#74 カレーライス@桜並木の向こう側 後編



ミュージカルの公演を終えて麻友菜と俺の家に帰ってきた。だが、今日はもう一人おまけがいる。



影山樹はダイニングテーブルに座って、借りてきた猫のように膝を抱えて丸まっていた。



「それでクリスマスパーティーで話したことは嘘だったわけだな」

「ああ、だからそう言ってるじゃないか」

「軽自動車に乗っていたのは母親じゃなくて、“大地さん”だったわけだろ」

「そうだよ」



キッチンで俺のとなりに立つ麻友菜がジャガイモの皮を剥いている。手慣れたもので、俺と偽装交際をしたときよりも格段に上達している。手元を見なくてもスルスルと皮を剥いでいく。



「それでなんで君たちは料理をしているのかな?」

「それはどうでもいい。気にするな」

「普通、客人が来たらお茶の一杯くらい出して、面と向かって話すものだと認識しているのだけれど?」

「樹ちゃんごめんね〜〜〜。もう少し待ってくれる?」

「霧島氏がそう言うなら……」



お茶を出したら、飲み干した瞬間に帰りそうな気がする。影山樹とはそういう人物だ。話を煙に巻くのが得意で平気で嘘をつく。だが、嘘をつく理由が体裁を考えてのことなのだと最近になって気づいた。自分の発言に対して、相手に気を使ってほしくないのだ。影山樹なりに気を使っているのだろうか。



「それで、影山は俺の生みの親、小谷小夜に大地を重ねた……」

「……君は鋭いな。なんで分かったのか聞いていいかい?」

「というのは間違った認識だな」

「え? 待って。どういうこと? 春輝なに?」

「第一部に対して第二部の脚本はどうも短いんだ。ラストシーンを削ったんじゃないのか? それで帳尻合わせで無駄なシーンを後から継ぎ足したような雰囲気さえある」

「……ボクの脚本がチグハグだと?」

「そうは言っていない。ただ、ラストシーンは削ったんじゃないのか?」



具材の下処理を終えたところで、オリーブオイルにすり下ろしたニンニクを混ぜて、鳥のモモ肉を鍋に落とす。香ばしい匂いが充満し、肉が白くなってきたところで玉ねぎとニンジンを投入する。そして最後にジャガイモも。



「小谷小夜に重ねたのは大地ではなく、翡翠なんだろう?」

「えっ? 翡翠さんが……? 待って、え? どういうこと?」



予想外の俺の推理に麻友菜は困惑しながらも、分量をぴったりの水を鍋に注いで蓋をした。



「……どうして分かったんだい?」

「観客席の最前列に影山の母を見つけた。病院で会ったときよりも随分と痩せていたな」

「ダイエットしたんだろう?」

「そもそも過労で倒れたと言っていたが、過労で倒れた人が病院であんなふうに歩けるのか? 普通に話していたし、とても過労には見えなかった」

「なかなか鋭いね」

「俺のノンフィクションを書きたいと言ったのは、自分の著書なら母親が読んでくれるからだろう? それで“眠りの古城、廻る運命”の演劇と俺のノンフィクションを掛け合わせて母親を励ましたかった。違うか?」

「……お母さんは別に、」

「だが、俺はノンフィクションの協力要請に対して首を縦に振らなかった。そこでミュージカルを発案した」



いや、違うな。ノンフィクションも書きたかったしミュージカルもやりかった。『大地の人生をテーマとしたミュージカルを観たい』という会話を、翡翠がミュージカルの中でしているのだから、それは影山の母親の本心なのだろう。



