#91 巫女装束@クララの想い



クララにとって吹雪さんは本当の父親ではない。だが、本物の父親以上に愛情を注がれたことは事実で、それは吹雪さんの実家の祖父も同じだった。西谷鞍楽にしたにくららを孫として吹雪さん以上に可愛がっている。



「……空気が薄くない?」

「標高はそこまで高くないが、凛としてるだろ。良かったな。クララなんて存在、誰も知らなそうだぞ」

「嘘。今年の年始に来たときは、初詣のお客さんに声かけられたし」



吹雪さんが幼少の頃、吹雪さんの両親は事故死している。身寄りのなくなった吹雪さんを育てたのは、この神酒谷神山神社みきたにしんざんじんじゃの神主だった。どういう経緯で吹雪さんがここに来ることになったのかは俺も知らない。



「ええっと、神社なの?」

「ん。そうだな。意外だろ」

「意外なんてもんじゃないよ。もっと、こう……」

「クロさんみたいなのがうじゃうじゃいる総本山みたいな場所想像したでしょ。まゆりん、春輝になにも聞いてなかったんだ?」

「教えてくれないんだもん。ただ、兵庫にあるとしか聞いてない」



麻友菜はむっすーとした顔をしているが、特段怒っているわけではない。そういう表情をしてみたいだけという、なんとも可愛らしい仕草なだけ。麻友菜はなにをしていても可愛い。



無骨で巨大な石の鳥居を潜って、とりあえず参道を上っていく。本殿はなだらかな斜面になっていて、付近には苔の生えた岩がごろごろ転がっている。さらに真っすぐ伸びた杉の木が幾つも空に伸びていて、その隙間を風が通り抜けていく。



「吹雪さんは子どもの頃、後ろの神山を駆け回っていたらしい」

「ちなみに、神山は修行のために登る山で、普通の体力のある大人でも山頂まで片道三時間ほどかかるの。途中、切り立った崖とか、険しい道が続くのにパパも春輝もすごいよね」

「春輝も?」

「山頂ダッシュとか昔よくやったな」

「やっぱり化け物か……。林間学校で顔色一つ変えないわけだよね……」



本殿に着いてお参りを済ませると、参道を歩いてきたのは筋肉隆々の神主だった。若作りで齢八〇を超えているとは到底思えないが、本人は体力がなくなったとこぼしている。



「クララ、春輝、おかえり」

「おじいちゃん〜〜〜元気してた?」

「ああ、元気だよ。あのバカは来ないのか」

「吹雪さんは、お盆まわりで忙しいみたいで」

「本当に救いようのないバカだからな。ところでそちらのお嬢さんは?」

「はじめまして。霧島麻友菜です。クララさんと春輝くんには良くしてもらっています」

「お友だちかな。つまらない場所ですが、くつろいでください」

「はいっ! ありがとうございます」

「おじいちゃん。まゆりんは春輝の彼女だよ」

「そうかそうか。あの春輝がねぇ〜〜〜」



住まいは本殿の先にある。神山の麓に建てられていて、江戸時代は山を登る修行をする人の宿場を営むために鳥神域に家を建てることを許された一族だったらしい。当然、その時代からは何回か建て直されていて、現在の建物は平成の後期に全面改築されているからまだ新しい。



「ひっろい……」

「神社の敷地にあるとは思えないセレブ感でしょ?」

「セレブか? 吹雪さんが建築費を全額寄付したから、吹雪さんの意向らしいぞ」



日本庭園のあるモダンなテイストの屋敷で、神社の神主が一人で住むにはいささか広すぎるような気もする。



「ワシはこの後、祈祷の予約があるから。なにもないが好きにしていて構わないよ」

「おじいちゃん、夕飯は春輝とまゆりんがごちそうを作ってくれるから楽しみにしててね」

「そうか。楽しみにしてるよ」



そう言って、山崎改やまざきあらたさんは行ってしまった。残された俺達は広い座敷にぽつんと座っている。クララは大の字になって寝転がって、「気持ち良い〜」と伸びた。



「山っていいよね」

「クララは普段からずっとうるさい場所にいるから、ここに来ると休まるんだろ」

「そうだよ。は〜〜〜落ち着く」

「それは春輝もでしょ。わたしのお母さんの実家とも違った雰囲気だし」

「麻友菜と行った田舎も楽しかったな。鮎釣りはぜひ来年もしたい」

「え〜〜〜いいなぁ。あたしも釣りしたい」

「来年はクララちゃんも来る?」

「いいのっ!?」

「春輝のお許しがあれば」

「別に俺は」



とにかくやることがないので、写真を撮ることにした。今日は被写体が二人もいるし、どこで撮っても絵になる。神域で罰当たりな気もするが、本殿や御神体の写真を撮ることさえしなければ、撮影すること自体は問題ないと神主の山崎改さんは言っていた。以前ここで、クララを一回だけ撮ったことがあって、プリントしてプレゼントしたら、社務所に飾ってくれている。



