#79 キャベツの千切り@カノジョの家初お泊り



土曜日の昼間は、授業参観で潰れてしまったものの、また夜は春輝の家にお泊りをした。日曜日の朝になって、本来ならその日の夕方にはバイバイするのだけれども、今日は違う。明日の月曜日が振替休日。



そして、なんと今日は春輝がはじめてわたしの家に泊まりに来る。いつも春輝の家に泊まってばかりでは悪いからと春輝を招待したのだ。今日は春輝にゆっくりしてもらおう作戦を決行する。掃除、洗濯、料理、その他諸々をいつもしてくれている春輝に、たまにはくつろいでいただきたい。



そう思っていたんだけど……。



「麻友菜が料理をしていると落ち着かないから、俺もなにかしたい」

「あ〜〜〜えっと、今日は大丈夫。だからソファにでも座ってテレビでも見てて?」

「……ん。分かった」

「春輝くんは本当に働き者なのねぇ〜〜〜〜」



わたしとお母さんがキッチンで夕飯の準備をしていると、春輝は居ても立っても居られない状態らしく、ちょくちょくキッチンを覗きに来る。春輝がうちに来るのは初めてのことじゃないし、このキッチンで料理を作ってくれたこともある。だからこそ、自分がただ指をくわえて見ているだけなのが嫌なのかもしれない。



「いえ。でも、弓子さんが働いているのに目下の俺が何もしないのは、なんだか落ち着かないです」

「そんなことないわよ〜〜〜」

「そうだよ。春輝は家事ばっかりしてるんだから、たまには楽してよ」



おそらく人が働いている姿を見て、自分がなにもしないのが嫌なんだと思う。それって結婚をしたら神旦那になるよね。普通はなにもしないでぼーっとしていたいのに、動いていないと気がすまないなんてすごすぎる。しかも、家事全般のポテンシャルが高いし、わたしがヘマしても笑って「かわいい」と言ってくれる。



もしかして、わたしは春輝という神旦那を手にして、人生の幸運のすべてを使ってしまったとか……。今後は不運しか訪れないなんてこともあり得る。

それくらいに春輝との出会いはわたしにとって宝物だったんだよね。



「ところで弓子さん、なにを作っているんですか?」

「コロッケよ。あとニンジン、大根、シメジのお味噌汁。簡単な料理でごめんなさい」

「お母さんって春輝ほど料理得意じゃないから」

「そんなことないぞ。さっきから見ていたらすごく丁寧だし、第一じゃがいものマッシュがすばらしい。弱すぎず強すぎずで、絶対に美味いだろ」

「あら。春輝くんは。あと二〇年早く生まれてきてくれれば」

「お母さん……」



お母さんがお父さんと出会わなかれば、わたしは生まれてきていないって。まあ、冗談だろうけど。



「春輝はさ、子どもの頃、どんな料理が好きだったの?」

「母さんは忙しかったから、あまり料理は作ってくれなかったな。でも、たまに吹雪さんとクララと俺が揃ったときは、タラの白ワイン煮を作ってくれて」

「え? なんだかすごそう」

「豪快な料理だったぞ」

「でも、秋子さんらしいね」

「ん。だな。あとは吹雪さんがよくカレーとかシチューを作り置きしてくれて、クララと二人で温めて、よく食べたな」



やっぱり寂しかったのかな。それに普段はキャバクラのまかない料理をごちそうになっていたって聞いた。家族揃って食べる料理は一般家庭では普通でも、春輝にとっては特別なもの。春輝が食卓を大事にする理由はきっとそこにある。



「春輝くんはきっと愛情をたっぷりもらったのね」

「なんだかそう言われるとくすぐったいですね」

「お母さん、ちょっと揚げすぎじゃない?」

「あっ! やっちゃった」

「わたしがやるから」



お母さんは、真剣に春輝の話を聞いていたら、油に浮いたコロッケが真っ黒になっていた。キッチンカウンター越しにお母さんを見て、春輝は笑った。まさかあれほど張り切っていたのにコロッケ一号が真っ黒になるなんて、春輝に呆れられちゃう。でも、春輝はなんだか楽しそうな表情を浮かべていて、いつも以上に優しい顔をしている。



「春輝? どうしたの?」

「いや、霧島親子を見ていると和むなと思って」

「そう?」

「ん。そういえば麻友菜は今まで男子を家に連れてきたことはなかったんですか? 別に彼氏とかそういう存在じゃなくても」

「麻友菜はね、春輝くんと付き合う前は男の子なんて嫌いって言っていたのよ」

「そうなんですか?」

「小学校の頃は、よく男の子にからかわれたり、いたずらされたりしてたの。ほら、好きな子にイジワルしたくなっちゃうでしょ?」

「ああ、そういう男子もいましたね」

「それから男の子に距離を置くようになったんだと思うの」

「別にそういうわけじゃ……」



一理あるけど。小学校の頃はみんなそんな感じだったし、中学校の頃はわたしは莉子ちゃんをはじめとしたクラスメイトに“空気”にされていたから、それどころじゃなかった。高校に入ってからは、男子はみんな下心全開で、とてもじゃないけど好きになれる男子はいなかった。そんなとき、二番街で春輝と出会った。



