#87 カノジョのDVD@歳を取るということ


山菜を天ぷらにして、祖父母と麻友菜と四人で食べた。普段は二人暮らしで、会話もそこまで多くない。今日は随分と賑やかな夕食となったとおばあちゃんが嬉しそうに話してくれた。



それから風呂をいただき、とんでもなく広い座敷に布団を敷いて、早々と麻友菜とともに眠りに就いた(長旅で少し疲れていたこともある)ところまでは覚えている。おばあちゃんが慌てて俺と麻友菜を起こしに来たのが深夜の二時過ぎ。



「どうしたの?」

「おじいさんがいなくなって、」

「えっ!?」

「いなくなったとはどういうことですか?」

「寝ていたはずなのに急にいなくなってな」



トイレにも風呂場にもいないらしい。玄関からいつも履いている革靴がなくなっていて、おそらくどこかに行ってしまったのだろうとおばあちゃんは言う。確かにただ事ではない。



「どこか用事があるとかないの? たとえばタバコが吸いたくなったとか」

「タバコなんてもう一〇年も前に止めとるよ。それにこんな深夜にいなくなるなんておかしいんよ」

「行った先に心当たりはありますか?」

「分からん」

「シンジおじさんは?」

「シンジにも電話をしたが来てないと言っておる」



確かにこんな真夜中にいなくなるというのは事件性を疑わざるを得ない。

おばあちゃんの話では、おじいちゃんは最近物忘れがひどくなってきているらしい。年齢にすれば七〇代で、認知症が発症してもおかしくはない年齢だ。そうなると認知症特有の見当識障害……なのかもしれない。



とりあえず麻友菜と辺りを探しに行くことにした。



「もしおじいちゃんになにかあったら嫌だよ……」

「そうだな。だが大丈夫だ。きっと見つかる」

「……うん」



あたりは街灯も少なく、肉眼で探すにはかなり厳しい。向こうから軽トラが近づいてきた。どうやらシンジさんらしい。



「俺は新町のほうを探すから、麻友菜ちゃん達はあっち側をお願いできるか?」

「はいっ!!」

「探してみます」



新町のほうは迷路のように道が入り組んでいるために軽トラに乗ったシンジさんに任せた方が良いと麻友菜は言う。だから俺たちは反対側の駅までの道を探すことにした。道は暗いものの、一本道であるために迷うことはない。ただ、獣道に入ってしまったとなると捜索は困難になる。おじいちゃんが道を歩いていることを願う。



「春輝、わたしね」

「ん。どうした?」

「おじいちゃんがいたからダンス始めたんだ」

「そうなのか?」

「うん。小学校に上る前にテレビでカステラのコマーシャルを見たの。そこで人形が踊っていてね。それを真似して踊っていたら、おじいちゃんが、」



麻友菜は言葉をつまらせた。一度立ち止まって麻友菜の背をさする。



「大丈夫だ。落ち着け」

「麻友菜は踊りが上手いなって。すごく褒めてくれたの。可愛い可愛いって」

「そうか」

「それからコマーシャルだけじゃなくて、子ども向けの番組のダンスとか真似してみたり、アニメでキャラが踊るダンスを真似してみたり。おじいちゃんがすごく嬉しそうにしていてね」



おじいちゃんのことが本当に好きだったんだろうな。数ヶ月とはいえ、両親の手を離れて祖父母の家にいた麻友菜にとって、そのときは親代わりだったはずだ。祖父母にすれば麻友菜は孫だからか相当甘く、溺愛してきた(と以前弓子さんに聞いたことがある)のだから麻友菜の祖父母への思い入れは相当なものだろう。



「ごめん」

「麻友菜。大丈夫だ。俺たちの早とちりの可能性だってある」

「うん」

「だから、泣くな。今は探すことのほうが大事だろ」

「うん……」



気持ちはわかる。いきなりいなくなってしまったのだから心配にもなる。昼間は認知症のような素振りは一切見せなかった。だが、近頃おばあちゃんはおかしいと思っていたらしい。だが、この時点で認知症だとは思っていなかったのだ。もしそうなら、昼間の時間に一人にすることはなかっただろう。



「麻友菜、あれを見ろ」

「えっ!?」



道端で座り込む老人がいた。間違いなくおじいちゃんだ。

豆電球のような、か細い光の街灯の下で一人の孤独な老人が、ハンドバッグを片手に膝を抱えながら俯いていた。



「おじいちゃんッ!!」

「……麻友菜?」

「うん、麻友菜だよ。もう心配したんだからねッ!!」

「ここはどこなんだ?」

「どこって……駅に行く道だよ」

「駅? どこの?」

「もう。大丈夫?」



麻友菜もしゃがみ込みおじいちゃんの顔を覗き込んで話しかけている。不謹慎かもしれないが、なかなか良い絵だなと思う。おじいちゃんが麻友菜の顔を見たらホッとしたのか笑顔になった。麻友菜は泣き顔だが、やはり笑みがこぼれて二人に注ぐ優しい豆電球のような淡い光が印象的だった。



それから家に帰り、おばあちゃんは怒ること怒ること。俺と麻友菜で宥めるのが大変だった。



おじいちゃんの話によると、夜中にふと目が覚めて家に帰らなくてはいけないような気がして玄関を飛び出したらしい。自分がどこを歩いているのか分からなくなって、疲れて座り込んでいたところに麻友菜が来てくれたと言っていた。



