ハンドラー0年生(1)
麻薬の摘発件数は年々増加傾向にある。それが示すこと。それは、人の人生をいとも簡単に壊す麻薬が、私たちのすぐ近くに潜んでいる可能性も高くなっている、ということ。
麻薬の密輸を水面下で防ぐ最後の砦。その一つが、魔物探知犬と、彼らの相棒であるハンドラーだ。
蒸し暑い六月の下旬。一匹の犬が麻薬探知犬訓練センターにやって来た。その犬は、野良犬として保健所に保護された過去がある。
そして先日、その保健所から鶴目麻薬探知犬訓練センター(以下鶴目訓練センター)にやって来た。その犬の名はオスカー。雄のシェパードであり、生後一年になろうとしていた。
オスカーは、訓練士の言うことを全く聞かず、麻薬探知犬の道を閉ざされようとしていた。しかし、元野良犬だったためか、他のどの犬よりも狩猟本能が高く、臭いの探知に優れていた。
そのため、麻薬探知犬になれないのはあまりにも惜しすぎる、と職員たちは頭を抱えていた。
そんな中、新たなハンドラーがやって来る、という連絡が訓練センターに届いた。
訓練センターはハンドラーにオスカーを託すことにした。
そこでなぜか、白羽の矢が立ったのがこの私、小野木美鶴だったのだ。
これから語るのは、私がオスカーの「本当の」ハンドラーになるまでの話だ。
先日、私と親友の目黒夏子は、国家公務員試験に合格し、東京税関へと配属されることになった。
「ねえ、みっつー。私たちハンドラーになれるんだよね!」
みっつーとは、私のあだ名である。
夏子は合格した直後から、ハンドラーになる気満々だった。やる気に満ち溢れ、これからの仕事に胸を弾ませている。一方の私は、ハンドラー志望でありながら、かなり不安だった。
というのも私、一言で言うならコミュ障というやつである。
人と話すことに拒絶反応を示し、まるで野良猫のように人を威嚇する。そんな性格なため、小中とぼっち生活を堪能し、高校でようやく夏子と友達になった。ぼっちになりたくてなったわけじゃないけどね。
そのため、人でもダメなのにお犬様なんて……と思ってしまうのである。事実、私はお犬様に触らせて頂いたことが、一度もない。
「触らせていただけるかなぁ……」
「えーっと……大丈夫だよ。たぶん」
夏子は私の肩を優しく叩いてくれた。
その日の午後、私と夏子は、鶴目訓練センターにやって来た。緊張気味の私たちを案内してくれたのは、人の良さそうな男生監視官。そのたくましい体とは裏腹に、笑顔がかなり素敵な男性である。話す速さもちょうど良く、声もよく通った。
「ようこそ、鶴目訓練センターへ。これから君たちの訓練を担当します。石川佐吉です。小野木美鶴さんと、目黒夏子さんだね?」
私たちは頷いた。石川監視官は微笑むと、私たちを案内してくれた。
訓練センターの中は自然豊かで、訓練室は木造だった。犬舎も清潔そうで、犬たちは元気に私たちに吠えている。さすが訓練されていることもあって、私に敵意持って吠えたりしなかった……感動。
「君たちが担当するのは、一歳になった犬たちだ」
「おぉ……若い……!」
夏子が感激している。石川監視官は夏子を見ると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうだよ。彼らは今、青春真っ只中さ」
確かに――年齢的なのもそうだけど、この訓練センター生活は、学校生活と通じるものを感じる。
つまり、私たちも青春二度目を体験するということだろう。
「私たちも青春二度目を迎えるってことですか?」
私にしてはユーモアある答えでは? 石川監視官は大きく頷き、満面の笑みを浮かべた。
「そうだよ。それも犬と一緒だし、いつもマラソン大会と運動会ができる」
マラソン大会は青春なのか、と一瞬思ったが黙っておこう。知っていたことだし。