翡翠のキャラは間違いなく影山の母親をモチーフにしている。いや、本人そのものなのかもしれない。そうなると娘の皐月さつきは影山樹だ。



「お母さんはスキルス性のガンなんだ。騙すつもりはなかった。ごめん」

「進行の速い悪性腫瘍か」

「さすが詳しいね。お母さんはよくお父さんの話をしてくれるんだ。お父さんはカレーが好きだったらしく、いつも美味しいって言って食べてくれたってね」



それでミュージカルにもあえてカレーの話題を出したのか。

鍋の中で具材がグツグツと煮立っている。



「お母さんはね、一三年経った今でもお父さんのことが好きで好きでたまらないんだ。お父さんのことを話さない日はないくらいに。それでこの前カレーを作ったらさ、これが美味しくないんだ」

「治療による味覚障害か?」

「そう。君は本当に博学だよ」

「樹ちゃん……ごめん。ちょっと顔洗ってくるね」



麻友菜は涙でメイクが落ち始めていたために洗面所に向かったのだろう。麻友菜は感受性が強く、相手の話を自分に置き換えることができる。だからこそ、今まで過去に苦手だった人物にも許しを与えてきた。そんな優しい子なんだ。



大地と俺を重ねてひどく沈んでいたから、これで翡翠までいなくなってしまうと影山の口から話されれば、とても耐えきれるものではないのかもしれない。



「それでミュージカルをして母親の希望通りに大地の軌跡を残せたのか? 母親に気持ちは伝えられたのか?」

「おかげさまでね」

「面と向かっては伝えないのか?」

「それは難しいね」



病気で苦しむ母親に“今までありがとう”だの、“お父さんときっと会える”、“自分たちはやっていけるから安心して”とは言えないか。まるで母親の生きる希望を、感謝やエゴで打ち消しかねないからな。感謝する側は言葉にすることで楽になれるかもしれないが、受け取る側はそうはいかない。まだ生きる気力のある者にとって、愛する者からのそういった言葉は、ある意味死の宣告よりも辛いだろう。



これは俺の推測だが、おそらくラストシーンで翡翠が病気になるはずだったとしたら。もしそのシーンを演じてしまったら、それこそ影山の母親は絶望してしまうかもしれない。自分で脚本を書いていて、影山樹はおそらくそれに気づいたんだ。



「生きてさえいれば希望はあるからな」

「ああ。もしかしたら明日新薬が完成して、突然病気が完治するかもしれないじゃないか」



やはりそうらしい。



「そうだな。俺もそうあってほしい」



顔を洗った麻友菜が戻ってきて、再びキッチンに入る。それからしばらく鍋を煮込んでルーを入れる。



「ごめんね。わたしは放っておいて話続けて」



麻友菜は洟をすすりながら鍋をかき混ぜた。ゆっくりとホクホクになったジャガイモの形が崩れないように。それでいて、火の加減が平等に行き渡るように。



「もしかしてカレーを作っているのかい?」

「ああ。そのもしかしてだ」

「なんでそこまでボクのためにしてくれる?」

「ここからは俺と麻友菜の夢だからな」

「? どういうこと?」

「食べたら話す」



ご飯の乗った皿にカレーを盛り付けて影山に差し出す。俺と麻友菜もそれぞれダイニングテーブルについて、「いただきます」をしてから食べはじめる。



「これは……お母さんの作ってくれたカレーに似てる。そう、玉ねぎの原型がなくてジャガイモがホクホクで、ニンジンが口の中でとろけて。それで、チキンが多めに入っているカレーだ」



影山は涙をポロポロと流しながらカレーを頬張った。影山の思い出の味に近づけたならいいが。俺はおぼろげなイメージを聞いて再現をしたつもりだが、味の詳細までは影山本人しか分からない。



「うぅ……お母さんに……もっと生きて欲しい。お母さんが……お母さんが死んじゃうなんて嫌だ」



麻友菜は立ち上がり影山の隣に座ってその背中を擦った。影山は食べるのをやめて麻友菜に抱きつく。それはまるで皐月が翡翠に甘えて抱きつくように。麻友菜の顔は翡翠を演じたときの表情そのものだ。



