#93 八ツ橋@麻友菜のいない時間



クララは高校卒業と同時に山崎姓を名乗り、それで神酒谷神山神社で過ごすことになる。それは本人の希望であり、誰に強制されたことでもない。子どもの頃は芸能人になりたいと言っていたクララも、今は違うみたいだ。



子どもの頃から描いていた夢は、成長の過程で変化することがある。頑なに一つの夢に固執することはない。一度きりの人生だから、やりたいようにやればいい。人に迷惑さえ掛けなければ、どういうふうに生きようが自由だ。



「クララちゃんが神主さんかぁ~~~」

「ん。チャラい神主だから、神様も呆れるんじゃないか」

「ちょっと。二人ともあたしをなんだと思ってるのよ」



あれからもう一泊して、現在は俺の家に帰ってきている。あれだけ静かな環境にいてリラックスできたのに、なぜかこの喧騒感にホッとしているのは、やはり我が家が一番ということなのだろう。お盆期間も終わって、また二番街の騒がしい日常が始まろうとしている。



「ところで、クララは仕事いつからだ?」

「明日から。じゃなかった。今日の夜だ。ラジオ収録があった」

「そっかぁ。大変だね」

「今日のテーマは、“今年の夏休みなにしてた?”だから、まゆりんとお風呂でおっぱい揉み合ったって言おうと思うの」

「ま、ま、待って。してないって」

「したじゃん。あれは身体の火照る熱い夜だった……」

「春輝、なんとか言ってよ~~」

「まあ、いいんじゃないか。クララなら」

「良くないって」



俺に助けを求められても、どう反応していいのか分からない。随分と長風呂だなとは思っていたが女子なら普通だし、それがまさかじゃれ合っていたとは。だが、意外ではなく、クララと麻友菜ならなんとなく想像がつく。



「春輝……クララちゃんはともかく、わたしまでそういうキャラだって認識してるでしょ?」

「ん。違うのか?」

「もぉ~~~~」

「あ、ごめん、電話」



クララはそそくさと逃げるようにスマホを持ってリビングから出ていってしまった。麻友菜はソファに座る俺の隣に移動し、自分も腰掛けた。不服そうな表情だが、怒っているとか、凹んでいるような顔ではない。



「春輝くん、同性であっても他の人に身体を触られていいのですか?」

「クララは妹だろ」

「妹でも胸を触られたら減っちゃうんだからぁ」

「そうなのか?」

「そうだよ。春輝エキスが抜けた分、補充が必要なんだからっ!」



どういう理屈か今ひとつピンとこなかったが、ここ数日はクララと一緒であまり恋人らしいことができなかったことが不満らしい。だからといって、クララを邪険に扱っているわけではない。麻友菜とクララはある意味相思相愛だ。いつでもクララの帰りを歓迎している。ただ、クララの人を食ったような性格の前では麻友菜もタジタジになることが多いが。



「……キスしたい」

「クララが戻ってくるぞ」

「ちょっとだけならいいじゃん」



リビングから廊下に繋がる扉の向こう側では、未だにクララの話し声が聞こえてくる。電話がまだ続きそうだということで、麻友菜の要望に応えることにした。



甘くとろけるようなキス。

はじめてキスをした日から、いつも変わらない麻友菜とのキス。

たとえば倦怠期とか、一緒にいることが当たり前になって、別の人を好きになるとか。一般的なカップルは割と普通にそういうことが起きるらしい。だが、俺にはそういうものがない。



付き合った日、いや偽装カップルになった辺りから不思議と気持ちは何一つ変わっていない。



久しぶりのキス……と思ったら、兵庫に行く前日の夜もクララがいるにもかかわらずキスはしている。たった二泊三日の期間だけできなかっただけのことでエキスが足りなくなるなら、俺がなにかの用事で一週間いなくなったら、どうするつもりなんだ?



