#94 肉じゃが@料理に足りないもの



おじいちゃん家に着いて早々、春輝から着信があった。しかもこんな午前中からビデオ通話とかいったい何事なのと思いながらも、通話ボタンを押して出てみると第一声が、



『すまない。浮気ギリギリのラインだ』



春輝の言葉に耳を疑った。春輝が浮気をするなんて信じられない。けれど、あのダメ人間製造機の春輝がわたし以外の人と関わりを持つということは、それなりの理由があるとしか思えない。



『バカ真面目かっ!』



春輝の背後から顔を出したのは由芽ゆめちゃんだった。春輝の頭に軽くチョップを打ち下ろして、ケラケラ笑いながらスマホにフレームインする。



『霧島〜〜〜じゃなかった。まゆっち、浮気現場はどう、ねえ、どう?』

「浮気って、どういうこと?」

『だって、せっかく二人に会いに来たのにまゆっちいないんだもん。それで、どうせなら並木にご飯をごちそうになろうと思って。そしたら、この堅物は、“浮気だから良くない”とか言っちゃって。別にご飯食べるくらいどーってことないでしょ?』



由芽ちゃんは春輝の口真似をしながら、おどけてみせた。

わたしも笑ってしまった。意外にも由芽ちゃんの春輝ムーブがどことなく似ていて、なんだかおかしくなってしまったのだ。



『麻友菜、悪い。こいつ強引に上がり込んできたんだ』

「別に大丈夫だよ。信じているし。それに浮気を疑われないようにビデオ通話繋いだんでしょ?」

『まあ、そうだが』

「由芽ちゃんには優しくしてあげて。きっと春輝の手料理楽しみにしてたんだろうし」

『施設では、委託の厨房がなんとかかんとかで、味気ないんだよね。おいしくないわけじゃないけど、ほら、並木のご飯の味が忘れられなくて』



お母さんを刺してしまい、その後春輝とわたしで作ったご飯をごちそうしたときのことを言っているのだろう。あのときは確か肉じゃがを作ったはず。由芽ちゃん泣きながら食べていたもんなぁ。



「でも、安心したよ。由芽ちゃんが元気そうで」

『元気だよ。それで、今度退所することになったんだ。その報告も兼ねて、来たんだけどさ』

『まさかお前、また悪巧みをして、警察の厄介になったんじゃないだろうな?』

『並木はあたしのお父さんかよ。そんなわけないって。そうじゃないよ、お姉ちゃんが大学を辞めて働き出したんだって』



お姉ちゃんというのは、元生徒会長の貴崎彩乃きさきあやの先輩のことだ。すごく優秀で、有名私立大学に進学したはず。その彩乃先輩が大学を辞めたということは、両親の離婚の件が関係しているとしか思えない。



『それで、あたしを引き取るって。あたしはお姉ちゃんの足を引っ張りたくないって言ったんだけどさ……家族だからって』

『良い姉を持ってよかったな。由芽みたいなゲーセンに入り浸るオタクを世話するのも大変だろう』

『並木ってなんだか手厳しくない?』

『俺は麻友菜以外にやさしくするつもりはない。食べたらとっとと出ていけ』

「こら、春輝。由芽ちゃんには優しくって言ったじゃん。それとも、可愛い彼女のお願い聞けない?」

『く……最大限努力はする。肉じゃがでいいな?』

『オッケー。代金は出世払いで』



スマホのディスプレイから春輝がフェードアウトしていく。キッチンのほうでガチャガチャ音がするのは、きっと料理をする準備をしているのだろう。由芽ちゃんはダイニングテーブルに着いたまま両手の甲の上に顎を乗せて、わたしを見つめている。



『あたし、生まれ変わったらまゆっちになりたい』

「え? なんでまた?」

『可愛くて、優しくて、誰からも愛されていて……』

「そんなこと……」

『あるよ。それにあいつ、まゆっちのこと大好きじゃん。あたしはさ、施設で一人ベッドで横になっているときに思うんだ』



由芽ちゃんはため息を一つ吐いてスマホを持ち直し、上半身を起こして春輝が料理をするところが映るようにインカメラと自分の位置をグルっと調整した。



『もしあたしがまゆっちの立場と逆だったら、救われていたんじゃないかって』

「由芽ちゃん……」

『ああ、ごめんごめん。変な意味じゃないよ。ただ、負け犬の戯言。別に並木をまゆっちから寝取るとか、そういうことはまったく考えていないから』

「ふふ。寝取れるものならどうぞ」

『は? 並木もぶっ飛んでると思ったけど、彼女もかっ』



それくらいの余裕がなければ、二番街の有名人の彼女は務まらない。春輝と一緒にお花の配達のバイトをしているとそれを痛感する。春輝はどこに行ってもモテる。キャバ嬢から風俗嬢、それにコンカフェ嬢、あとはガールズバーの店員……。もう訳が分からないほど。みんなフレンドリーに春輝に話しかけてくる。わたしなんかよりもずっと綺麗で可愛い子がズラリと。



「信じてるからね。春輝の心はなかなか動かないから、由芽ちゃんがんばって」

『やっぱり、まゆっちと並木ってサイコーだわ。これは勝てないなぁ。そういえばこの前、影山樹に会ったんだ。二人によろしくって。あとカレー研究しているから、今度食べてもらうとかなんとか』



