#82 竹@踏み出す由芽
結局二組の男女の溝は埋まらないまま、体育祭当日を迎えてしまった。昨日の予行練習でもいがみ合いは続き、けれどみんな他のクラスに負けたくないと意識しているようだ。そのくせチームワークが悪すぎて勝てないというジレンマに陥ってしまっている。
開会式が終わり、グランドのトラックの外周に保護者がレジャーシートを敷いたり、アウトドアチェアを設置したりして見学に来ていた。もちろん母さんの姿もある。加えて今日は吹雪さんも足を運んでくれている。俺とクララの活躍を楽しみにしてくれているのだろう。
「パパ〜〜〜〜」
「おう。クララ。学校には慣れたか?」
「二年生になって友達いっぱいできたよ」
「そうか。がんばれよ」
「うんッ!!」
まるで小学生だな、とはしゃぐクララを見ていたら、
「春輝。麻友菜ちゃんとは別々のクラスになったって聞いたが、勝負は勝負だ。手加減なんてすんじゃねえぞ」
「ん。それはもちろん」
吹雪さんらしいといえばそうだが、近くにいた麻友菜にまで手招きして同じことを言っている。俺が相手でも遠慮せずに勝負に挑めとか。クララは俺たちに手を振って自分のクラスの席(教室からグランドに椅子を出して待機場所を作っている)に戻っていった。去年のクララからは信じられないほどクララは学校に馴染んでいて、今では何も心配することがない。
「春輝、貴崎さんとこの妹さん大丈夫?」
「どうだろうな……」
どうやら母さんも心配しているらしい。
この前のカラオケでは由芽に少しだけ強い物言いをしてしまった。由芽が俺の言葉を聞いてどう思ったかは分からなかったが、翌日の学校ではいつもと変わらない陽キャなギャルの由芽に戻っていた。自分は白馬の王子を待つ、虐げられているお姫様。物語じゃなければそんなご都合主義的なイケメンが助けに来てくれるはずもない。
由芽に限らず、意識をどこかで変えることができなければ、想像通りの平凡な未来になる。それが大人になることだと俺は思っている。
由芽の未来は親の決めたボンボンに嫁ぐこと。それが平凡かどうかは別として、このルートを変えるには自分で動くしかない。自分自身が行動しなければ、第三者は助けるどころか見向いてもくれない。
「とにかく、恩を売っておきなさい」
「ん。分かった」
母さんは由芽に同情をしているわけではない。俺がここで由芽に貸しを作ることによって、俺の将来にプラスになると打算的になっているだけだ。どういうわけか母さんは由芽を買っている。姉の彩乃よりもだ。その理由は話してくれない。
貴崎の母も来ているようで、その横には元生徒会長の彩乃の姿も見て取れる。微笑んでいる彩乃に対して、貴崎母は一ミリも笑っていない。そんな様子からして、なんとなく近寄りがたい人という印象が拭えない——由芽の件もあって偏見に満ちているが。
「春輝、絶対に負けないからねっ!」
「望むところだ」
「なんか燃えてきたーっ!」
「ん。四組はみんな気合が入っているな。それに比べてうちのクラスは……」
二組の席は相変わらずギスギスしていて、他のクラスのような和気あいあい然とした雰囲気は皆無。この状況で一致団結した四組に勝てるわけがない。
「春輝、終わったら、」
「ん?」
(いっぱいサービスしてあげるねっ!)
