うる


さて、実は尾岡作品を読んでくださってるコアユーザーの方は(が存在するかはさておき)ご存知かもしれませんが、某エッセイで書いて(書き途中)に登場した子がウル君でした。



享年5歳。

白黒のツートンカラー。ハチワレという区分になるのかもしれません。僕の猫さんライフ、始まりの子でした。


元々、僕は犬派だったんですけどね。未成年の時の相棒は柴犬ちゃんてしたのよ、ほほほほ。

当時、職場の裏で拾われた猫さんのうちの一匹。

それがウル君でした。


若かりし頃、僕は無知で猫さんと共存するということは、どういうことなのか知りませんでした。


まぁ17年前の田舎町。

今よりも、もっと動物たちとの付き合い方が、ある意味おおらかだった。それはあるかもしれません。ま、言い訳ですけどね。


そんなウル君です。

それはカクヨムIDを見てください。以前、僕はこのハンドルネームで活動していました。

ハンドルネームは本名にちなんで(?)います。


ウル○ラマン○○

そうかつての特撮ヒーローの頭文字――円谷監督、なんだか僕は申し訳ない気持ちでいっぱいです(o_ _)o


と、それはさておき、ウル君のことです。



彼、とても頭が良かったんです。

ドアをコンコンとノック。

「外に出るぜ」の合図。


ドアをコンコンコン。

「帰ったぜ」の合図。


こういうやりとりが普通でした。


「ウルちゃんほど、頭が良い子を私は知らないよ?」

これは相方さんの弁。彼女も猫好きであります。



そうそう、僕がウル君のトイレ掃除をさぼっていた時期がありまして。

(若かりし頃、尾岡もデートというものをしていたことがありましてな)


ちょっと、ウル君を放っておいたら(お世話はしてましたよ?)

反抗と言わんばかりに、僕のお布団に……。


――しーーーーーーーーーっ💧 じょばじょばじょばっ💧

と、まるでありがたくない聖水を振りまいてくれたウル君でした。


オス猫のアレって、マーキングの役割もあるから、かなり個性的な臭さなんですよね。今思い返しても、鼻がつーんってなる。アレはヤバかった。本当にヤバかった。


まぁ、そんな感じで。普通にケンカをしつつ。

彼は自分のペースで外出をしていました。

(当時の尾岡は夜勤があったせいもありましたが)


うん、近所にウル君と似たような毛色の仔猫が増えたのは、きっと気のせい……。

※今だから言えますが、絶対にこういう飼い方はいけません。


多分、ウル君、2号宅・3号宅があったんじゃないのでしょうか。

そこでも美味しいものを食べていたんだろうなぁって思います。



彼は5歳の時。尾岡が25歳の春に猫エイズと糖尿病で、亡くなりました。

結婚前に、ウル君は旅立つことになりました。


もしも2号宅・3号宅があったとしたら。

最後は、僕を選んでくれたのかと思うのは……まぁ、僕のエゴですね。



猫との付き合い方をちゃんと学ばなかったら、こういう不幸がおきてしまう。


猫は糖尿病になりやすいといわれています。室内飼いの猫は特に運動不足になりがち。

去勢後の猫。そして肥満は、かなり大きなリスクファクターなのです。

(ウル君は去勢をしていなかったけれど)


放し飼いをするということは、食事を飼い主が放棄したのと一緒。

ニンゲンの(つまり僕の)オヤツもつまみ食いをしていましたからね。

ウル君は、本当に頭が良すぎると思います。隠していたのに、見つけるんだから。


性行為は言わずもがな。


飼うということは猫を縛るということ。

残念ながら、この日本という国では本当の意味で猫たちに自由はなく。野良猫は害獣として処分される。そんな現実があります。


だから、なんて言うつもりはありません。

ウル君を不幸に追いやったのは、誰がなんと言おうと僕でしょうし。

だから、もう猫は飼わない。

そう決めていたのに。



段ボールに捨てられていたゆきちゃんを見た時、まるでウル君と同じような知性を感じてしまったんですね。多分、僕が拾わなければ、きっと他の誰かが拾ってくれた。それだけのこと。ただ、それだけのことだったと思うのに。


やっぱり、ウル君とゆきちゃんは違うし。それで良いんだと、最近は思えるようになりました。


何より、全力で甘えてくるゆきちゃんを見れば、それ以上に愛情で応えたい。そう思ってしまって。

飼うということは、人間のエゴだけれど。


この子達は、まぎれもなく家族なんだよなぁって思ってしまいます。

飼うというよりは、共にる。




猫との生活は簡単じゃない。

お金もかかる。

何より、命をニンゲンが握ることを忘れちゃいけない。


これはね、避けて通れない命題なんです。

一度「飼」えば彼ら彼女達の命は、ニンゲンが握っている。飼ったら、野生には戻れない。だって、僕ら「飼」うことで猫の牙も爪も、鈍らせるから。


それを理解したうえで「飼」う。


昔はね「飼う」という言葉が苦手でした。でも、苦手と思うことそのものが、偽善だって、今は感じています。


家族として認識したうえで「飼」っているという事実から目を逸らさない。

家族に対して責任をもつことなんだと今は思います。



ウル君が亡くなって、17年。

未だ僕のなかで大切な猫で。

大事な相棒です。


小説のモデルにするぐらい、忘れられない子なんです。

色々な作品に出てくるルルという白猫がいるんですが。

彼はウル君をモデルにしています。


飼い主として決して褒められたニンゲンではありませんが。

今の猫達との生活を大切にしていきたい。


誰にしてもそう。

今という時間は、今しかない。


インスタントな関係なんか存在しない。

中途半端な愛情なら「飼」うべきじゃない。


やっぱり「飼うの止めた」はあり得ない。

責任を負うって、そういうことなんだと思うのです。


そういう当たり前で大切なことを、僕はウル君から教えてもらいました。




















「ありがとうね、ウル君」



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