#88 熟したトマト@通過儀礼のような告白


春輝は都会生まれ都会育ちにもかかわらず、畑仕事が上手だった。いや、上手というよりも楽しそうにやっていると言ったほうが正しいのかも。好きこそものの上手なれ、じゃないけど、スイカの収穫のほかにトウモロコシとニンジンをついでに採っている。



「春輝〜〜〜〜っ! 水分取らないと熱中症になるよ〜〜〜」

「ん。分かった」



集中していると意外にも水分補給が疎かになる。これは、わたしがダンスをしていたときに一度陥ったことで、動きを止めたときにスッと身体に力が入らなくなる。軽度の熱中症だった。この時期は意識して水分を取らないとね。



春輝はわたしの隣に座って水を飲み干した後、取った小玉スイカをボウリングボールのように片手で持って眺める。



「スイカって可愛いよね」

「……そうか?」

「柄がさ、なんか夏じゃない?」

「そうだな。夏の風物詩だからな」

「麻友菜、春輝くん、このトマト食べてみろ。甘いぞ」



おじいちゃんは今採ってきたばかりのトマトを、それぞれわたしと春輝に一つずつ手渡してきた。真っ赤で艶のあるこぶし大のトマトで、ペットボトルに入れてきた水で洗った直後で、すごく輝いて見える。



「いただきます」

「おじいちゃんありがと〜〜〜」



一口かじってみると、口の中に広がる酸味とそれを上回る濃厚な甘み。本当にトマトなのかって疑いたくなるような味に驚きを隠せない。春輝は食にうるさ……くもないけど、食材にこだわりのある春輝にとって衝撃だったようで。



「なんでこんなに甘いんですか?」

「トマトは甘やかすと酸っぱくなるんだ」

「甘やかす? おじいちゃん意味わかんないんだけど?」

「水を極力やらないようにして育てるんだよ」

「水をやらないとトマト自体が育たないのでは?」

「そうだね。だからトマトの数自体は少ないね。けれど、甘くて濃厚なトマトができるんだ」

「そんな貴重なトマトもらって良かったんですか?」

「少ないって言ってもおばあさんと二人で食べきれないから」



そう言っておじいちゃんもトマトに齧りついた。昨日の出来事が嘘のように無邪気な顔で笑う姿を見ていたら、なんだか胸がキュッとなる。



それから家に戻って春輝とスイカを食べて、和室で二人横になった。おじいちゃんとおばあちゃんはお盆用の買い出しに行くと出かけていって、春輝と二人きり。特にやることもなく、和室でエアコンをつけてボーっとする時間となった。



「みんな夏休みは勉強かな」

「だろうな。受験の追い込みでもしてるんだろ」

「そっか。受験って大変だよね。あ、ミホルラ海外行ってる!!」



インスタのストーリーには、ミホルラがダイビングをしている姿が映っている。すごく澄んだ青い水の中で、目の前をお魚さんが横切り、すぐに画面がクルッと回って酸素ボンベを背負ってゴーグルをかけたミホルラが手を振る。

その下に“ラブ・Guam”の文字が。



「くぅ〜〜〜〜羨ましすぎる」

「そうか?」

「うん。いいなぁ。夏を満喫していて」

「俺達も十分満喫していると思うが。トマトもスイカも最高だったが」

「まあ、それはそうだんだけど」

「こんな静かな夏休みを送れるとは思ってもみなかったから、麻友菜には感謝だな」

「確かに、去年はプールとお祭りと、騒がしかったもんね」

「夏はイベントごとに人が多いし、第一暑いからな。ここは風が気持ち良いし、静かだから最高だと思う」



二番街の喧騒からしたら、比べ物にならないくらい静かだからね。



「あと、虫の声が良いな」

「あ〜〜〜田舎の夏って感じだよね」

「ヒグラシは特にいいな」



わたしは、大の字になっていた身体を横に向けて春輝を見る。すると春輝も同じようにわたしの方を向いた。いつもの匂いじゃなくて、違うシャンプーの香りがする。それに見慣れたこの家に春輝がいることにすごく新鮮味を感じる。



だからなのか、ああ、わたし春輝とちゃんと付き合っていて、ここまで来たんだなって思った。別に深い意味はないけど、日常に春輝がいる生活が当たり前になっていて、ふと客観的に自分と春輝のことを考えてみると、“いつまで、どこまで、春輝との時間は続くんだろう”なんて思いが寄せてくる。