「やめろっ!!」
「ふふ。じゃあまたあとでね〜〜〜っ!」
俺の肩に手を置きつつ近づき、耳元攻撃をして悪戯な笑みを浮かべながら颯爽と駆けていく麻友菜の後ろ姿を見送り、俺は自分の席に戻ることにした。なんとなく気が重い。
第一種目は大旋風という少し頭を使う競技だ。五メートルの竹を二人一組で持ち、竹をバトン代わりに次の男女に渡してゴールを目指す。途中にカラーコーンが三箇所に置いてあり、そのポイントでは竹を一周(回転)させなければゴールはできない。第一走者と第二走者は平行に並び、西側から東側、東側から西側へと竹を渡していき、最終走者が東側から西側に移動すればゴールとなる。
この男女のペアというのがうちのクラスのネックとなっているのは分かりきっていることだが、それにしてももう少し大人になって欲しいと思う。
「男女で力の差があると振り回されて転倒しかねない。だが、ここで一つアイディアがある」
「ちょっと、みんな並木の話を聞いて!」
砂川さんが両手をメガホン代わりにして叫んでも、みんなそれぞれに話をしていてまとまりがない。
「それで? 並木はどんな作戦を考えたの?」
「ああ。バカ正直に竹の両端を持つ必要はない。二人の距離を詰めて短く持ったほうがむしろ良いかもしれない」
「そして、ペアの片方に軸を作らずに竹の真ん中を軸にしてしまうこと」
昨日の予行練習では、うちのクラスに限らず他のクラスでもみんな竹の両端を持ち、どちからか片方を軸にして回っていた。半径五メートルとその半分では走る距離も違うし、掛かってくる遠心力も違う。ルールでは竹を一周させるとしか書いていない。
スタートと同時に第一走者が走る。俺の話を全然聞かないし、みんな竹の両端を持って走っていく。そしてカラーコーンの旋回ポイントでは見事に男子が外側を走り、女子が中心を担っている。結果、女子のほうが竹を落としてしまった。
「なにしてんだよ!!」
「これだから女子は」
「加藤の足ひっぱってんじゃねえぞ」
「ちょっと。今のって加藤が悪いんじゃん。全然佐藤さんに息合わせてないもん」
「そうよ。遠心力が掛かるんだから」
もうこのクラスにはなにを言っても無駄だと思い、この競技は諦めることにした。俺は別に他のクラスに勝ちたいとか勝負心に火がついたわけではない。せっかく母さんと吹雪さんが来てくれているのに、格好悪いところを見せるわけにはいかない。そう思っているだけだ。
「並木、さっきの竹の中心作戦でいこうよ」
ちなみに俺のペアは貴崎由芽だ。別に好き好んでペアを選んだのではなく、クラスの仲が悪すぎて話し合いにならず、砂川さんの提案でくじ引きによって決めることになったのだ。その際、偶然にも由芽とペアになってしまっただけだ。
「ん。俺もそのつもりだった」
「あたし達の息がぴったりのとこ見せてあげようじゃないの」
「……誰に?」
「霧島に」
「なんで?」
「嫉妬させてあげようよ」
「だから、なんで?」
「おもしろそうだから」
「全然おもしろくないぞ」
「冗談だけど?」
ついに竹が俺たちの手に渡った。現在、二組はダントツの最下位で巻き返せそうかどうかといえば微妙だが、それでもなんとかビリは避けたい。由芽には全速力で走ってもらう。そして俺が由芽にペースを合わせて、いよいよ旋風ポイント。そこで俺が進行方向と逆に力を入れる(踏ん張ってブレーキをかけて逆走しながら回るイメージ)。そのまま竹の中心をカラーコーンの真上に据えて、由芽に目配せをした。これは事前の打ち合わせ通り。
進行方向のまま回ってしまうと遠心力がかかり過ぎて、逆にスピードを殺してしまう(というか進みたい方向に進まずに振り回されてコースから逸れてしまう)。それに回った後に体勢を崩す。カラーコーンを回す際カウンターを決めることにより、回転からのリカバリーが速く、再び地面を蹴ることができるために転ぶ危険がない(竹が五メートルもあるためにかなり重く、遠心力もえぐい。実際に力みすぎて転ぶ奴が多すぎる)。
「はやいっ!!」
「並木と貴崎すげえええ」
他のクラスから歓声が上がる。そして走る際には縦に並ぶ。第一カラーコーンから第二カラーコンまでの距離は三〇メートル近くあり、空気抵抗をなくすためには竹を縦にしたほうが絶対に速い。
第二ポイントでは縦のままカラーコーンの真上に竹の中心を配置し、時計回りに回る。そこから一気に加速する。前を見ると麻友菜と四組の男子が第三ポイントで器用にくるりと回っていた。
