込み処しかない質疑応答に、逐一疑問点を挙げて反論することは容易である。だが正論など仕組まれた場においては何の意味も為さないこともまた、良く知っていた。証拠は握りつぶされ証人は消される。


 ――証人といえば。


 あのランは、無事に逃げおおせたのだろうか。あるいは、消されただろうか。

 それだけが気がかりであったがため、無駄とは知りつつテレサは答えた。


「なればありのままを申し上げます。皆々様は、まこと女の細腕で侍女を一突きに殺められたとお思いですか。それ以外の争った形跡などないことは死体を検分すればすぐわかる話だ。私が見たものは、私を狙った刺客をランなる衛士が撃退した。おそらくその逃走の間際に、出くわしたか、あるいは私をこうして嵌めるためにその暗殺者が侍女を殺めたものと推察します。御仁も私とまったく同じものを目撃しているので、呼んで事情を聴けば良いかと……ソーシャ殿も、その者が去るところを見たはずでは?」

「馬鹿馬鹿しい、粗末な作り話だ」

 それはこっちの言うことだと即時返したくなるようなことを、ソーシャは低い笑いと共に言った。

「そんな男など、見たこともない。そもそも、そのような者は宮中にはおらぬし、衛士なるお役目も存在せぬ」

 と。


 なるほど、と思った。

 要するに、最初からこれはテレサを貶めるための策謀であるゆえ、そこにたまさか紛れ込んだ異分子に言及するわけにはいかない。いないものとして扱うほかないのだと。

 だが納得しかけた直後、疑念が沸いた。

 それは、ソーシャ自身ではなく、この老人を見るパオルの目付き。


 今初めて耳にした、という体で驚き見開かれている。

 あるいは『それ以上余計なことは言うな』と念じるかのごとく注がれる眼差しに、ソーシャは気が付いていない。


 ふと、鼻先にかすめた気配があった。

 甘く饐えた匂い。出処をそれとなく追った瞬間、すべてが繋がった。

 すなわち、今のパオルの態度と、これまで特に気にすることなく散らばっていた不透明な部分。

 ここに至るまでのランの言動、この場において過剰に寡黙なルフ。


「――そういうことか」

 と。

 気づけばテレサは我知らず掌を額に押し付け、呻き声を絞り出していた。


「おい、どうした?」

 ナナァが問う。

「いえ、今やっと気づいたんで……自分の愚かしさに」

 テレサは顔を上げないまま答えた。


「ほう、悪党にしては殊勝なことよな。無駄な悪あがきはやめ、己が罪を大人しく認めると」

 その場に居合わせた誰ぞが、見当外れのことで哂った。一同連れれて同和した。

 ――だがパオルは、その限りではなかった。


「衛兵、罪を認めたうえは詮議無用である。即刻この者を叩き出して」

「最後に、もう一度問う……何か、申すことはないのか」

 性急に事を推し進めようとするパオルを遮り、ルフが彼女に橙色の眼差しを送った。それは無実を信じている、というよりも何か言ってほしい、後押しを求めて縋るような類のものだ。


「では、あらためて申し上げます、閣下」

 だから――ため息とともにそれに応えてやる。

「問うのは、私の方だ。貴方の覚悟を」

 と。


「もし貴方が仮初の安寧を求めるのであれば、いつまでもこんな茶番に黙々延々付き合っていれば良い。そこのくたびれた狼面を窺いながら私の首を刎ねれば良い」

「貴様!」

 失礼を咎める近習頭の声を無視して、眼前を遮る槍先を厭わず、一歩進み出た。


「元より捨てられたも同然の命ですから、えぇ、惜しくもありませんとも。それこそ主の思し召しと観念しますとも。でも、たとえ血が流れようとも真の変革を求めるというのなら、その捨てられた命を拾って使いなさいな……たまには足だけじゃなくて、自分のその手を汚し、素顔を曝け出してでも、掴み取りなさい」


 そう言って、伸ばした指先を総領が沓に突きつける。

 その赤く湿った爪先を。


「あまりに度を過ぎた放言、もはや看過できぬ! 衛兵、望み通りそこな愚か者の首を」

 と言いさしたソーシャは、自らの眼前を横切ったルフの影に閉口した。

 衛兵の槍衾ごしに、若き狼王は女賢者と対面した。

「なるほど、貴殿の申される通り、茶番だ。だが貴殿がこの場をどう切り抜けるか、試したかった……その非礼を、詫びる」

 そして、今までまるで表情を読み取らせなかった彼の顔に――瞭然なまでの、苦笑が浮かんだ。


「でも、ちょっとはそれに乗ってくれても良かったんじゃないか? 

 ――そう、聞き覚えのある若者の声でぼやきつつ。


「だから切り抜けたでしょうが。今まさしく、を利用して」

 ふてぶてしく、テレサは答えた。


「あの、お館様?」

 あまりの豹変ぶりに文字通りの狼狽を見せるソーシャ、そして面々の手前で、両の掌で狼君は顔を覆う。

 それは顔を押し拭い、そのまま髪を掻き分ける所作にも似ていた。


 だがその変化は身だしなみ、毛繕いなどとは較ぶべくもない。押し込まれた鼻口は粘土細工のごとく引っ込み、灰色の毛皮は皮膚の内に退きその細やかな肌が曝され、流した髪は白黒半々に分かれる。


 橙色の双眸と長い睫毛をパチクリと上下させれば、見飽きた面が衛士を名乗っていたランの容貌が、そこにある。

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