「家に来るどころか、仲良くなった男の子なんて春輝くんがはじめてじゃないかしら」

「まあ、そうだよね」



見栄を張りたいけど、さすがに無理がある。今まで男子の友人すらいなかったんだから、よくそれで四天王なんて呼称が付いたなと思う。本当にくだらない。



ようやくコロッケと味噌汁が出来上がって、三人で食卓に着いた。お父さんは今日も遅くまで病院で仕事らしく、帰ってこられないみたい。病棟の他に救急外来も担当しているために忙殺されると毎朝嘆いている。自分の病院なんだから他の人に任せればいいのに。でも、他の人が忙しい思いをしているのに、自分だけ楽はできないとも言っていた。



ああ、そうか。春輝はお父さんに似ているんだ。見た目は全く違うけど、心の芯がどこか似ている気がする。



「キャベツの千切りも包丁ですか?」

「ええ、そうよ」

「やっぱり太すぎず、細すぎずで美味しいですね」

「キャベツの千切りで美味しいとかいう人はじめてだと思うよ。お母さんも春輝の言葉で調子に乗らないでね?」



しかも本気で言っているから困る。お母さんだからいいけど、赤の他人ならわたしは嫉妬モードになっていたと思う。ダメ人間製造機の極みすぎで、お母さんがおかしくならないか心配だ。



「春輝くんは本当にかわいいわね」

「? 正直な感想を述べたまでですけど?」



その後、コロッケも味噌汁もべた褒めだった。

コロッケは少し早い新ジャガイモを使用しているためか、かなりホクホクで美味しいし、味噌汁もニンジンの旨味がすごい。それに優しい味がして、心が温まる。



春輝の感想を簡単かつ簡潔にまとめるとそんな感じ。



夕飯を食べ終えて、春輝には一番風呂に入ってもらい、その間に春輝の部屋を用意する。さすがにわたしの部屋で一緒に寝るのはお母さんがいる手前、なかなか気まずい。だから隣の部屋に布団を敷いた。本音と建前の本音もお母さんは知っている。けど、だからと言って高校生の男女が同じベッドで寝るとなると、泊めてくれたお母さんの立場がなくなってしまう。



春輝がそう言うから仕方なく従うことに。まあ、お父さんが帰ってきて、わたしと同じ部屋で寝ているなんて話を耳にしたら面食らうと思う。



「ありがとうございます。お風呂を先にいただいて」

「じゃあ、麻友菜入ってきなさい」

「でも、お母さん疲れているんだから、先に入ったら?」

「私は大丈夫よ」



そんなこんなで、次にわたしがお風呂に入って、ラストがお母さんだった。



お風呂を上がってから、ソファに座っていつものようにドライヤーを持ってくると、春輝がブローをしてくれる。その様子を浴室に行く前のお母さんが見て、



「本当に仲が良いのね」

「でしょ!」



お母さんは呆れ気味だった。春輝に頭を触られるのも好きだし、このまったりとした時間がたまらなく甘美だと思っている。まさか我が家でこの雰囲気を味わえるなんて。

あ。春輝にはなにもせずにゆっくりしてもらおう作戦遂行中なのを忘れていた。



「春輝、めんどくさくない?」

「? 全然そんなことないぞ?」

「今日は、春輝をもてなすつもりだったのに」

「だから、もてなしてもらっているぞ」

「髪乾かしてくれているじゃん」

「俺が麻友菜の髪を乾かすのは、麻友菜のためでもあるが、俺自身の癒やしのためでもあるからな」

「どういうこと?」

「麻友菜の髪は触っていて気持ちいい。それに、この髪質の維持のためには俺が丁寧にブローしたい」

「出たよ。ダメ人間製造機」

「どこがだ?」

「彼女バカなとこ」



ちゃんとクシも使ってくれるあたりがすごいと思う。

ブローしている春輝に振り返り、お母さんがお風呂に入ったところを見計らって抱きつく。春輝は迷惑そうな顔をしてドライヤーのスイッチを切った。



(ご主人さまぁ〜〜〜夜寂しくて眠れないから、麻友菜がお布団に忍び込んじゃいますねっ!)