「麻友菜……絶対に追いつく!!」
「並木、今度はあたしが前に」
「了解ッ!!」
由芽が前を走る。だが、第三ポイントを回る頃にはすでに麻友菜のチームはゴールしており、俺たちはアンカーに竹を渡して役目を終える。結局うちのクラスのアンカーがゴールしたときには他のクラスは全員走り終えていて、結果的に健闘むなしくうちのクラスは四位と最下位だった。
「由芽ちゃんがんばったのに、残念だったね」
「由芽ちゃんが一番がんばってたよ」
「男子がちゃんとしないからじゃんね」
由芽を囲む女子のグループが一斉に男子の悪口を言いはじめた。確かに成長期を終えつつあり、一部の力差のある男子が女子にペースを合わせなかったのも悪いが、だからといって協力をしなかった女子に文句を言われる筋合いもない。総合的に見て、男女どちらも悪い。強調しようとしないのだから負けて当然だ。種目の狙い通り、相棒との協和が絶対の競技だったのだから、どちらが悪いということはない。
「あのさ。みんなちょっと聞いて」
由芽が切り出すと女子たちは話をやめて静まり返った。
「あたしさ、この前キレたこと謝る」
「は? 由芽ちゃんはなにも悪くないでしょ」
「そうだよ。由芽ちゃんが謝ることじゃないって」
「みんな……ありがとう。でもね、自分でも分かってる。みんな本当はあたしに気を使ってるんだって」
「由芽ちゃん?」
「あたし、勝手に人のこと幸せだとか、不幸だとか決めつけるのがすごく嫌いでさ。知ってると思うけど、あたしの父親は政治家でいけ好かないやつなんだよね。確かにさ、子どもの頃からなんでも買ってもらえたし、美味しいものもいっぱい食べてきたと思う。その点からいえばあたしは幸せだったと思う。だからあたしのこと鼻についたらごめん」
由芽の表情が翳る。
「でも、得られたのはそれだけ。たったそれだけのことで、あたしに掛かるプレッシャーはエグかった。勉強は常に一番じゃなくちゃダメ。運動も。それにいつも良い子でみんなの輪の中心にいなければ怒られちゃう」
「それはなんとなく気づいてたよ?」
「うん。大変なんだろうなってみんなで話してたこともあったんだ。だから、この前由芽ちゃんがキレたのも理解できたから」
そうか。女子は由芽の立場に勘づいていたんだ。それで由芽が家で辛い思いをしていることに同情をしていたということか。学校での由芽は明るく誰とでも話す陽キャで、どんな奴にも見下さず公平に接していた。みんな由芽のことが好きだったんだ。だから、由芽のことを悪くいうやつがいないし、お嬢様だからと言って妬むことはしなかったのだろう。
「あたしね、今まで彼氏をいっぱい作ってきたけど、本当に男子に酷いことをしてきたと思う」
「酷いこと?」
「あたしさ、将来の結婚相手まで決められていて、なんていうか地獄っていうか」
そう言って由芽はケラケラ笑った。だが、そんな笑顔で誤魔化せるほど聞いている女子も馬鹿じゃない。
「それで……彼氏作って、あたしを好きになってくれれば……救ってくれるんじゃないかって。だから、男子から嫌われて当然だよね。弄んでいたことになるっしょ」
弄んでいたわけではないだろう。由芽が婚約者に気があるなら話は別だが、そうじゃないなから、好きなやつと付き合う権利くらいあってもいいはず。
「婚約者のことは話せなかった。話したら好きな人の気持ちが離れちゃうって。でも、将来この人と結婚することはないんだって思いながら付き合ってた。あたしって最低でしょ。それで自分を不幸だと思ってる地雷女だから」
「それって違くない? 最低なのは勝手に婚約者決めた親じゃん!!」
「うん……あり得ない。佐藤っちの言う通り」
「由芽ちゃんの人生は由芽ちゃんのものなのに」
「みんな……」
同情を集めても他人は慰めの言葉を発するだけで何もしてくれない。だが、本人の意識は変わる。それは俺が経験してきたことだ。他人との関わりを避けていた俺が、麻友菜と出会って体験したすべてがあるからこそ、分かったこともある。
「ありがとう。それで、並木のことを言われて、まるで自分を重ねちゃったの……。でも、並木は本当に強くて。正直に言う」
勝手に俺を引き合いに出すなと言いたいが。それに俺と由芽の家庭環境はまるで違う。俺は虐げられた記憶もなければ、不幸だとか不自由だと感じたことは一度もない。あるのは人とは少しだけ違う環境で生まれ育ったということだけ。ということは、もしかしたら、由芽は俺に自分を重ねていたのではなく、憧れていたのか?
