竜の兄弟(2)
彼は顔を上げた。胸騒ぎがする。
鳴き声は複数あった。群をなす生き物のようだ。思えば、鳥の囀りもいつの間にか聞こえない。胸騒ぎはさらに大きくなった。ここにいてはならない、と本能が警告している。
ハイジャック犯たちが彼を見た。何なんだよと叫ぶのを聞き、彼はハイジャック犯たちを睨みつけた。
ここにいてはならないという証拠はある。鳥が鳴くのを止めてしまったことだ。
つまり――鳥が鳴くのを止めるほどの「脅威」がすぐ近くにいる。おそらく「脅威」の縄張りに、知らぬうちに入ってしまったのだ。
鳴き声が近付いてくる。彼は震えた。
「……おい、何か来ないか……?」
「動かないでください」
彼は震えながら呟いた。しかし、子供は事情を呑み込むことはできなかった。火の付いたように泣く子供たち。母親が急いであやすが、足音がさらに近くなる。静かにしろと誰かが小声で言うものの、子供は泣くのを止めない。まずい、と彼は思った。
横にいた少女が、彼を見た。三つ編みをした少女は、肩に青い毛並みをした栗鼠を乗せている。彼と同じ制服を着ていたが、彼は彼女を知らなかった。
「まずいかも……どうしよう……」
すぐ近くに、その気配を感じた。全員が顔を上げる。
そこにいたのは、十頭近くの小型恐竜だった。種類で例えるならば、ドロマエオサウルスのような姿をしている。緑色の羽毛に覆われたものと、青色の羽毛をしたものの二種類いた。青色をしたものは体が大きく、頭に白い飾り羽が生えている。たくましい後ろ足には、立派な爪があった。前足は特に長い羽毛で覆われており、小さいが、それでも鋭い爪が見える。
恐竜たちはこちらを睨みつけるていた。その深い緑色の目を向けられ、全員が戦々恐々とする。子供はさらに激しく泣き出した。
恐竜たちはまず、ハイジャック犯たちに襲いかかった。緑色の個体の方で、今にも殺さんばかりの殺気を漂わせている。
ボウガンと銃を何人かが恐竜に向けたが、彼らは素早くそのボウガンと銃を取り上げ、奥の方へと蹴飛ばしてしまった。
「おい……何なんだよ、何が起きてんだよ……!」
誰かが悲鳴にも似た声をあげる。彼は恐竜を見つめた。そのうちの、特に巨大な体をした青い体毛の個体が、彼を見つめた。その個体だけ、黄色の目をしている。横にいた小柄な個体たちが走り出し、一斉に乗客たちに襲いかかった。
逃げようとしたが、足が動かない。子どもたちの泣く声と悲鳴により、さらに恐竜たちは興奮しているようだった。
完全に殺そうとしているらしく、爪と牙を容赦なくこちらに向けている。
ハイジャック犯たちは既に傷だらけだった。死んではいないようだが、このままにしておけば、死ぬのも時間の問題だろう。彼は恐竜を見た。
「くそ……敵じゃねえぞ……」
体の特に大きな恐竜はこちらを見つめると、大きく跳躍した。
彼はそれを見て、俺は死ぬのかな、とぼんやりと思った。それでもいい、と思う。どうせ、誰にも必要とされないのだから。
彼は恐竜を見つめた。
なぜだろう。不思議と、この恐竜と会ったのは、初めてではない気がした。ずっと前から、それこそ、生まれた時から、ずっと一緒にいる気がするのである。
彼の性別は男であること。赤い実を好んで食べるが、肉も好きなこと。意外と寂しがり屋なこと。しかし、情に厚い性格をしており、仲間のために命を捧げることができること……彼は、この特に体の大きな恐竜の全てを知っていた。
仲間と表すには距離が遠い気がした。そう……仲間よりも親密な……兄弟、そう兄弟だ。この恐竜こそが本物の兄弟だと思った。そして、この恐竜以外に、本当の家族はいないと思った。
彼は恐竜を見つめた。恐竜は口をこちらに勢いよく向ける。彼は瞬かなかった。文字が頭の中に流れ込んでいる。黄色の瞳……黄色、黄……コウだ。