「やめっ!!」



耳攻撃すると、春輝は相変わらずのくすぐったそうな反応で可愛い。



髪を乾かし終えて春輝を部屋に案内して、形式的にバイバイをする。わたしの部屋は二階の角部屋で、その隣部屋の和室が今日の春輝の寝床。布団はさっき敷いたし、掃除も行き届いていると思う。真冬じゃないからそんなに掛け布団はいらないと思うけど、まだまだ寒いから念の為に布団は多めに用意してある。



現在二十二時過ぎで、玄関のドアの開く音がした。お父さんが帰ってきたんだと思う。お母さんはお風呂を上がって、お父さんの食事の用意をしてから寝るはず。



それから部屋でスマホを弄って(春輝が泊まりに来ているのに、その春輝とラインをしている)、二時間くらい経過し、両親が部屋に入ったのを確認して、行動を起こす時がきた。部屋をこっそり抜け出して春輝がいる和室の引き戸を静かに開く。



「麻友菜か?」

「うん。来ちゃった」

「さすがにまずいだろ」

「お父さんとお母さんは寝室に入ったら朝まで出てこないから」

「二階には上ってこないのか?」



両親の寝室は一階にあり、わたしの部屋とこの和室は二階。家の中で対角線上に位置しているために、少しくらい音を立てても、両親の耳には入らないと思う。



「多分大丈夫」

「多分……な」



春輝は布団に横になっていたみたいで、部屋の照明は落としていた。もしかして眠いのを我慢してわたしのラインに付き合ってくれていたのかな。もし、そうだとしたら申し訳ない。



「春輝が眠いなら、今日は寝よう?」

「いや。まだ大丈夫だ」



春輝の布団に潜り込んで、春輝の身体に纏わりつく。春輝は迷惑そうな顔の一つも見せないで、わたしを受け入れてくれる。春輝の家にいるときは、当たり前のように抱きついたりキスをしたりしていた。でも、それがわたしの家となるとなんだか急にハードルが上がった気がして、これはこれで新鮮。



いや、スリルを求めているわけじゃないんだけどね。



「もし弓子さんに見つかったらどうするつもりだ?」

「そのときは、春輝がわたしをもらい受ける約束をしてくれるんでしょ?」

「そういう問題じゃないだろ」

「違うの?」

「弓子さんは信用して俺を泊めてくれてるんだから、裏切るのは忍びない」

「まあ、そうだよね。なら見つからなきゃいいだけじゃん。それにお母さんもお父さんもわたしの部屋に勝手に入ってこないし、まして春輝の寝ている部屋に来ると思う?」

「……ないだろうな」

「ほら、見つからない」



春輝は観念したのか、ため息をついてわたしを抱きしめてくれた。わたしも春輝を抱きしめる力をさらに強くして、顔を春輝の胸にうずめた。春輝はわたしの頭にキスをして、くんくんって匂いを嗅ぐ。



「良い匂いだった?」

「ん。いつもどおりだ」

「癒やされた?」

「ああ。それもいつもどおり。少し中毒なのかもな」

「中毒?」

「麻友菜中毒。しばらく麻友菜の匂いを嗅がないと心がざわつく」

「あ〜〜〜分かりみが深いかも。だから春輝の布団に忍び込んできたわけだし」



四月の夜はまだまだ冷えるから、布団と毛布を掛けているんだけど、わたしはそこから顔を出して春輝の首元にキスをする。



「やばい。眠くなってきた」

「部屋に戻ったほうがよくないか?」

「まだ春輝と一緒にいたい」



でも、春輝の甘い香りと優しい体温に包まれて、まどろみのなか沼に沈んでいくようにわたしの意識もゆっくりと落ちていく。



結局春輝と一緒に眠ってしまい、翌朝起きて二人で部屋を出ると、わたし達を起こしに来たお母さんに部屋から出るところをばっちり目撃されてしまった。だけど、お母さんは特になにも言わなかった(少し呆れていたような気もしないでもない)。



こうして、わたしの家に春輝を招待して、春輝にゆっくりしてもらおう作戦は終了し、春輝との連日お泊り会は感覚で言えば秒で終わってしまった。もっと一緒にいたい。その思いだけが残る。はじめてお泊りをした日からもう少しで一年になるけど、この別れの瞬間にこみ上げる寂寞せきばくな気持ちは未だに慣れない。



しかも今日は春輝が秋子さんの用事に付き合うとかで、午前中に帰ることになっている。朝食を食べて、準備をして帰る時間になるにつれて心に穴が空いた気さえする。



「寂しい……」

「ん。また夜になればラインで通話もできるだろ」

「そうだけど」

「困ったな。帰れないぞ」

「ごめん」



そんなやり取りを見ていたお母さんが呆れながら、



「明日学校で会えるんでしょ。まるで何年も会えないような映画の中の恋人みたい。本当に仲が良いというか」



そのとおりなんだけど、でも寂しいものは寂しい。春輝は後ろ髪をひかれっぱなしで、玄関でわたしが引き止めているから、かれこれ一〇分くらい帰れないでいる。さすがに申し訳ないから、わたしも「じゃあね、バイバイ」と言うと、春輝は「ん。じゃあ、駅までラインで電話する」と言い出した。



またお母さんが呆れていた。





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