#77 手作りハンバーガー@大人になること
事件を目の当たりにしたのは、貴崎さんと男子たちが揉めたという翌日だった。今日の昼休みはわたしから春輝を迎えに行こうと二組に行くと、男子と女子が言い合いをしていた。しかも一対一ではなく複数対複数の団体戦。
「春輝……これは?」
「きっかけは体育祭のリレーの順番だな」
「……なんでそんなことで揉めるのよ」
「昨日、貴崎と揉めた原田の後になりたくないと、矢田がごねたところで男子が一斉に怒り始めた。それで女子は矢田の肩を持ち、」
「今に至る?」
「ん。正直俺はどうでもいい」
「あれ、由芽ちゃんは?」
「今日は休みだな」
「……そっか」
教室の真ん中でにらみ合う男女の姿。その後ろにはそれぞれ男子と女子が付いて対峙し、互いに罵詈雑言を浴びせ合っている。聞くに絶えない文句ばかりで、二年生のときの仲良しだったわたしと春輝のクラスからは考えられないような不仲。これで一年間やっていけるのだろうか。わたしには関係のない二組の話だけど、春輝がいるから気になってしまう。
「麻友菜、行くぞ」
「えっ、でも」
「付き合ってられるか」
春輝に手を掴まれて階段を上っていく。確かにあの状況だとお昼ご飯を食べそこねて、午後からは空腹との勝負になってしまいかねない。しかも、連日午後は体育祭の練習があるから、食べないで望むには結構きつい。だから春輝の判断は正しいとは思う。
暑くもなく、寒くもない季節だからこそ外の陽気は気持ちがいい。廃プールのベンチと机は使うとき以外は室内に閉まっている。ホコリが被らないようにしているために清潔だし、昼休み毎に少しずつ掃除もしているから清潔感があって以前よりも快適。
なんだかんだで一年くらいここを使わせてもらっているんだよね。はじめてここで撮ったフィルム写真はスマホのストレージに収まっていて、今でもたまに見返している。まだ付き合ってもいない偽装交際だったのに楽しかったし、本当に幸せだった。今の幸せは、その土台があるからこそ成り立つもので、あの経験があったから春輝と強固な絆で結ばれているとわたしは思っている。あの偽装交際のどこのどれを取っても、すごく大切な宝物でわたしの大事な一部。
春輝は更衣室から机をいくつか持ってきて並べた。そこに持参したキャンプ用のランチョンマットを敷く。そしてお弁当を広げた。
「麻友菜、さっそくだが作ってきたぞ」
「えっ?」
「ハンバーガーとフライドポテト。それにチキンナゲットだ」
「すごい!」
単にパン(バンズに)ハンバーグ(パティ)とレタスを挟んだだけのハンバーガーでは、大して美味しくないと春輝は言っていた。バンズとパティとの相性もあるし、ソースも研究が必要らしい。それにお弁当で持ってくるとなると一つ難関がある。温度だ。
「でも、冷たくても美味しいの?」
「ん。温かいのは美味いのが当たり前だが、冷たくても美味いとなれば本物だろ」
「そうだけど……」
「まず冷たくてアドバンテージがあるのは野菜だな。レタスのシャキシャキとトマトの瑞々しさは温かいハンバーガーでは真似できない。逆にそこを活かした」
春輝から受け取ったハンバーガーを一口食べてみる。確かにレタスはシャキシャキでトマトはジューシー。そしてなによりもパティが柔らかい。冷やすことを前提にしたソースは、レタスとトマトとの相性は抜群だった。しかも、ほんの少しだけわさびの味がする。
「美味しい~~~っ!! これってハンバーガーと別ジャンルじゃない?」
「冷めても美味い弁当ってあるだろ。あれを意識した」
「このソースも甘ったるくないね。醤油でしょ?」
「ああ。日本は刺し身を食する文化だからな。そこから発想を得た」
「さすが。うん、これはむしろ冷たいほうが美味しい!」
「ほら、口に付いてるぞ」
春輝はそう言って、紙ナプキンでわたしの口を拭った。そうやっていつも子ども扱いして。言ってくれれば自分で拭けるのに。でも、春輝はわたしの頬に手を置いて、
「まだ口に付いてる。味見したい」
なんて言ってキスをした。唇を食べられちゃった気分になって、わたしも仕返しに春輝の頬にキスをする。
「麻友菜、ポテトも食べてみたら?」
「うん」
マックというよりはケンタに近い太めのポテトで、ほんのり塩味がきいている。しかも味付けが二種類あって、一つの袋に入ったポテトは塩。もう一つの袋はコンソメ味だった。これもかなり美味しい。チキンナゲットは驚くべきことに鶏むね肉をミンチして手作りで作ったらしく、マスタードソースを付けて食べるとまるで本家の味。これはすごい。