「おじいちゃん、わたしのことも忘れちゃうのかな」

「大丈夫だろ。とりあえず一度病院を受診したほうがいいな。そういえば弓子さんは来ないのか?」

「お母さん、仕事だからね。お盆に来るって言ってた」

「医療従事者に助言をもらって、ちゃんとした病院にかかったほうがいいだろうな」

「うん……なんだか、寂しいな」

「寂しい?」

「だって、おじいちゃんが遠くに行っちゃうような気がして」

「そうだな。だが、医療も発達してる。楽観はできないが、そう心配しなくても大丈夫だろ」

「うん。春輝、ありがとうね」

「俺は何もしてないぞ」

「ううん。春輝の顔を見ておじいちゃん嬉しそうだった。名前は出てこなかったみたいだけど」



家に連れ帰った瞬間、麻友菜の知っているいつものおじいちゃんに戻っていた。まるで自分は認知症など発症していないかのようにおばあちゃんに話しかけていた。それでおばあちゃんは大激怒をしたわけだが。まあ、そういうものだろう。



それから再び布団に入ったものの、俺も麻友菜もあまり眠れなかった。



翌朝は、何事もなかったかのように普通の朝だった。



「昨日はごめんな。おじいちゃんよくわからなくなって」

「ううん。そういうこともあるよ。ほら、わたしもたまに学校で曜日間違えて教科書持っていっちゃうこととかあるし。ねえ、春輝」

「そうだな。きっとおじいちゃんに似たんだろうな」

「おじいさん、良い孫を持って良かったなぁ」



おばあさんの怒りが収まってなによりだ。



「だなぁ」



七十代後半にもなればそういうこともある。それは恥じることじゃないと思うし、俺だって麻友菜だって同じくらいの歳になれば、同じことが起こる可能性がある。だから、おじいさんを責めるのは違うと思う。麻友菜だってきっとそう思っているに違いない。昨日以上におじいちゃんに優しくなっている気がする。



朝食を食べ終わってからは、小学生の頃、夏休みに泊まりに来た麻友菜がよく使っていたという部屋に案内してくれた。部屋には書架やタンスが当時のまま残されていて、漫画や麻友菜が描いた絵が捨てられずに残っている。



「あ、これこれ」

「これは? 絵日記の絵にも見えるが」

「そう。夏休みの宿題で、夏の一番の思い出ポスターっていうのがあって、何種類か描いたうちの一つ。下手くそでしょ」

「小学生ならこんなものだろ。絵云々じゃなくて、なんだか思い入れみたいのを感じるな」

「うん。これは確か、おじいちゃんとおばあちゃんと畑に行って、スイカを採った時の絵だだと思う」

「スイカも作ってるのか?」

「うん。今はどうか分からないけど、当時はね」



はじめはスイカ柄のビーチボールかと思った。おじいちゃんとおばあちゃんとビーチボールで遊んでいるものかと思ったが、スイカを採った絵だとは。さすがに都会では考えられないが、このあたりでは普通の光景なのだろうな。羨ましいし、俺も畑仕事を一度してみたいと思う。



「あ、まだあったんだ」

「これは……スーパーボール?」

「うん。隆盛くんにもらったやつ。小学生の頃、近所にまだ駄菓子屋さんがあったんだ。そこにスーパーボールのクジがあってね。どうしても透明なキラキラなやつ欲しくて。わたしくじ運悪すぎて全然出ないの。そしたら隆盛くんが引いてくれて、」

「もらったのか」

「うん。それから夏休み、冬休みって来るたびにくれたんだよね」

「すごいな。愛の力は偉大だ」

「ふふ。妬いちゃった?」

「少しな」

「なんだか可愛い」



そう言って麻友菜は俺の頬にキスをした。仕返しに俺も麻友菜の頬にキスをする。



「くっつくと暑いけど、キスはしたいみたいな」

「そうだな」



今度はテレビの電源を付けて、デッキにDVDを入れて再生する。小学生の頃の麻友菜が映っているらしく、本人は恥ずかしいと言っていたが、俺が見たいと言うと仕方なく見せてくれることに。



「ダンスしてるな」

「うん。暑いのにね」

「弓子さん若いな。麻友菜そっくりで美人だな」

「お母さんに言っておくね。すごく喜ぶと思うよ」



庭でダンスをする麻友菜に駆け寄って、汗を拭く弓子さんが映っていた。一〇年くらい前か。小学生の頃から麻友菜の可愛さは完成されていて、正直驚きだった。本当にダンスが好きだったんだな。今からでもダンスをすればいいのにと思ってしまうが、本人が望まないなら仕方ない。



「可愛いな」

「それって彼女バイアス掛かってない?」

「掛かっていてもいいだろ。俺個人の感想だしな」

「確かに。じゃ、今とどっちがいい?」

「これで小学生の頃の麻友菜がいいって言ったら、それはそれでヤバくないか?」

「あはは。ロリコンになっちゃうね」

「まあ、どっちも可愛いが」



麻友菜の手を握る。すると麻友菜も握り返してきた。麻友菜のルーツを知ることができてよかった。きっと将来もこうして麻友菜の幼少期や、高校生の麻友菜を見ても同じことを思うのだろう。若さなんていうものは単なる通過点に過ぎない。人生の大半はおじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんだ。



昨日のおじいちゃんを考えてもそうだ。



麻友菜のすべてを受け止めることができなければ、好きになる権利はない。なんて考えるのは少しばかり気が早いかもしれないが、間近で年を取るということがどういうことなのかを感じてしまったから、余計に今日はそう思うのかもしれない。



「俺は麻友菜が年をとっても同じことを言える自信がある」

「出たよ。ダメ人間製造機。言質げんち取ったからね?」

「ああ。絶対にだ」

「……わたしも、だよ」



そう言って麻友菜は立ち上がってDVDをデッキから取り出した。少し恥ずかしそうなのがまた可愛い。



「麻友菜~~~春輝くん~~~~スイカ採りに行くか~~~」



おじいちゃんが玄関で叫んだ。



「あ、行く行く~~~~!!」

「行きます」



こうして念願のスイカ採りに行くことになった。





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