#78 スーツ@毒親



今日は午前中に学校があって、しかも授業参観だというのに昨夜はベッドで麻友菜と夜ふかしをしてしまった。麻友菜といると時間が過ぎるのが早い。それは言い訳にならないが、少し自制しないといけないな。



朝のホームルームが終わり、廊下には保護者がずらりと並んでいて、いつもの学校とは様相がまるで違う。一番の違和感は隣の席のギャルJKだ。いつもなら朝からハイテンションで俺に絡んでくるのに、今日は何事もない。登校してから今まで一言も口を利かないのは、やはり昨日体調不良で休んだのが原因なのだろうか?



「貴崎さん体調悪いのか?」

「ああ、ごめん。大丈夫」

「別に謝ることじゃないだろ」



顔色は芳しくない。むしろ、真っ青にも見える。



「別に授業参観だからと無理に来なくても良かったんじゃないのか?」

「違うって。授業参観なのに休めるわけないし」

「……体調不良でもか?」

「うん。体調は悪くない。むしろ良い方」



つまり、緊張しているということか。それも極度の緊張が身体を強張らせている。それは、普通高校生にもなってありえないだろう。俺も小学校以来、母さんが来る授業参観だから普段と同じように平静かといえば嘘になるが、貴崎は度を越している。



これは緊張じゃない。顔を見れば分かる。



貴崎の身体を巡っているのは毒。恐怖という毒そのものだ。貴崎由芽の姉は貴崎彩乃で生徒会長だった人だ。その生徒会長は堂々としていて、俺の知る限り由芽のような不安定な心理状態になることはなかったはずだ。とはいえ、人は見かけだけで判断はできない。顔で笑って心で泣いているやつは結構いる。



「そんなに母親が嫌なのか?」

「……別に」



貴崎は一瞬目を眇めたような気がした。図星なのだろうな。この前、母親に姉と比較されて元彼に相談をしたことがあるような話をしていたな。そういうことなのだろう。単純明快だが、本人にしては根が深い問題だ。コンプレックスとは他人にしてはどうでもいいことでも、自分にとっては心のウェイトを占める割合が大きく、人生観にまで影響をしかねない。それは俺も理解しているし、実際に経験してきたこと。幸い、俺には麻友菜という存在がいて、救われたから幸運だった。



授業参観は数学の授業だ。ぞろぞろと保護者が入ってくる。



「美保ちゃ〜〜〜〜〜ん! がんばってね、ママ応援してるからっ!」

「や、やめてよ〜〜〜〜〜〜」



砂川美保もといミホルラという存在が、なぜあれほどまでに陽キャなのか。その原点が分かった気がする。母親は顔もそっくりで砂川美保が年を取ればあんな感じになるのだろうと想像するに容易い。



「春輝」

「ああ、母さん。今日は来てくれてありがとう」

「それよりも春輝が来て欲しいなんて言うから驚いたわよ」

「……ん。そうか」



いつもよりも控えめなコーデだとは思う。だが、線が細い身体にピタッとしたスーツでパンツスタイルながらもヒール着用(うちの学校はシューズではなく外履きのまま)なために足が長い。手にしているバッグはバーキンか。派手ではないものの、やたらと存在が目に付く。



そうか。母さんは授業参観にあまり参加をしたことがないから、どんな服装で来ればいいのか分からない初心者なのか。



「誰、あれ……」

「もしかして、並木くんのお母様!?」

「若くない?」

「ええええええ、美人なんてもんじゃないでしょ」

「すごくキレイ。お美しい……」



女子がざわめきつつ、男子は呆然としており声も出せないといった感じだ。二番街の女王なのだから当然といえば当然なのだが、反応を見ていると面白い。



「由芽、あなた制服の襟を直しなさい」

「はい。お母様」



そんな俺の母さんの隣でビシッと決まった紺のスーツの、メガネを掛けた真面目そうな人が貴崎の横で貴崎由芽を指摘していた。なんとなくマナーに口うるさそうという勝手なイメージが湧いてしまう。



「それと昨日休んだ分の穴はちゃんと今日先生に言って教えてもらいなさい。あなたが言えないなら、私がしっかりと伝えます」

「いえ、大丈夫です」



とてもあのギャルJKと同一人物とは思えないような口調と姿勢だ。それに制服も着崩していない。スカートの丈は膝下で、そんな女子をこの学校で見たことがないくらいに目立つ。トレードマークのポニーテールはそのままだが、ブラウスのボタンはしっかりと一番上まで締めており、ピンと背筋が伸びている。