「春輝はいつまでわたしと一緒にいてくれる?」

「? 急にどうした?」

「わたし達高校生だから、このまま健康でいられれば何年くらい春輝と一緒にいられるだろうって」

「考えたことない……わけではないが、時間のある限りだろうな」

「そっか。うん、そうだよね。わたしもそう思う」



時間が経てば容姿も変わってしまうかもしれない。カッコいい春輝はいつまでもカッコいいと思う。けれど、“今のカッコいい春輝”は今しか見られない。そうか、だから写真を撮るのか、なんて当たり前な発想しか出ない自分に笑うしかないけど、もしかしたら春輝は写真を撮っているのかな。



わたしのことも、も。



「春輝、写真いっぱい撮ろっ!」

「だから急にどうした?」

「カッコいい春輝をもっと写真に残したい。トマト食べてるとこ、撮っておけばよかったな。あ、今から再現しよ、ね?」

「……まあ。いいが。トマトあるのか?」

「あるよ。いっぱい。それとスイカも」

「スイカもか」

「うん」



庭に出て、春輝がトマトを齧るところを写真に収める。今度はわたしがトマトを齧るシーンを春輝がフィルムに焼き付ける。ポートラ400っていうフィルムで撮った写真は前に一度見せてもらったことがあるけど、すごく透明感があった。どんな風に撮れたのか現像が楽しみ。



「麻友菜」

「なに?」

「川のほうに行ってみないか」

「釣り?」

「釣りじゃなくて、写真を撮りたい。水辺の麻友菜を撮りたくなった」

「うんっ! じゃあ行こっ!」



堤防から少し歩いて、水力発電のある付近まで行くと釣りをしている人はあまりおらず、厚めのコンクリートの壁から水が吹き出している。そこから少し下ると浅い川底になっているみたいで、広い河原に出た。



「良い場所だな。木漏れ日も良い」

「でしょ」



水面がキラキラしていて、しゃがんでそこに手を伸ばすと春輝がシャッターを切った。小気味好いシャッターの音がせせらぎに混ざる。



「麻友菜は……いつも可愛いな」

「えっ?」



振り返った瞬間、シャッターが切られた。言われ慣れているダメ人間製造機の言葉なんだけど、不意に言われるとやっぱり反応してしまう。そうそう、この春輝の言葉を当たり前だと思ってはいけない。男の人が可愛いって言ってくれるのは、チャラ男が下心を持っているとき以外はレアなんだってネットにも漫画にも書いてあった。もちろん、春輝はチャラ男ではない。



「ん。今日はダメ人間製造機とか言わないのか」

「うん……その、ありがとう」

「どうした?」

「どうしたって……」



どうしたって……どうしたんだろう。いつまで可愛いって言ってくれるんだろう、なんて考えてしまう。小学生のころ、可愛いって言われるのは普通だった。嫌味ったらし意味ではなく、小学生くらいまでは誰しもみんな可愛いと思う。それが中学生になるとあまり言われなくなる。高校生になるとなおさらだ。友人同士で可愛いとは言うけれど、大人や異性から言われることはほとんどなくなる。



でも、春輝はちゃんと本心で言ってくれる。



大人になって、二〇代、三〇代、そこから先になればなるほど可愛いという感想はなくなっていくと思う。春輝もきっとそうなのだろう。わたしと一緒にいることが当たり前になって、可愛いという形容詞は歳を重ねるごとにポロポロと落ちていくんじゃないかって思うと、なんだか切ないな。



「いつも可愛いって言ってくれてありがとう。春輝はいつも優しくて、カッコよくて」

「? だから一体どうした?」

「本当に大好き」



立ち上がって、春輝に近づき頬にキスをした。



「えへへ。今日はわたしがダメ人間製造機になってあげる」

「そうか。麻友菜、心配しなくても俺はずっと麻友菜を好きでいる。何年経ってもな」

「えっ?」



なんで春輝はわたしの考えていることが分かっちゃうんだろうな。不思議だし、尊いし、キュンとする。いつまで経っても、春輝はわたしの心を掴んで離さない。



「うん。わたしも」



それからしばらく写真を撮って、家に戻って夜のバーベキューの準備をはじめる。シンジおじさんの一家もやってきて一気に賑やかになった。隆盛くんとシンジおじさん(近所付き合いがある)が食材の買い出しをしてきて、おじいちゃんと春輝が火を起こす係。まあ、春輝はなんでもできるからね。