それを目当てで来る人が多いらしく、むしろいっぱい撮って、宣伝してくれてと逆にお願いされたくらいだ。



「まゆりん、これ着よう〜〜〜」

「えぇぇぇッ!? いいのかな」

「おじいちゃん推奨だよ? サイズはいっぱいあるし」



そう、装束だ。当然、そこら辺に売っている安っぽいコスプレ衣装ではなく本物の巫女装束で、年始にはバイトを雇うために多く用意されている。



「ってことで着替えてくるから、春輝は覗かないでよ?」

「あたしは覗かれてもいいよ?」

「クララちゃん、ダメ」

「はいはい」



襖をピシャリと閉めて、二人は姦しく隣の部屋に行ってしまった。これまで麻友菜のコスプレをいくつか見てきたが、巫女装束ははじめてだ。まして、本物の衣装に身を包むシーンはこの先もなかなか機会が訪れないと思う。貴重な時間とも言える。



「じゃーん」

「似合うかな」

「クララは……髪の色がアッシュだからコスプレ感が否めない。麻友菜は合格。可愛い」

「あたしと麻友菜の間にある越えられない壁みたいなのなに?」

「こら。ちゃんとクララちゃんも褒めてあげて」

「そうだな。髪型意外は似合うじゃないか」

「そういうと思ってウィッグ持ってきたんだよね」

「クララちゃん準備が良いねっ!」



麻友菜は黒髪でスタイルも良いから、本物の巫女と言われても違和感がない。クララはそれから時間を掛けてウィッグを装着し、黒髪にすると見違えるように清楚になった。それまでのギャル感がなくなり、佇まいもよく心得ていて、麻友菜と並ぶと贅沢な絵面になった。



「クララちゃんかわいすぎ。エモいよ」

「まゆりんだって、メロいじゃんか」



それで屋敷を出て、杉の木の生えた林で撮ることにした。機材はライカM6にズミルックスの35ミリ。F2.8まで絞って二人にピントを合わせる。夏の眩しすぎる光と杉の木の影の明暗差があるものの、アスティアというフィルムは比較的ラチチュードが広い。そのために粘り強く陰も陽も写してくれる。



「二人とも巫女だからな」



シャッターを切る瞬間、風が吹いた。裾と髪が揺れるくらいの風だ。無風だったのに突然吹く風は、神様からのサインだとか聞いたことがある。デジタルと違って、その場で確認できないが、おそらく神がかった写真が撮れたと思う。現像が楽しみだ。



「あ、春輝待って。クララちゃん自撮りしよ?」

「おー。いいね。まゆりん撮ろう」



二人が以前にも増して仲が良く、話題も尽きないようで微笑ましい。気取ったポートレートよりもその瞬間を写真に収めたいと思った。二人が自撮りしているところ、笑いながら歩いているところ、なぜか抱き合っている瞬間にシャッターを切る。



「仲良し巫女の日常みたいでいいぞ」

「そういえばクララちゃん、芸能界に友達できた?」

「あたしボッチだもん。できるわけね〜〜〜〜っ」

「そんなことはないだろ」

「そうだよ。学校では友達いっぱいでしょ?」

「学校はね。芸能界って寂しい場所だから。でも、今は幸せだよ。まゆりんっていうお姉ちゃんもいるし」

「もう〜〜〜クララちゃん食べちゃいたいくらいかわち〜〜〜」



さっきからそれの繰り返しだ。互いにリスペクトするのは分かるが、いちいち褒めちぎって抱き合うことに飽きないのだろうか。



「あ、そうそう。この先に絶景あるんだよね。まゆりん、連れてってあげる」



少し行くと連なる山が一望できる開けた場所があった。昔はよくここで吹雪さんとクララとともにピクニックごっこをしたものだ。



「あのね、春輝、まゆりん、一緒に来てくれてありがとう」

「お前……ここに来ても一人だと暇なだけだろ?」

「あは。バレたか」

「クララちゃんは思い出作りたかったんでしょ?」

「……まゆりんってすごいなぁ。ほら、写真。春輝、セルフタイマー」

「俺はいい」

「春輝、一緒に撮ろうよ。クララちゃんとわたしで挟んで、ハーレムにしてあげるから」

「いいって」

「もう。春輝、まゆりんだって一緒に撮りたいって言ってるのに」



それで右腕を麻友菜、左腕をクララにがっちりロックされて、強引にフレームインさせられてしまった。こんな写真を撮ったところで使い物にならない気がする。だが、その後スマホで撮られると、なかなか面白い写真になっていた。



「おじいちゃんだってもう八〇だからさ。いつまで笑顔見せてくれるか分からないじゃん。だから、毎年来ようって決めたんだ」

「クララちゃん……」

「ほら、春輝だって昔から可愛がってもらったじゃん。それに彼女できたことの報告してないんだから」

「ん。分かった」



あの事件以来、クララの考えが変わったのはなんとなく察していた。それまでの刹那主義的な行動がなくなり、周りが見えるようになり、人の気持ちに敏感になったのだ。空気を読むとか上辺だけのことではなく、気持ちを大事にするという当たり前のようでなかなか難しいことに気づくようになったというか。



「ってことで、ほら撮影続行するよ。まゆりんも」

「あ、うん」



それからフィルムを二本消費した。





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