#86 川釣り用の竿@幼馴染は意外と良い奴
隆盛くんは地元の子で新興住宅地(と言っても建売の住宅が分譲されてから二〇年近く経つらしい)に住んでいる。意外にもバスで一〇分くらい行ったあたりには、この田園風景からは想像もつかないような新興住宅地が広がっていて、そちらは新町と呼ばれている。スーパーマーケットやらコンビニ、それから“しまぬら”等も最近では建ちはじめて、ショッピングも気軽に楽しめるようになっている。
今日はどこからかわたしが帰って来ることを聞きつけて、隆盛くんは足を運んでくれたのだろう。
隆盛くんとは小学校の頃、夏休みに長期帰省したお母さんに連れられて来てから、新町の公園で知り合った。お母さん同士が小学校来の友達同士らしく、隆盛くんとは会う機会もなにかと多かったのだ。
「それは幼馴染というやつじゃないのか」
「うーん。どうなんだろう。たまに夏休みとか冬休みに会うくらいだったから」
「隆盛とかやらは、随分と麻友菜に会うのを楽しみにしていた様子だったな」
「もしかして妬いちゃってる?」
「当たり前だ。それで麻友菜がなびいたら、本気で隆盛とやらをぶち殺しかねないからな」
「ないない。そんな中途半端な気持ちで春輝と付き合ってないって」
「本当か?」
「あれれ、春輝くん珍しくナヨってるんじゃないですかぁ〜〜〜?」
たまにこうして揺さぶるのも良いかもしれない。春輝がわたしを好きでいてくれることを実感できる気がするもんね。
「そんなことはない。ただ、一度も恋心を抱いたことはないのか?」
「隆盛くんに?」
「ん。もしそれに隆盛が気づいていたとしたら、隆盛本人にしてみれば割り切れないだろうなと思ってな」
「どうだろう。好きは好きでもラブじゃなくてライクのほうだったし、もしわたしが告白されたとしても付き合うことはなかったんじゃないかな」
その他大勢の友達と同じ関係性で、恋愛に発展することはなかった。考えてみれば、わたしは意外にも恋愛のハードルは高かったのだと思う。好きは好きでもラブの感情は、春輝に出会うまで理解できなかったくらいだから。そう考えると、春輝ってすごいなって思う。
「そうか」
「安心した?」
「安心もなにも、俺は麻友菜を信じ切っているからな」
「少しは妬いてよ」
「妬かない」
「妬け」
「妬かない」
「むっすーーっ!」
アニメで見る“むっすー”をやってみたかっただけ。いや、わたしよりも春輝のほうだよ。本人の自覚がないだけで、モテまくっているのはいただけない。本人がモテようとしているわけじゃないから余計に厄介極まりない。たとえば由芽ちゃん。間違いなく、春輝に恋をしている顔をしていた。あとは、貴崎彩乃先輩。あの人もそうだ。樹ちゃんも似たようなもの。
会う人物すべてにそうだとしたら、大変なことだ。
「それにしても田舎だな」
「田舎だよ」
「まるで隣のトロロだな。すごく良い」
「そう? ほら、もう少し上ると景色が一望できるの」
神社に続く石段を歩いていく。暑くて汗が流れてくるけど、去年の林間学校に比べたらまだまだだし、むしろ東京の人混みの中の蒸し暑さよりも断然気持ちが良い。石段を上り切ると鳥居があって、そこから田んぼと新町のあたりまで見下ろすことができた。
「良い街だな」
「でしょ。駅側から来ると絶望的になにもないんだけど、向こう側は幹線道路ができてから栄えているんだって」
「なるほどな」
神社で手を合わせてから境内に座らせてもらった。林間学校の登山でも雨宿りをしたのが境内だった気がする。
「ここらへんの米はうまいのか?」
「料理人の血が騒ぐ?」
「無論だ。米は日本人にとって命だからな」
「おいしいよ。土地が粘土質だからおいしいっておじいちゃんが言ってた」
「楽しみだな。それはそうと悪いな」
「なにが?」
「せっかくの帰省を邪魔して」
「邪魔じゃないよ。むしろ連れてこいっておばあちゃんもおじいちゃんも言ってたくらいだから」
「ならいいんだが」
それから神社の丘を下って帰ると、おじいちゃんがアユ釣りのライセンス(遊漁券とかって言うのかな?)を買ってきてくれた。鮎を釣るのにはライセンスが必要で、勝手に釣ると罰金を払う羽目になるらしい。しっかりパトロールがいるのだとか。
「一日券な。二人分あるから行ってきなさい」
「なつかし〜〜〜竿とかまだあったんだ」
「釣ったら塩焼きにしてあげるよ」
「すみません、俺の分まで」
「大した事ない。ほら暇だろうから行って来い」
「うん、行ってくるね」
「行ってきます」
おじいちゃんが準備してくれた竿(浮きとかの仕掛けをセットしてくれた)とバケツ、それから餌を持って川に向かう。春輝はなぜかやる気満々。都会人だからこういうのは苦手なんだろうなと思ったら、全然そんなことないみたい。
「まさか、天然のアユを釣る日が来るとは。これは千載一遇のチャンス」
「えっと、なにが?」
「養殖物ではなく、自分で釣った川魚で料理をするのが夢だったんだ」