「並木の記事はすべて読んだ上で思ったのは、並木がどう思うかは、並木しか分からないってこと。価値観は人それぞれ違うってこと。それを勝手に貶してほしくなかった。でも、一番決めつけていたのはあたしだった。男子たちの話はあくまでも感想だったのに。並木を悪く言っているわけでも、どうにかしようってことでもなかったんだよね。あたしがそれを許せなかったのは……単なるエゴ。だからちゃんと謝りたい。本当は自分が悪かったってこと、認めたくなかっただけ」
由芽の言葉に肯定も否定もする声は上がらなかった。そして由芽は男子のもとに歩いていき、斜め四五度に腰を折り、「ごめんなさいっ!」と謝った。突然のことに男子たちは驚き、みんな一斉に由芽を見る。
「あのとき突然怒り出してごめんなさい」
「いや、俺たちこそ、なんていうかすまん。いや、並木に謝るべきなんだろうけどさ」
「ん。俺はなんとも思っていないぞ」
「並木……ちゃんと言いたいことは言ったほうがいいって」
由芽はそう言うが、本当になんとも思わない。同情されようが俺は俺だし、今までのことが変わることもなければ禍根もない。むしろ母さんと吹雪さんに感謝しているし、あのどん底だったクララだって今が幸せだから良いと言っているくらいだ。信じられないかもしれないが、今が幸せなら過去なんてどうでもいい。それが一番重要なことだと思う。つまり、由芽は今が不幸のどん底だから過去にも未来にも囚われてしまう。本来、危惧すべきは過去なんかじゃなく、今現在から一秒先を含めた未来のはず。
「分かった。お前らのことは許す。ただしそれには条件がある。仲良くしろとは言わないが、せめて協調くらいはしろ。このままアホみたいにケンカしあって、高校最後の年を過ごすつもりか。本当はお互いに気づいているんだろ。どこかで仲直りするキッカケがほしいって」
「それは……」
「まあ……私たちも悪かったのもあるけど」
「ああ、俺は……分かってたな。女子の立場もあるって」
「は? お前が言う?」
「なんだよ。本当のことだろ」
「加藤、ごめん。あのときひどいこと言った」
「いや、佐藤、俺もだ。その……本当はキモいとか思ってない」
「井手、俺も悪かった。加藤と同じだ」
「鈴木……そこは被せるな。ちゃんと謝れし」
ちょっとしたキッカケが必要なだけだった。本当は互いに馬鹿らしいと気づいていて、けれど、由芽の手前もあり女子は男子に譲ることができなかったし、男子も女子がそういう態度だから折れることができなかっただけだったのだろう。誰も好き好んでケンカをしたいやつなんていない。つまらない意地だし、社会的行動の末の集団心理が働いてしまっていただけだ。
「本当に、ごめん。あたしのせいで。クラスがこのまま分断しちゃうかと思った」
「いや、貴崎のせいじゃねえよ。加藤のせいだ」
「俺かよ」
「じゃあ、佐藤のせいだな」
「は? あたしもらい事故じゃね?」
その後、みんな緊張の糸が切れたよう雑談をし、今までの雰囲気が嘘のように和んだ。
「みんな、ここから挽回しよう!! あたし達ならやれる!! ほら、円陣組むよっ!!」
「おお、いいな。一度やってみたかった」
「なんか青春じゃね?」
無理やり肩を組まされて、全員で丸くなり由芽が大きく息を吸った。
「うちら最強――――――っ!!」
「「「「「「「「おおおおおおおおおっ!!!!」」」」」」」」
周囲の生徒たちが一斉にこっちを見るくらいに気合が入っていた。大旋風の前からこうして一致団結していれば違ったのに。けれど、過去のことを言っても仕方がない。一秒先の未来を見据えて作戦を練り直そう。
クラスの勝敗の行く末も、由芽の未来への戦いもはじまったばかりだ。
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