「ドラム缶ですか」

「うん? 春輝くんはドラム缶見たことないの?」

「いえ。そうじゃなくて、ドラム缶で火を起こすのははじめてです」



なぜかおじいちゃんの家にはドラム缶があって、その下の三分の一を切り取って、焚き火台にしている。鉄板はホームセンターで買ってきたアルミ製(?)の安い金網。着火剤はなしで新聞紙を丸めて突っ込んでいる。



「なかなかワイルドですね」

「ワイルド? 横文字はよく分かんないけど」

「ああ、すごいってことです」



無事に火が付いてバーベキューが始まった。わたしの右隣には春輝が座って、左側には隆盛くん。なんだか両手に花状態で笑う。でも、春期はすぐに立ち上がって、火の番と焼く係に徹した。肉の他に車海老やホタテ、それからアユの塩焼き、野菜が多数。すごい豪華なバーベキューだった。春輝が来てくれたから奮発してくれたのかな。



「なあ、麻友菜」

「はい?」

「俺、ずっと東京に行くのが夢だったんだ」

「そうなの?」

「ああ。だから勉強して東京の大学受ける」

「そうなんだ。なにかしたいことあるの?」

「いや。でも、約束しただろ」

「約束?」

「東京に行くから、待ってろって」

「ああ、うん」



約束というよりは、宣言に近かったと思う。



「来年、必ず東京に行く。でも、麻友菜は春輝と付き合っているんだもんな」

「うん」

「ちょっと付き合ってもらっていいか?」

「どこに?」

「すぐに終わる」



春輝を見ると、なにも言わずにコクリと頷いた。



「うん。分かった」



隆盛くんに付いていくと、家の裏の納屋の前で立ち止まった。センサーライトの明かりが点いて、振り返った隆盛くんは真剣な面持ちだった。



「麻友菜、俺、ずっと麻友菜のこと好きだった。小学生の頃からずっと」

「……うん」

「付き合ってくれなんて言わない。ただ、踏ん切り付けたい。ごめん。俺の勝手な行動だ」



薄々気づいていた。



わたしだってそこまで鈍感じゃない。中学生二年生の夏にそうじゃないかなって思ったこともあった。けど、わたしは隆盛くんをそんなふうに見ることはできなかった。嫌いとかじゃない。友達としては好きだし、話していて楽しい。でも、恋愛とはまた別。春輝と出会う前に隆盛くんから告られていても心は動かなかったと思う。



「ごめんね」

「なんで謝るんだ。俺の身勝手な告白だ。謝るなら俺の方だろ」

「ううん。気持ちは嬉しい。でも、わたしはその気持ちに応えられない。本当にごめんなさい」

「あ〜〜〜振られた。でも、これで吹っ切れた。この世界に女は無数にいる。でもさ、麻友菜は一人しかいない。その一人を好きになったんだ。代わりはいない」

「隆盛くん……」

「ずっとそんなふうに思ってた。だから告白できなかったんだ。振られたら、世界で一人ぼっちになるような気がしてな」



絶妙に分かりみが深い。春輝に告白したときのわたしの気持ちと同じだ。フラレたかもしれないと思った瞬間、すべてを失ったと思った。



「でも、これでやっと前を向ける」

「隆盛くん、あの……」

「なんだ?」

「虫の良い話かもしれないけど、これからも友達でいてくれる?」

「当たり前だろ。いつでも春輝と二人で帰ってこい。フラレたけど、これはあくまでも通過儀礼のようなもんだ」



そう言って隆盛くんは笑った。隆盛くんは強い人なんだなって再確認したとともに、隆盛くんに幸せになってもらいたいって思った。身勝手な希望かもしれないけれど。



元の場所に戻ると春輝がわたしの横に座って、肉やエビ、ピーマンの乗った皿を手渡してきた。隆盛くんはしばらく一人になりたいとどこかに行ってしまった。



「隆盛は大丈夫だ。あいつは良いやつだ。すぐに相手が見つかるだろ」

「うん」



春輝はすべてお見通しだった。





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