「俺の夢は、誰かの心に触れられるような料理を出せる店を開くこと」

「わたしも春輝のとなりで一緒に料理を作りたい」

「そうか。どうりで」

「樹ちゃん、また食べに来てくれるよね?」

「もちろんだ。ボクも君たちの夢に協力する。なにかあったら言って欲しい」

「また嘘じゃないだろうな?」

「違うよ。本気だ」



カレーを食べ終えた後、影山は帰宅した。



「来週からまた学校だね」



二人で食器の洗い物を終えて、ソファに麻友菜と一緒に座ると麻友菜はしんみりとそう言った。



「クラス替えの件が心配か?」

「ううん。別々になっても大丈夫」

「ん。そうか」



麻友菜にも心の変化があったのだろう。顔つきが今までとは違う。そんな気がした。



「樹ちゃん大丈夫かな」

「大丈夫ではないだろうな」

「大地さんを春輝に重ねていたんだよね?」

「ん? なんでそうなる?」

「だって、小夜さんを翡翠さんに見立てていたんだったら、大地さんは春輝だよね?」

「ああ、そうなるのか」

「うん。樹ちゃんは春輝のことが好きだったんじゃないかなって思うの」

「……それはないだろ」

「クリスマスパーティーのときからちょっと思っていたけど。春輝を見る樹ちゃんの目を見ていたら分かるって」

「どういう目をしていたんだ?」

「うーん。キラキラしてた」

「それで嫉妬したのか?」

「ああ、恋愛的な意味じゃないよ」

「……なるほどな。いや、どういう意味だ?」

「春輝って、わたし以外には塩対応だけどしつこくされると優しくしちゃうでしょ?」

「そうか?」

「なら、なんでミュージカル出たのよ」

「…………」




そう言って麻友菜は笑った。

やはり、俺は影山樹という人間が苦手だ。







始業式の日。



満開だった桜が散りはじめて、桜吹雪になっている桜並木の道を歩いていく。春輝と手を繋いで進んでいくと見知った子がガードレールに座っていた。



「樹ちゃん?」

「やあ、霧島氏と並木氏」

「お前、制服はどうした?」

「通信の高校を選択したんだ」



樹ちゃんはどうやら別れを告げに来たらしい。ジーンズにパーカー姿のラフな恰好をしていて、今日はいつもの小さなメガネじゃなくて大きな黒縁メガネを掛けている。



「色々と考えた結果だよ」

「そうか。お前が決断したことだ。とやかく言う筋合いはない」

「ああ、そう言ってくれると助かるよ」

「転校は嘘じゃなかったんだね……寂しくなっちゃうな」

「まあね。君たちには世話になった」



樹ちゃんはわたしと春輝に深々と頭を下げた。



「影山、なにかあったら頼ってこい」

「そうだよ」

「ああ、またカレーをご馳走になるよ」

「ん。いつでもいいぞ」



それから少しだけ樹ちゃんとお話をした。これからは昼間はお母さんとの時間を大切に過ごすことにしたらしい。最期は家でお母さんを看取りたいと言っていた。転校の主な理由はそれらしい。それに樹ちゃんは通信の高校に転校しても、すでに国立大学に受かるだけの学力は持ち合わせている。



お金がないというのは嘘だったのだ。



『鳥のモモ肉がいっぱい入っていた』



貧乏な家でそれはないだろうと春輝は呆れていた。最後まで騙されちゃったな。



風が強く吹いた。



樹ちゃんは踵を返して桜並木の向こう側に歩いていく。わたしは涙で霞む視界の中、樹ちゃんの姿が見えなくなるまで見送った。



出会いと別れ。運命は廻り合せ。きっとまた会える。

大地さんにも。もちろん、翡翠さんにも。



春は出会いと別れの季節だ。







______________

ここからはあとがきになります。

近況に解説あります。


恐縮でございますが、 ☆ を押していただけると幸いです。


近況に挿絵もあるのでチェックしてみてください。

いつも応援♡、コメントありがとうございます。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る