麻薬探知犬ハンドラーは、一言で言うなら常に体力勝負をしている。私らは仕事だけど、お犬様にとっては一種の遊びだ。臭い当てゲームみたいなものであり、それが終われば、ハンドラーがもっと楽しいことで遊んでくれる……そんな感じなのだろう。ハンドラーがお犬様に付いていけなければ、当然、お犬様のやる気は消える。
ハンドラーがどれだけお犬様について来れるかが、麻薬発見の鍵になるわけである。
「マラソンかぁ……ワンちゃんと遊べるなら、マラソンなんて!」
夏子は拳を強く握った。ごめんね夏子。私そんなに、マラソン大会は苦じゃなかったよ。好きではなかったけどね。
会話をしながら、石川監視官は私たちを訓練室へと案内した。彼は私たちを部屋に入れる前に、真剣な眼差しを私たちに向けた。
別に疑われることはしていないのに、胸がぞわぞわする。
「君たちはこれから、相棒に会う」
私たちは頷いた。麻薬探知犬がいなきゃ、ハンドラーはハンドラーじゃない。
「そこで質問だ。相棒って何? なぜ友達ではいけないの?」
私と夏子は互いを見た。夏子は少し考えると、口を開く。
「その、相棒って、切磋琢磨しあうって言いますか。一緒の目標に向かって、一緒に走っていく……相棒っていう響きは、そんな感じかなぁと私は思います。」
石川監視官は頷き、私を見た。私は息を呑む。言葉が上手くまとまらない。目黒さんと同じです、なんて、絶対言いたくない。夏子の言うことも正解だと思うけど、私にとっての相棒像は、それだけじゃない気がするんだ。
「私は……互いを補い合う存在だと思います。目黒さんの言う通り、切磋琢磨し合うけれど、どうしても短所は残ってしまうと思います。だからこそ、それを補い合って、一緒に目標を達成する。そんな関係なのではないかと……」
夏子は私を見ると、頷いた。夏子もそう思っていたみたいだ。
「君たちの答えも、正解の一つだよ。……僕はね。『友達』と『相棒』は違うと思っているんだ。君たちには、彼らにとっての『相棒』になってほしい。それだけを伝えたくて、君たちに質問したんだ」
私は石川監視官を見た。
思えば……相棒と友達の違いなんて、考えたことがなかった。相棒って響きは、どこか男らしいと思っていたけれど、ここまで向き合って考えたことはなかったと思う。確かに……相棒相棒と言ったって、意味が伴っていなきゃ、伝わらないよね。
「犬は言葉を喋れない。だけど、感情もあるし、好き嫌いもある。例えば、僕の相棒だったアスナ号は、林檎が好きだったよ。でもね、ちゅー●は食べなかった。……彼らにだって、いろんな考えがあると思うんだ。だから――麻薬探知犬ハンドラーは、犬と常に対等じゃなきゃいけない。当然、ハンドラーが犬を見下したらいけないし、逆に犬に見下されてもダメだ」
私は息を呑んだ。
犬と対等な関係を築くって、実は難しいんじゃないかと思う。犬だけじゃない。人だってそう。人も犬も、内心ではどう思っているかなんて、絶対分からないからだ。
「ハンドラーは麻薬探知犬の相棒で、麻薬探知犬はハンドラーの相棒。これを決して忘れないでほしい」
私と夏子は気付くと、息を吸っていた。ほぼ同時に。
「はい!」
石川監視官は頷くと、扉を開けた。
そこには、シェパードと真っ黒なラブラドールレトリーバーが座っていた。シェパードは興味なさそうにこちらを見ると、退屈そうに、その真っ黒な耳を動かした。それとは対照的に、ラブラドールレトリーバーは尾をちぎれんばかりに振り、こちらに飛びつこうとしている。
「シェパードはオスカー。ラブラドールレトリーバーはウラニア。どちらも男性だよ。オスカーは小野木さん、ウラニアは目黒さんについてもらおうかな」
私はオスカーを見ると、微笑んだ。オスカーは興味なさそうに顔を逸らす。私と彼の間にある雰囲気は、いつの間にか凍てついていた。
それが、私とオスカーの出会いである。
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