翡翠色編

#85 ポートラ400@麻友菜のルーツ



結果的に貴崎由芽は少年院送致には至らなかった。家庭裁判において、吹雪さんと母さん、それから色々なメンツが由芽を守るために証言をしたのだ。



吹雪さんの用意した弁護士が曲者(と言ったら失礼だが)で、凄腕だったのも大きい。



由芽は日常的に虐待を受けており、母親を刺す以外に逃げる方法がなかった、と。また、由芽が日記をつけていたことも大きかった。母親から言われた言動と強制された行動が逐一書かれており、加えて仔細な日時とそのときの気持ちが記載されていたために、大きな証拠となったのだ。



また、姉である彩乃も同様の証言をしたことから、奇跡的に不起訴処分の決定を下されたが、同時に児童養護施設に行くことが条件となった。さすがに自分の刺した母親と一緒に暮らすのは互いに無理だろうし、父親は虐待に加担していたと判断されて論外。



母さんの知り合いが理事長をしている社会福祉法人の児童養護施設に入所することとなった。



これが貴崎由芽事件の顛末だ。



良かったと言えば良かったが、釈然としないのも事実。由芽が高校を辞めることになったのは残念としか言いようがない。



「暗い顔してるよ?」

「ん。悪い。考え事してた」

「由芽ちゃんのことでしょ?」

「そうだな」

「由芽ちゃん定時制の高校に入り直したって」

「影山と同じところだろ」

「うん。樹ちゃんからライン来たんだよね。由芽ちゃんと仲良かったわけじゃないけど、話したことあるって」

「そうか。偶然にも程があるな」

「本当だよね」



麻友菜の見せてくれたスマホのディスプレイには、影山樹と元気そうな貴崎由芽のツーショットが映っていた。ちなみに貴崎由芽はすっかり清楚な雰囲気になり、赤髪から黒髪に染め直して、しかもショートカットにしてしまった。



「由芽ちゃん前にも増して可愛くなったよね」

「そうか?」

「うん。そう思わない?」

「俺は麻友菜にしか可愛いとか言いたくない」

「出たよ。今週一番目のダメ人間製造機」



新幹線に揺られて瑞々しい田んぼの稲が流れていくのを見ている。昨晩の雷雨の影響なのか空気がいつもよりも澄んでいるような気がした。東京から離れて一時間と少し。夏休みに入り、俺と麻友菜は石川家に向かっている。石川家というのは弓子さんのほうの実家で、麻友菜の祖父母の家ということになる。



「悪かったな」

「悪くないよ。ところで春輝は田舎好き?」

「そうだな。嫌いではない」

「観光地でもなければ、面白くもない単なる山だけど」

「行く機会がないからな。たまにはいいだろ」



東京生まれの東京育ちからすると、むしろのどかな田舎に滞在できることはありがたい。夜中に酔っ払いの声で起こされることもないし、夜通し雑踏が止むことのない鬱陶しい環境でイライラすることもないだろう。まあ、それらに関しては当たり前だと思っているので悩んでいるわけではないが。



「おじいちゃんとおばあちゃん元気かな〜〜〜〜」

「そういえば、麻友菜は小学校に上がる前、祖父母の家にいたとか言っていたな?」

「うん。お父さんとお母さん仕事が忙しくてね。数ヶ月だったけど、暮らしていたんだよね」

「寂しくなかったのか?」

「当時は寂しかったかな。でも、今考えるとすごく良い思い出だよ。ほら、おじいちゃんとかおばあちゃんって孫には甘すぎるくらい甘々だから」



そういうものなのだろうか。話には聞くが、俺にはそういう経験がない。祖父母がいるのかいないのか分からない状況下ではなんとも感想を述べにくい。



「あ……ごめん。デリカシーがなかったね」

「いや。気にすることはない。訊いたのは俺だからな。それに麻友菜のそういう話をもっと聞きたい」

「うん。ありがとう」



小谷小夜という俺の母はどこの生まれなのか、祖父母が誰なのかを聞きそびれたし、母さんは家出同然で実家を飛び出してきたとかで、並木秋子の両親に関しては聞いたことがない。まあ、並木秋子という女性の両親を祖父母と呼ぶにはいささか気が引けるし、積極的に関わりたいとも思わない。



そう考えると、麻友菜と麻友菜の祖父母の関係がどういうものなのか興味が出てくるな。



「どういう人たちなんだ?」

「おじいちゃんとおばあちゃん?」

「ん。麻友菜にとって」

「大好き。あとね、両隣の家も親戚だから、大家族なんだよね。多分、春輝が行ったら大歓迎でバーベキューとかしてくれるよ」

「それは……初耳だな」



麻友菜は「えへへ」と笑って車窓の遥か向こう側に連なる山を眺めた。雲が高く、遠くに見える陽炎が夏を描いていた。



それからいくつか乗り換えて着いた先は、無人駅のコンビニ一軒もない田舎だった。バスどころかタクシーすら停まっていない謎の駅。まるでネット系のホラー小説に出てくる、地図に存在しない場所のような気配があって、昼間なのにゾッとしてしまう。怖くはないが。