むしろ、そういう期間をあえて作ってみて、再会したときの麻友菜の反応がどうなのか見たくもある。いつも一緒にいる麻友菜と離れたら、どう感じるのだろう。



だが、そんな思いが本当になるとは思いもよらなかった。



翌日、朝の八時に麻友菜から電話が来た。内容は、



『おじいちゃんがまた夜いなくなっちゃったみたいなの』

「大丈夫だったのか?」

『それが……田んぼの用水路に落ちて、足を折っちゃって』

「それは……気の毒だな。それで、病院には?」

『うん……入院したんだけど、ちょっと心配だから夏休み中、向こうにいようって思うの』

「そうしてあげたほうがいいだろうな」

『春輝は大丈夫?』

「どういう意味だ?」

『わたしがいなくても……その……寂しくない?』



俺も寂しくないかと言われれば嘘になるが、むしろその言葉をそっくりそのまま麻友菜に返してやりたい。これまで約二週間もの間、会えなかった日はなかったはず。一日会えなかっただけでビデオ通話をしないとエキスが足りなくなるのに、二週間という期間はさすがに長過ぎるだろう。



だが、それよりもおじいちゃんのほうが心配だ。後悔のないようにやってほしいと思う。人は永遠には生きられないのだから。



「寂しくないわけがないだろ」

『じゃあ、一緒に来る?』

「バイトがある。クロさんが夏休み中働いてくれたんだ。さすがにもう休めない」

『そうだよね……分かった。春輝』

「ん?」

『大好き。寂しいからって他の女の人を手籠めにしちゃダメだからね』

「さすがにないだろ」

『それが分からないのが春輝だから。って冗談だよ。春輝のこと信用してるもん』



声のトーンが低かったあたり、冗談には聞こえない。



「俺は麻友菜しか見ていないといつも言ってるだろ。麻友菜、俺は麻友菜のことしか一生見ていない。安心しろ」

『……ダメ人間製造機』

「悪かったな」



そんな会話で電話を切ったが、すぐにラインが来た。



“はやく会いたい”



やはり麻友菜は甘えん坊で、その姿は俺にしか見せない。普段はしっかり者で面倒見が良く、同世代の中では大人を演じているのだから、そんな姿を同級生が見れば笑い出すかもしれない。俺は、そんな麻友菜が好きだ。



さて、麻友菜は弓子さんと帰省したところでいよいよ一人になってしまった。もちろん、クララは今まで通りの仕事のスケジュールがすし詰め状態で、うちに来ることはない。母さんも駅前の再開発の委員に選出されたとかで、多忙なのだとか。



吹雪さんはどこでなにをしているのか分からない。

ミーくんと山さんも最近見ない。クロさんは地元に帰省中。



完全に一人の生活となった。以前はこれが日常だったのに、麻友菜と出会ってからは毎日が目まぐるしく、俺を孤独にさせなかった。今となっては、こうなってしまうとなにをしていいのか分からなくなる。夜のバイトまでは時間があるし、掃除や洗濯はすでに済んでいる。朝食は摂ったし、洗い物はもうない。



本でも読もうかと思ったが、読みたい本もない。映画も、ニューチューブも、テレビも。



満たされないのだ。



映画を観ようと思っても、一人では味気ないし、どうせ観るなら麻友菜と観たい。まるで、世界が灰色に染まってしまったみたいで、すべてが虚しく感じる。

これが麻友菜の言っていた、“エキスが足りない”という状態なのか。麻友菜は一人の時間にきっとこういう思いをしていのだろうな。



なにもすることがなく、とりあえず写真でも整理するかとパソコンを立ち上げたところでインターホンが鳴った。

麻友菜が発つ前に立ち寄ったのかと思ったが……。



「なみ~~~き~~~久しぶり。ご飯食べに来てあげたけど」

「……なんてタイミングで来るんだ、お前は」

「また来いって言ったじゃん」

「馬鹿なのか」

「霧島は?」

「帰省中だ」

「な~~んだ。はい、お土産」

「なんだ、これは?」

「八ツ橋。修学旅行行ってきたんだ」

「……そうか」



貴崎由芽が、なぜかこのタイミングでうちに来た。確かにいつでも来いとは言ったが……。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る