「コウ! 俺はソノマハジメ……曽野間創だ!」
彼が叫ぶと、恐竜……コウの動きが止まった。
コウは創を見つめる。戸惑うように創をしばらく見ていたが、顔を下げ、創の頬に頬擦りをする。しばらく気持ちよさそうにそうしていたが、やがてコウは創の横に座り、舌で彼を舐めた。その黄色の眼は、子供のように優しく、無邪気だった。創は恐竜の頭を撫でる。短い毛が創の手を擦って、少しくすぐったい。コウは気持ちよさそうに目を細め、そのまま創の膝の上に頭を乗せた。
他の恐竜たちも創とコウを見ると、攻撃をぴたりと止めた。そして、創に近づく。呆然とする乗客たちをものともせずに、コウは創に甘えていた。さながら子供のようである。
「……おいおい……マジかよ……」
ふと女の声が聞こえ、乗客たちは顔を上げた。そこには、着物を着た二人の少女が立っていた。黒い髪をした、少し鋭い目をした少女。雰囲気はどこか大人びていた。その横にいる少女が、少し特殊な姿をしていた。
その少女は、藍色の髪をしていた。目は藤色をしており、人とは思えぬ髪色と目の色だった。雰囲気はどこか張り詰めているが、快活そうな少女である。その少女の背後には、黄金色の毛をした熊が立っていた。
二人とも、驚愕したように創たちを見ていた。
「……知っているかい? 名前は契約の印となる」
黒髪の少女が、突如として呟いた。創は首を傾げる。
「君は、その竜と兄弟になった。女の子の方も、その栗鼠と兄弟になった。端的に言うと、君らは選ばれたのさ。彼らの兄弟に、ね」
藍色の髪をした少女は、黒髪の少女を見た。そして、何やら伝えている。しかし、内容までは創たちは理解できなかった。藍色の髪の少女は次に、創に何か言葉を伝えていた。しかし、やはり何を言っているのか分からない。少女もまた、珍しいものを見たかのような目を、こちらに向けている。そんな創をよそに、コウが腹を見せた。もっと撫でてほしい、と言っているかのように。
「……言葉が通じてない……!」
誰かが呆然としたように呟いた。
では――なぜ黒髪の少女は言葉が通じたのだろう。創と栗鼠を連れた少女は、顔を上げた。
「私、君らと同じ、日本から来た『難民』なんだよね。でも、ここには五年以上いるから、通訳はできるよ」
黒髪の少女は微笑む。栗鼠を連れた少女は戸惑うように、少女を見た。
「待ってください。『難民』って……?」
「私は間違った喩えをした気はないよ。でもね。君らの知る難民とは、少し事情が異なるかな。その前に、君たちの名前を知りたい。兄弟の名前も教えてね。私はアユ。彼女はソラネ。熊の方はミツだよ」
創は黒髪の少女を見た。
「曽野間創。こいつはコウ」
「シノサキカナコです。篠笛の篠に、長崎の崎で篠崎。夏に菜の花の菜、子供の子で夏菜子と申します。彼女はセイラ」
しまった、そこまで詳しく言うべきだった、と創は思う。そこで、創作の創ではじめと呼びます、と付け加えた。
「なるほどねぇ。……まず、創と夏菜子以外の人たちは、私の後ろの人たちについていってくれる?」
アユの背後にいたのは、足軽のような格好をした屈強な男たちだった。男たちは刀を持っている。乗客たちは怯え、ハイジャック犯もろとも、その男たちに黙ってついていった。
「まぁ、殺されはしないさ。入国できるかは別だけど」
創は首を傾げる。ここは日本ではないのか? アユは創たちを見ると、苦笑した。
「少なくとも、ここは日本ではないさ」
「じゃあどこなんですか?」
アユはさらに困ったように笑った。
「単刀直入に言おう。君たちは、二度と家に帰ることはできない。なぜか。それは、ここが異世界だからさ」
創はアユを見た。
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