樹ちゃんも由芽ちゃんも元気そうで良かった。今度みんなで遊びたいな。



由芽ちゃんと世間話をしているうちに、春輝の肉じゃがが完成したらしく、わたしにも見えるようにダイニングテーブルの上に器を置いて、さらに味噌汁のお椀から湯気が出ているのも見えた。



『由芽、食べたら出ていけ。そして二度と来るな』

『自分でいつでも来いって言ったんじゃん』

『俺が一人のときには来るなという意味だ。麻友菜がいるときは歓迎する』

「春輝ぃ? だから由芽ちゃんには優しく」

『……無理だ。どう優しく接して良いのか分からない』

『十分優しいじゃん。ご飯作ってくれたし』



図星を突かれたようで、春輝はバツが悪そうにどこかに行ってしまった。由芽ちゃんは「いただきます」としばらく手を合わせてから箸を手にした。



『ああ、やっぱり』

「なにが?」

『おいしいんだけど、あのときの肉じゃがとは味が違う』

「気のせいじゃない?」

『やっぱりまゆっちがいないとダメなんじゃない?』



わたしなんて何もしていない。あくまで春輝の補助をしているだけで、あとは味見をして感想を言うくらいだ。確かにあのときは、“もう少しまろやかでもいいかも”と言った気がする。まさか、それがダイレクトに味の違いになっているとは思えない。



『でもおいしい。料亭と同じか、それ以上の味だと思う』

「春輝が聞いたら喜ぶよ」

『どっか行っちゃったよ。本当に並木って面白いよね。一年のときは学校で全然目立たなかったのに。誰かさんと付き合ってから、ランキング上位だもんね』

「ランキング?」

『あれ、知らなかったの。男子のランキングがあって、ぶっちぎりの一位だったけど』



そんなの初耳だ。そんな話題は友だちとの会話でも上がらなかったし、誰が付けたのかも気になる。むしろランキングなんてどうでもいい。春輝の株が上がるのは嬉しいけれど、注目されてあーだこーだ言われるのはなんとも気味が悪い。女子を勝手に格付けするあの四天王とかの二つ名もおかしいと思うし、わたしなんかよりも可愛い子はいっぱいいる。



「そうなんだ……」

『さて、食べたしおいとましないと』

「ゆっくりしていったらいいのに」

『彼女不在の男の家に入り浸っていたら、それこそ迷惑でしょ。こうして並木とまゆっちとも話せたから満足だよ。まゆっち……いや霧島』

「なに?」

『ありがとうね。並木と霧島がいたからあたし、前を向けたんだと思う。本当に感謝しかない』



由芽ちゃんは深々と頭を下げて、『じゃあ』と右手を上げた後、ディスプレイから消えた。声が遠いものの、『また来るぜ〜〜〜並木』とおちゃらけた声が聞こえてきたが、その直後に春輝は、



『二度と来るな。来るときは連絡しろ』

『あとこれ、今度あたしとお姉ちゃんが住む予定のアパート。翡翠荘っていうボロいところなんだけど、遊びに来てよ』



そして、玄関の扉の閉まる音がした。由芽ちゃんが来た理由がなんとなく分かった。



「春輝〜〜〜」

『まだ繋がっていたのか。悪かったな。忙しいだろうに』

「ううん。春輝の声が聞けてよかった」

『俺もだ。やっぱり、一人になると寂しいな』

「それは由芽ちゃんがいなくなっちゃったから?」

『そんなわけないだろ。麻友菜がいなくなって……という意味だ。はやく帰ってこいとは言わないが、帰って来る日は早めに教えてくれ』

「うん……わたしも春輝エキスが足りなくなる頃だけど、足りなくなったら電話して良い?」

『バイト終わりは二二時だ。遅いぞ』

「夏休みだし大丈夫。それに田舎でやることないから」



おじいちゃんの容態も命に別状はないから安心しているし、けれど寝たきりになるのは避けられないと先生に言われて、おばあちゃんは複雑な心境らしい。おじいちゃんは用水路に落ちたことで風邪症状もあり、発熱しているとか。おばあちゃんにはお母さんが付いている。わたしもいる。しばらくは寄り添ってあげたい。そう思う反面、春輝に会いたいという気持ちもある。



現代ではビデオ通話があるからいいけど、おじいちゃんの世代にはそんなものはなかった。おばあちゃんとおじいちゃんは会えない夜はどうやって過ごしていたんだろうなんて思ってしまう。二人はどう愛を育んできたのか。



わたしと春輝もいずれはおじいちゃんやおばあちゃんのようになる。今と変わらない気持ちでいたいな。



『そうか。麻友菜』

「なに?」

『やっぱり麻友菜がいないと料理は完成しないらしい』

「そんなことないよ」

『由芽も気づいていただろ。さっき作った肉じゃがの味は尖っていた。麻友菜が味見しないとダメだ』

「……うん。春輝、帰ったらいっぱい甘えさせてあげるね」

『それは俺が言うべき言葉じゃないのか?』

「それもそうだけど、春輝、今すっごく寂しそうだよ」

『そうか。分かった。でも、俺のことよりも今は家族だ。悔いの残らないようにな』

「うん……」



そうしてビデオ通話を切った。



「春輝くんから?」

「うん。浮気寸前だからって救いの電話だった」

「なにそれ?」

「真面目バカのダメ人間製造機だから」



お母さんと春輝の話をするのも久しぶりだった。春輝のことを聞いてお母さんは「本当に真面目な子ね」と評していた。



おじいちゃんが事故の誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんで亡くなったのはそれから八時間後のことだった。








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