「まあまあ。貴崎さん。娘さんは高校生ですもの、自分でしっかりと考えていらっしゃるでしょう」

「あなたは、ええと、お知り合いでしたかしら?」

「先程出席票の記入のとき見えてしまいました。貴崎先生の奥方様でいらっしゃるでしょう? 先生にはいつも懇意にしていただきありがとうございます」

「あら、うちの人の知り合いでしたの?」

「ええ。先生の票に僅かながら協力させていただいております。我が社は貴崎先生を推しておりますので」

「……そうでしたか。これは失礼いたしました」



母さんは貴崎の父親を知っているらしい。貴崎由芽があまりにも不憫ふびんで見ていられなくなって助け舟を出したのだろう。それにしても貴崎は借りてきた猫のようになって萎縮している。



それから貴崎由芽は、授業中も後ろの目を気にして勤勉に努めた。いつになく真剣な……というよりも憔悴したような顔つきでノートを取っていて、まるで別人のように真面目一徹。今日以外の日の授業中は、ほぼ寝ているギャルJKの普段からはかけ離れている。



授業参観が終わり、次に学習懇談会に移るのだが、まさか母さんは帰るのだろうと思ったら出席するらしく、先に帰るのもどうかと思って四組に顔を出すと廊下でばったり弓子さんに出くわした。弓子さんは相変わらずの明るい性格だった。



「春輝くん、いつも麻友菜がお世話になっちゃって」

「いえ。世話になっているのは俺のほうなので」

「麻友菜のことこれからもよろしくお願いします」

「こちらこそ」



弓子さんはこれから仕事らしく、懇談会には出席しないようでそのまま学校を後にした。麻友菜と合流をすると、麻友菜もうちの母さんに会いたいらしく、懇談会が終わるのを待つことに。週末の課題を終わらそうと図書室に向かうと、階段に座って顔を膝にうずめた貴崎由芽がいた。



「まだ帰らないのか?」

「これからお母さんとお父さんと、どこかの会社の食事会」

「食事会?」

「えっと貴崎さん? 霧島です」

「ああ、並木の彼女のね」

「うん」



覇気がない。いつもの貴崎ではなく、まるで打ちひしがれた女子のようだ。俺たちは別に貴崎を励ますような関係でもないし、そんな義理もない。それに自分の問題だから放置して立ち去ろうとすると、



「並木」

「ん?」

「並木のお母さんにお礼言っといて。並木のお母さんって本当に立派な人だと思う」

「分かった。貴崎、言いたいことはちゃんと言え。お前のためにも家族のためにも」



うちの母さんに敬意を示すなら、俺も助言くらいはしてやるつもりだ。



「家族のためにも?」

「お前がいなくなってから、母親ははじめて気づくんだ。誰も嫌われたくて親をやってるやつなんていないだろ?」

「……どうかな」

「とにかく、お前はお前だ」

「うん。ありがと」



図書館で勉強をしつつ、懇談会が終わる時間に教室に戻るとちょうど母さんが出てきたところだった。



「秋子さん、お久しぶりです」

「麻友菜ちゃん! 見ない間に随分と可愛く、大人に……あ」

「……なんだ、今の“あ”は?」

「大人の顔になって。春輝も隅に置けないね」

「は? 意味が分からないんだが」

「そのままの意味よ。麻友菜ちゃん、春輝に大事にしてもらいなさい」

「はいっ! わたし、秋子さんがお母さんになってくれたら、すごく嬉しいです」

「私もよ。麻友菜ちゃんみたいに輝いている子ってそうそういないもの」



なんだか母さんと麻友菜の女子トークが始まってしまったために、俺は廊下でスマホを弄くることにした。母さんは水商売の道を極めた人で、トーク力に長けており、どんな人でも簡単に懐柔してしまう。それだけではなく実業家としての顔も持ち、仕事の話をするときの気迫は、極道でも逃げ出すほどだと聞いたことがある。どちらにしても、あくまで営業の顔で素顔ではない。



だが、麻友菜と話す並木秋子は素顔で、しかもまるで母親の顔だ。いや、母親だから当然なのだが。他人に見せる顔ではなく、俺や吹雪さんに見せる顔をしている。小谷小夜のときもそうだったが、母さんは麻友菜を買っている。人を見る目のある人だから、よこしまな考えを持つ人間には決して見せない顔で、母さんが麻友菜を認めてくれるのは嬉しい。



