第2話
かくして、三日の内にはすべての段取りが終わっていた。
秘密裏に、水面下で、『テレサ落とし』は進められていたらしい。
空々しい別辞が述べられ、片道分の旅路と獣どもへの下賜の品とやらの織物とそれを運ぶ驢馬を押し付けられ、それを運ぶ随行員は無し。
――別に、自らに恥じる振る舞いをしてきたつもりはない。後悔も反省もない。
一つ悔いが残るとすれば、あのヒヒジジイどもや、あばただらけの司教どもの顔面に一発ずつ拳を見舞ってやれば良かったというところか。どうせ、戻れぬ道ならば。
本来ならば、獣人の一部族の領袖ごとき、相手にすることなど無かったのだろうが、体のいい厄介払いが出来るとあって、二つ返事でルフよりの申し出を受諾したのだろう。したがって、たとえ死んだとして、引き戻す気などない。また、それを訴える知己もいない。強いて言うなら南部で対龍雲戦線を張る剛勇アンヌ・ブロクスなどは学友だが、あれに政治闘争など出来ようはずもない。というかとうに自分自身が孤立している。
奢りだと。
主への尊崇の念が薄いだと。
せいぜい公衆の面前で大司教の古典の解釈違いを指摘し、その三代前のバカの書いた教典に十か所の注釈と修正を書き足して、宗論で他の連中をヘコませただけなのに。
なぜ言われのない雑言を吐き掛けられなければならなかったのか。敬虔な信者であり才色兼備な己が、どうしてここまでの仕打ちを。
「主よ、貴方は間違っています。この運命を修正せねば、いずれお目にかかった時に覚悟しておいてくださいまし」
「いや、悪い悪い。まさか、開口一番に涜神する宣教師とはな」
そう手を振るのは、若い御者である。
「宣教師ではなく、司教。涜神でなく正当な抗議です」
獣の荘の手前にして驢馬の寿命が尽き、それを看取って弔った後どうしようか、いっそこのまま
歳の頃は自分よりもやや下辺りか。自分が会った
いずれの人種とも遠からず近からず、野にして卑ならずといった按配の顔つき。
中央で言葉通り白黒はっきりと分かれた、ややまとまりにかける髪を後ろで強引に束ねたそれは、犬の尾の如く、道が荒れれば揺れ動く。
その下に隠れた耳は、人のものである。
「挨拶を忘れていた。俺はラン。レイキバの荘の衛士だ。で、あんたらの言うところの獣人だ」
「……ですが」
「あー、まぁ言いたいことは分かる。でもホラ、見てくれよ」
促されるままに差された瞳を覗けば、その虹彩は陽を浴びた橙果の如く。その瞳孔は極端に細く。
「俺は特殊でね。パッと見、そうだとは見えない。得することも多いが……ま、
だから、迎えに選ばれたということか。
なるほど、この姿であれば、髪色はともかくとしても、外においても獣人とは差別されまい。
「だからあんたのことも、この見てくれを利用して来る前に色々と調べさせてもらったよ」
おそらく待ち受けて目敏く捕捉できたのも、それがためらしい。
「テレサ・シンヴレス。下級貴族の出ながらも、苦学の末その学識は群を抜く。そして女だてらに若くして司教にまで昇る。その際に前例がないとケチがついた折には宗派を問わず古典故事を引き合いに出して猛反論して黙らせる。しかしそのあまり自負の強い気丈な性格に加え、出自故に後ろ盾はなく教団内で孤立……ま、周囲から嫌われて出世街道から外れる秀才のお手本みたいな経歴だな」
石を噛んだらしく車体が大きく跳ねた。身体が軽く浮いた。
「別に出世なんて求めてない。聖堂の大書庫が使えなくなるのはだいぶ手痛だけどね……青空の下での学びに期待しましょ」
憮然とした顔を横に向け頬杖を突き、皮肉めいた言葉を零す彼女に、また前から笑声が漏れた。
「まぁこれも主の思し召しとやらってことで腹を括ることだ。それにあんたのその気性、意外とウチに合ってるかも知れないぜ」
好き放題言ってくれる、と口の中で毒づく。
大司教はおろか、獣人そのものにさえ。
自分は人語を話す猛獣か何かだと思われている。
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