「懐かし〜〜〜〜〜っ! 春輝、写真撮ろっ!」

「ここで?」

「うん。春輝、初の田舎到達記念に」

「俺は冒険者かなにかなのか?」

「えへへ。いいからいいから」



トラベル三脚にカメラを乗せて、セルフタイマーのダイヤルを回す。フィルムはポートラ400を五本も持ってきたから残数は大量にある。確かにここで撮っておくべきだな。



「一〇秒だ」

「え、待って。ポーズ考えてないよぉ〜〜〜」



麻友菜が俺に抱きついてきた。そこで甲高い音とともにシャッターが切れる。なんとなくもう一枚撮っておきたかったために、またセルフタイマーでシャッターを切った。ついでにスマホでも何枚か写真を撮っていると、軽自動車のバンが俺たちの前に停まり、



「麻友菜ちゃん、久しぶりだな〜〜〜」

「シンジおじさん!」

「そっちが噂の彼氏か〜〜〜」

「うんっ! えっと、春輝」

「はじめまして。お世話になります」

「おうよ。さあ、いくべいくべ」



少しイントネーションが語尾上がりの方言で、還暦を迎えたくらいのおじさんが窓越しに挨拶をしてきた。



駅から車で三〇分くらい走ると、ようやく集落が見えてきた。田んぼに囲まれた一〇軒ほどの村で、鉄塔が田んぼの真中に立っているのと、変電所があること以外なにもない。どうやって生活しているのか謎すぎる。



「春輝、こっち」

「ん。すごい門構えだな」

「でしょ。昔はこのあたりもちゃんとした町だったんだって。それで石川家のご先祖さまは名士だったらしくて、立派な屋敷を建てたらしいの」

「そうだろうな。蔵もあるのか」

「うん。今はなにもないけど。確か味噌作ってるとか」

「それは興味深いな。あとで見学させてもらってもいいか?」



麻友菜とそんな会話をしていると、シンジおじさんが振り返って笑った。



「珍しいこと言うもんだな。いくらでも見てけ。このあたりは米も味噌もうめえぞ」

「本当ですか? できれば味噌のレシピも教えていただきたいのですが」

「ほ〜〜〜。東京の高校生はみんなこうなんか?」

「いやぁ……春輝が特殊なだけだと思うよ?」

「んだよなぁ〜〜〜はは」



蔵を横目に進んでいくと農具と耕運機の入った建物があり、その奥にやたらと広い平屋の家が見えてきた。まるでドラマかなにかの中(ホラー系サスペンスで人が食われるやつとか)の屋敷そのもの。不用心にも居間の引き戸はすべて開放されていて、中にはガラスケースに入った日本人形やらこけしが見える。木の切り株のテーブルにはコップに入った氷が僅かに溶けていた。



「じいちゃ〜〜〜〜〜ん、ばあちゃ〜〜〜〜〜ん。麻友菜ちゃん来たぞ〜〜〜〜」



シンジさんはそう言って、「じゃあ、あとでな」と行ってしまった。俺は会釈をし、麻友菜は「うん、ありがとう」と手を振る。暑いのは暑いが、東京の暑さとは種類が違う。木陰に入ると風が気持ちいい。



「おやおや、麻友菜来たのか」

「おばあちゃん、ひさしぶり〜〜〜」

「遠いところよく来たね。そっちが春輝くんか?」

「はい。はじめまして。並木春輝です。お世話になります」

「まあ、礼儀正しい。ドラマで見る高校生とは全然違うんね」

「また不良をイメージしてたんでしょ。春輝は真面目で優秀なんだからね」



真面目で優秀かどうかは別として、礼儀正しいというよりもこれが普通なのではないか。



「おじいちゃん、ちょっと腰を痛めちゃって寝てるんよ」

「そうなの?」

「ああ、別に動けないわけじゃないからね」



さっそく「失礼します」と玄関から上がって、スニーカーを揃える。それで東京駅で買ってきた菓子折りを紙袋から取り出して、おばあちゃんに手渡すと「まあまあ、ありがとう。気を使わんでもいいんよ」と喜んでくれた。



「麻友菜、よく来たな」

「おじいちゃん、大丈夫なの?」

「まったくなんともないのに、ばあさんが」

「お医者様も安静にと言っておったろう。いいから寝ておれ」

「本当に口やかましいばあさんだ」

「さてさて、麻友菜ちゃんと春輝くんはそこに座って。お茶出すから」

「ありがとう」

「ありがとうございます」



おばあちゃんは買い物に行ってくると言って、シンジさんの車で出かけてしまった。



「スマホの電波……5G入るんだな」

「すごいよね。こんな田舎なのに」

「少し驚いた」

「ねえ、散歩に行かない?」

「散歩? どこに?」

「近くに神社があるんだ。昔、近所の子たちとよく遊んだんだよね」

「行ってみるか」



家を出ると、近所の子だったらしき同年代の人が門から入ってくるところだった。



「麻友菜、おかえり」

「あ、隆盛くん。ひさしぶり〜〜〜〜」

「うん。そっちは?」

「並木春輝です」

「お前……麻友菜の彼氏なの?」

「そうだが」



隆盛とやらは、眉間に皺を寄せてなにも言わずに飛び出してしまった。



「ちょ、ちょっと。隆盛くん?」



あれは、麻友菜のことをずっと好きだったとか、そんな感じの反応だな。











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