「では、秋子さん、今日はこのくらいで失礼します」

「うん。今度うちのお店に遊びに来て」

「待て。水商売の道に誘わないで欲しい」

「違うわよ。お客さんとして。麻友菜ちゃんには幸せになってもらいたいでしょ?」

「……それは」

「じゃあ、またね」

「はいっ!」



麻友菜は嬉しそうに母さんに手を振ってから、俺の手を握った。



「わたし、やっぱり秋子さん好きだなぁ」

「そうか? どの辺がだ?」

「わたしに気を使わないとこ。それから、春輝をちゃんと褒めるとこ」

「俺を?」

「うん。普通、お母さんとかって謙遜して自分の子どもを貶すじゃん。それが一切ないの」

「……ん。なるほど」

「あとは、わたしのこともいっぱい褒めてくれるとこ」

「それは気を使ってじゃないのか?」

「違うよ。春輝がなんで春輝なのか分かったもん」

「つまり、母さんもダメ人間製造機ということか」

「うん。ダメ人間製造機を作る中枢の基盤って感じ」



確かに母さんからは叱られたことや、怒られたことはあまりないし、褒められて育てられたかもしれない。それでも悪いことをしたときに叱られたことはあったが、それも怖いということはなく、自分がしたことが悪かったと納得できるような叱り方をしてくれた。

俺はそれが普通だと思っていたが、中学のあたりからクラスメイトの話を聞いて、自分がかなり恵まれているのだと知った。



「弓子さんは違うのか?」

「あんなに褒めてくれないって。いや、秋子さんが特殊なんだよ?」

「だろうな」



学習懇談会が終わって、麻友菜も母さんと話ができたところで帰ろうとしたら、教室の中から話し声が聞こえてくる。廊下にはほとんど生徒は残っていない。まだ誰か残っているのかと覗いてみると、貴崎親子がなにか話しをしていた。



「由芽、今日の授業はなに?」

「なにってどういうことですか?」

「先生がお話をしているときは、ちゃんと前を見なさい。それに話に対して頷きなさい。先生は話を聞いているかどうかを内申点に加えるのだから、そこはちゃんとしないと」

「はい。ごめんなさい」

「それから、ノートを取るときは猫背にならないようにしないと」

「次から気をつけます」

「なんで由芽は彩乃みたいにできないの? あなたは近い将来、向山むこうやま先生の御子息と婚姻するでしょう? そのときにある程度の大学に入っていないと、向山先生に迷惑がかかるから。そのあたりちゃんと分かっているのかしら?」

「はい。すみません」



なんだか話を聞いているこっちがムカついてくる。確かにいらつく会話だが、俺が出る幕じゃないから聞かなかったことにしようときびすを返すと、麻友菜がムッとして教室に入ろうとしていた。



「待て。あれは貴崎家の問題で、俺たちが口を出すことじゃない」

「でも。由芽ちゃん悲しそうな顔してるじゃん」

「そうだとしても、だ」

「うん……春輝がそう言うなら」

「貴崎家の問題であって、バッググラウンドを知らない俺たちが、あの母親を止めるような言動は控えた方がいいだろうな」

「……ごめん。そうだよね。ちょっと短絡的だった」

「いや、麻友菜の気持ちは理解できる」



文句を言いたいことは一つや二つじゃない。



1.勝手に婚姻を決めているとしたら、それは基本的人権の尊重されるべきはずの令和の現代においては確実に間違っていること。


2.大学進学は結婚相手のために考えることじゃない。あくまでも本人のためのものだ。


3.彩乃は彩乃。由芽は由芽。比べること自体おかしい。



ざっと考えただけで三つもある。おそらく麻友菜も聞くに耐えなかったのだろう。だが、俺たちがそれを指摘したところで、母親の意向が変わるとは思えない。それにあのタイプの人間は否定されると頑なに自分の意見を押し通そうとして、さらに貴崎由芽に強く当たる可能性もある。



その後、俯きながら無言で母親に付いていく貴崎由芽が、どんな気持ちで食事会に臨んだのかは分からない。



俺たちは俺の家に帰宅して、貴崎由芽には申し訳ないが楽しい昼食の時間を過ごした。











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