「そうなんだ。良かったね。念願叶って」
「ああ」
普段は見せない満面の笑み。本当に嬉しそう。
川は田んぼを越えた向こう側にあって、石川家から徒歩三分くらい。人口は少ないくせに釣人はボチボチ見かける不思議。渓流でもない緩やかな流れの川で、岸から釣り糸を垂らして川の流れに沿って、竿をゆっくり振ってあげると意外とすぐに釣れる。
「あ、お前」
「確か、隆盛」
「麻友菜、釣り場まで彼氏連れてくるなんて聞いてないぞ」
「隆盛は麻友菜のこと好きなのか」
「す、好きじゃねえよ」
隆盛くんもアユ釣りをしていた。昨晩の雨で川が濁っていて、なかなか釣れないらしい。
「隆盛、俺と勝負しよう」
「はあ? 俺は地元民だぞ。東京のやつに負けるわけねえだろ」
「なら、勝負だ」
「負けねえよ」
なにを競い合っているのか。よく分からないけど、春輝VS隆盛のアユ釣り対決がはじまってしまった。対決といってもただ釣り糸を垂らしてぼーっとしているだけだから、勝負というにはあまりにも地味すぎるけどね。
「あ、わたしいっちば〜〜〜〜ん」
「はッ? 麻友菜が?」
隆盛くんは驚いて竿を落としそうになっていた。
夏の鮎はまだまだ小ぶりだけど、天ぷらにすると美味しい。春輝は「麻友菜ナイス」と褒めてくれた。
「あのね、春輝」
「ん?」
「自分の影を川に入れちゃうと鮎が警戒しちゃうの。だから、なるべく川から離れたほうが釣れるよ」
「アユはそんなに頭がいいのか?」
「おじいちゃんに教えてもらったんだ」
「なるほど。アユも釣られるという意識があるのか」
本当かどうかは分からない。でも、きっと先人の知恵は間違っていないと思う。現にわたしが一番に釣れたわけだしね。
「くっ。餌だけ持っていかれた」
「どうした地元民。ん。俺も釣れた」
「へっ。それはヤマメだ。鮎じゃないからカウントはナシな」
「釣れないよりはマシだろ」
「うるせーっ!」
いがみあっているように見えるけど、なかなか気が合いそうな気がする。お前どこに住んでんだよ。とか、田舎の高校生は普段なにをしているんだ、とか雑談をしているあたり、なかなか新鮮。だって、東京の彼氏の春輝と、田舎でしか会うことのない友人の隆盛くんが話をしているんだもん。わたしにとっては、二人は異世界人同士みたいな。
「おっ! 来た来た」
「長靴とかだろ」
「漫画じゃねえんだから、そんなの釣れるわけねーだろ」
隆盛くんはまた餌だけ食べられちゃって釣れなかったみたい。春輝の浮きはピクリとも動かない。そうしているうちにわたしの浮きがポチャっと沈んだ。
「ごめ〜〜〜ん。また釣れちゃった」
「マジかよ。麻友菜って昔から釣り上手いんだよな」
「そうなのか?」
「ああ。いつも麻友菜が大量で俺は二、三匹」
「負け犬だな」
「お前に言われたくねえわ」
結局、わたしが六匹、春輝が三匹、隆盛くんも三匹という結果に終わった。本来ならもっと釣れてもおかしくないんだけど、やっぱり昨日の雨であまり釣れないみたい。
「なあ、明日のバーベキュー、俺も誘われてるんだけど、行っていいのか」
「いいんじゃない?」
「いいんじゃないか。隆盛、存分に食わしてやる」
「は? お前に聞いてないし」
「あのね、春輝は料理上手なの」
「そうなのか?」
「まあ、人並みくらいにはできるぞ」
田んぼを抜けて道で隆盛くんとは別れた。隆盛くんは「またな。麻友菜。春輝」と屈託のない笑みでわたし達に手を振った。
「あいつ、意外と良い奴だな」
「そうだよ。裏表のない人だからね」
「そうか」
それから帰って庭で春輝が薪割りをすると、上手すぎておじいちゃんが褒めちぎった。その薪をブロックで作った炉に入れて火を起こし、釣ってきた鮎の腸を春輝が丁寧に取って串を刺して焼いてくれた。
「春輝くんは魚を捌くのが上手いなぁ〜〜〜」
「でしょ。あ、夜は天ぷら作ってくれるって」
「お客さんにそんなことさせられんよ」
「いいんです。山菜もいただけるということなので」
「おじいちゃん、春輝に料理させてあげて。ずっとうずうずしてるみたいだから」
「麻友菜は良い婿さんをもらったなぁ」
「まだ結婚してないって」
おじいちゃんは結構嬉しそうだった。
石川家には男の子は生まれなかった。そういう事情もあって、男の子の孫が見たいとずっとおじいちゃんは言っていたってお母さんから聞いたことがある。だからといってわたしが可愛がられなかったわけではない。でも、男の子の孫が欲しいと思っていのは事実で、今日、春輝を連れてこいとはじめに言いだしたのはおじいちゃんなのだ。
「春輝くんは良い男だな」
「そんなことないですよ。麻友菜がいるから自分もちゃんとしなきゃって思うだけで」
「そういうところだと思うよ」
本当におじいちゃんは嬉しそうだった。
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