「ああ~~~春輝の料理を食べてるときって本当に幸せ」
「随分と安い幸せだな」
「だって、本当なんだもん」
そういえばわたしもお弁当を作ってきたんだった。春輝みたいに美味しくはできないけど、一応愛情たっぷりのお弁当だと思う。お弁当の蓋を開けると、春輝は「お。見た目が華やかだな」と褒めてくれる。いつものことだけど、そうやって声に出して褒めてくれるのがすごく好き。早起きした甲斐がある。
「ねね、お店開いたらテイクアウトメニューも作れそうじゃない?」
「ん。だな。麻友菜のこの弁当もかなり美味いぞ」
「わたしのは……ちょっと恥ずかしいな。素人だし」
「そうでもないぞ。麻友菜の弁当は、“食べてもらいたい”という気持ちが溢れ出ているからな」
「そう?」
「ん。俺は麻友菜の料理が好きだ」
「相変わらずのダメ人間製造機だけど、嬉しいよ」
「そういえば明日の授業参観、弓子さんは来るのか?」
「うん。来るって言ってたよ。春輝は?」
「ああ、珍しく母さんが来るらしい」
そういえば、去年の授業参観に秋子さんは一度も来なかった。忙しいから来てくれないんじゃなくて、春輝がすべて断ったらしい。
「来てくれて嬉しい?」
「どうだろうな。正直、母さんが授業参観に来るのは小学生のとき以来だ」
「そんなに?」
「ん。俺のために手を煩わせてほしくないというのもあったんだ。小学生の俺はまだ子どもだったからな。中学になって、段々自分のことを考えるようになった。並木秋子という女性は、本当は自分の幸せもあっただろうに、俺のせいで棒に振ったかもってな」
春輝はもっとワガママになっても良かったのかもしれない。いつか、秋子さんがわたしに話してくれたことを思い出した。小夜さんのことで秋子さんとラインでやり取りをしていたときにそう話してくれた意味がなんとなく分かった気がした。
春輝の優しさの原点は、有り余るほどの秋子さんの愛情だ。そして、その愛情を知った春輝は、秋子さんのことを真剣に考えて、それで……授業参観は来なくていい。自分の幸せのために吹雪さんと一緒に暮らして欲しいから、自分は一人暮らしをする。
なるほど。でも、小夜さんの件で秋子さんの春輝に対する気持ちが分かって、明日は授業参観に来てほしいって言ったんだね。小夜さんの一見は、春輝と小夜さんだけじゃなくて、秋子さんとの関係にまで影響を及ぼした。
なんだか、微笑ましい。春輝と秋子さんがずっとずーーっと幸せでいられますように。
「そっか。秋子さんも春輝の学校生活が気になっていたと思うよ。秋子さんって春輝のこと第一に考えているから」
「そうだな。俺も今はそう思う」
「春輝も大人になったねっ!」
そう。経験が積み重なって大人なっていく。春輝を近くで見ていて、わたしもそれを実感した。きっとわたしも同じなんだと思う。少しずつ成長していく。そのとなりに春輝がいてくれて本当に良かったと思う。
わたしが春輝の頭をナデナデすると春輝はわたしの腕を掴んだ。それで引き寄せてわたしを抱きしめる。抱擁してくれたのかと思ったら違うらしく、わたしを動けなくした上で抱きしめた両手で脇の下をくすぐってきた。
「ちょ、やめっ!!」
「生意気なこと言うとこうだっ!!」
「い、いやん、ちょ、待って、やばい、やばいって」
春輝の指が脇の下から腰まで移動して、しかも不意打ちで耳たぶを甘噛までしてきた。春輝ほどじゃないけど、わたしも耳は苦手なのにっ!!
「やめ……うぅん」
「やめない。麻友菜も大人になったろ」
「わたし別に、なにも、」
くすぐりが激しくなった。
「な、なんで」
「春の旅行で大人になったろ」
「あっ……もう」
そういえばそうだった。もう少しで春輝と付き合って一年になる。去年の今頃は、わたしがまさか春輝とこうして付き合うことになるとは思わなかった。そして、こんなに大好きになるとも。わたしのすべてを春輝に捧げることも。
「それは春輝もじゃん」
「違うぞ」
「えっ!?」
「まあ、冗談だが」
「もうっ!!」
久々に肩パンしてやった。そんな冗談を言い合いながらお昼を食べて笑う。なんだ、クラスが変わってもわたし達はなにも変わらないじゃん。悩んで損した。
春輝に抱きついて意趣返しに耳攻撃をすることに。
(ご主人さまぁ〜〜〜麻友菜を今晩も可愛がってくださいねっ!)
春輝とは体も繋がっているのに、これだけは未だに克服できないみたい。面白いくらいに反応してくれる。
「み、耳はダメだ」
ついでに耳たぶをはむはむと唇で噛みつつ、息を吹きかける。
「やめ、ダメだ。それは本当に」
「くすぐった仕返し。わたしの気持ち分かったでしょ」
「わかった、わかった」
絶対に分かっていない。虎視眈々とわたしへのくすぐり攻撃の機会を狙っている。この攻防戦の行方は昼休みの終わりのチャイムとともに、次回に持ち越された。夜は続きをしよう。うん、次こそは勝つ。
「麻友菜、明日は授業参観だが今日は泊まりに来るのか?」
「うん。それはそれ、これはこれだよ」
「分かった」
「カノジョ氏が泊まりに行かないと寂しいでしょ? 夜眠れなくなっちゃうでしょ?」
「その言葉そっくり返す」
「……えへへ」
図星だ。でもお互いに金曜日と土曜日の夜のお泊りを楽しみにしているんだから、授業参観で学校があろうがなかろうが関係ない。それにしても“分かった”って言ったときの春輝の顔が嬉しそうにはにかんでいて、可愛かったなぁ。
春輝と別れて、二組の教室の前を過ぎ去ろうとするとなんだかギクシャクしている様子だった。空気の中に鉛でも含まれているんじゃないかってくらいに重い。春輝は意に介さずに自分の席に着く。ミホルラがわたしに気づいて、「よっ!」と片手を上げて挨拶をしてくれたから、わたしも「やっ」と返しておいた。
あの条島高校陽キャ代表のミホルラでさえもクラスの雰囲気を変えられないとなると、仲の悪いクラスで一年間を過ごさなくてはならない二人には同情する。
自分のクラスに戻ると、景虎が教卓の前で先生の真似をして笑いを取っていた。二組とは月とスッポン。空気の質が違う。わたしが席に着いた瞬間に怖いと評判の世界史の先生が入ってきて、その先生の真似をしていた景虎は睨まれてそそくさと席に戻っていく。
「まゆっちちゃん」
「? なに?」
「二組ってやばいんだって?」
「え?」
声を掛けてきたのは前の席の女子、金沢さんだ。
「やばいってなにが?」
「ほら、まゆっちちゃんと同じ四天王の貴崎さんいるでしょ」
「うん」
「貴崎さんが怒っちゃったって」
「そうなんだ?」
知っているけど、ここは知らないフリをしておく。金沢さんは話したくてウズウズしているから、あえて聞く姿勢に徹することに。もしかしたら、春輝もミホルラも知らない情報を金沢さんは持っているかもしれない。
「うん。貴崎さんのことを狙っている男子がいて、気を引くために貴崎さんにしつこく迫ったのが発端らしいよ?」
「……そうなの?」
「あたしさ、実は二組の本宮と付き合ってるんだけど、まゆっちちゃんは並木くんから情報入ってこないの?」
「う、うん。春輝はそういうのに疎いから」
「そうなんだ〜〜〜。並木くんってあんまり人と関わらないイメージあるもんね」
なんだか春輝やミホルラの言っていた話とはだいぶ違う。元はと言えば、春輝の週刊誌の記事の噂だったはず。春輝が不幸だって話していて、貴崎由芽ちゃんがそれに対して噛みついたと春輝もミホルラも話していた。
「なんかさ、貴崎さんって普段は誰にでも良い顔しているけど、心の中では馬鹿にしてるんだろうなって思ったら腹立つよね」
「そう?」
「だって、顔は笑顔だけど心の中では人を見下してるって。二組の男子はみんなそう言ってるよ」
「そうなんだ……」
“みんな”ではない。春輝はそんなことを一言も言っていない。なんだか二組の男子の陰謀が見え隠れしているような。春輝の話を聞いた感じでは、由芽ちゃんがそんな人とは思えない。わたしが直接話したわけではないから、確信は持てないけど、春輝は人を見る目がある。とくに二番街で色々な女の人と関わってきた経験からして、由芽ちゃんが悪い人ではないことは間違いない。そう信じたい。
「そこッ!! 金沢と霧島ッ!! 授業始まってるぞ」
「はい、すみません」
「すみません」
二組の問題はかなり根が深い。春輝はこのまま静観するのか、あるいは問題解決に踏み込むのか。
どちらにしても、わたしはなにがあっても春輝の味方だ。
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