#72 カノカレのはじめて@一泊旅行後編
わたしは今回の春休みの旅行に際して、一つ計画をしてきたことがある。
新年度を迎えれば春輝とはクラスが別々になる可能性が高い。けれどわたし達の関係、絆、感情、想いが不変なことは揺るぎない。でも、その区切りにどうしても春輝と一つになりたい。
わたしは貪欲だ。
春輝の中にもっと、今まで以上にもっといっぱい深くわたしという存在を刻みつけたいと思っている。
わたしは
春輝のそばに誰も近づけたくない。春輝が他の子と話すのも嫌。けれどそれでは春輝の生活が成り立たないことも理解している。
だからこそ、他の子とは違うわたしだけの特別がほしい。付き合っているという口約束的な地盤のゆるい関係性だけじゃなくて、ちゃんと恋人として繋がりたい。春輝を信じないとか今の関係が危ういとかそういうことではなく、ちゃんと愛してほしい。
わたしに傷跡を残りして欲しい。一生残る傷跡をつけて、わたしを春輝のものにして欲しい。
去年の夏の頃から、そんな思いに変化するまで時間は掛からなかった。もちろん、春輝にも幸せになってもらいたいって気持ちは変わっていない。
“春輝のはじめて”、“わたしのはじめて”、その壁を越えた先になにがあるのか。そんな青い気持ちを持っている時点でわたしは子どもなんだろうか。
綿の擦れる音とともに浴衣を脱いで春輝に背中を向けると、後ろから春輝が抱きついてきた。そして、春輝はなにも言わずにバスタオルをわたしの身体に巻きつける。
「春輝、見ていいよ?」
「いやいい。温泉に入るんだろ」
「うん。春輝……一緒に入ってくれるよね?」
「ん。分かった」
わたしも春輝もバスタオル姿で、テラスに出ると思った通り寒い。そこからガラス張りの部屋の中に入ると個室用の温泉が設えられている。源泉かけ流しの天然温泉で、石風呂の中に絶えずお湯が注ぎ込まれていた。ゆっくりとつま先を入れてみると熱くもなく、ぬるくもなくちょうどいい。
「やっぱり夜の温泉もいいね」
「ん。だな」
部屋から直接温泉に入れるなんて天国なのかよ。
色々な思いを巡らせながら星空を眺める。東京とは比べ物にならないくらいに星が煌めいていて、肉眼でも星座を見ることができる。那須でグランピングをしたときもキレイだったけど、ここも同じくらいに幻想的な星空。春輝はわたしの後ろで石風呂の縁に寄りかかっていて、わたしも背中を春輝にくっつけて身を預ける。
わたしのお腹あたりを抱きしめた春輝は耳元で「麻友菜好きだ」と囁く。
「うん。わたしも好き」
振り返ると紅潮した春輝の顔があって、わたしは春輝の指に自分の指を絡めた。このまま良い雰囲気に持ち込んで、春輝がその気になってくれればそれでいい。春輝の手をそっと持ち上げて、わたしの胸に置いてみる。あぁ……動悸が止まらない。
「麻友菜?」
「ドキドキしてるでしょ?」
「……どうした?」
一度立ち上がり、春輝のほうを向いて座り直す。そして、春輝を抱きしめて春輝の耳元で、
(春輝……したい)
「耳元はやめろ」
まさかこれで伝わらないわけがない。わたしの気持ちは春輝が中学生でも伝わるはず。お母さんの言った「責任のある行動をするなら泊まってもいい」という約束を春輝は未だに忠実に守っているけれど、それは反故にしてもいいとわたしは思っている。理由として、
1.お母さんは春輝の家に泊まることを認可していること。
2.今日の宿泊の同意書にサインをしてくれていること。
3.わたし達が相思相愛だということをお母さんは熟知していること。
お母さんはわたし達が一緒に泊まることに同意をしているのに、なにもないなんて思っていないんじゃないかって思っている。すごく恥ずかしい話だけど、高校生のわたしでもそう思うのに、お母さんのような大の大人がそう思わないなんて不自然じゃない?
毎週末もそうだけど、この状況で春輝がわたしに手を出すなというのはさすがに酷な話だと思う。わたしは男子高生の生理現象がどれほどのものなのか分からないけど、一緒のベッドで寝るのになにもしないなんて耐えられないだろうってことくらいは理解できる。
それに、ミホルラの話だとお泊りをしたら普通の男子高生(景虎だろうなぁ……)は耐えられないって言っていた。それなのに春輝はずっと我慢している。それはやっぱり良くないと思う。まるでわたしが飼い殺しているみたいじゃん。
「それで、なにをだ?」
「えっち」
「……だからそれは」
「春輝、お母さんのことは一旦忘れて。わたし達には意思があるでしょ。お母さん云々じゃなくて、春輝がどう思うかだと思うの。責任ある行動っていうのは感情に流されないで、理性的に行為をすることじゃないかな?」
「……麻友菜、俺も思ったことがある」
「なに?」
すごくドキドキする。春輝の顔は真剣そのもの。怖い。なにを言われるんだろう。なにかダメ出しをされたら嫌だな。致命的で決定的なわたしの悪いところをここで言われるんじゃないかって思うと血の気が引いてくる。
俺、えっちな子って嫌いなんだよね、とか。あり得る。あり得るわ〜〜。地雷を踏んだかもしれない。
「麻友菜が病み上がりでシチューを作ってくれたことがあっただろ」
あ。なんか違うっぽい。
「あ〜〜〜。春輝が美味しいってすごく褒めてくれたときのやつ?」
「ん。あのとき思ったんだ。俺の夢は単に美味い店を開きたいんじゃなくて、温かい気持ちになれる店を出したいんだってな。身寄りのないヤツや行き場のないヤツ、傷ついているやヤツらに食べさせてやりたい」
「……春輝」
「そのためには麻友菜に隣りにいて欲しい。俺のそばにずっといて欲しい。麻友菜に夢があるなら、俺が奪ってしまうかもしれない。けど、麻友菜には俺のとなりで笑っていて欲しい」
ずっとわたしが欲しかった言葉だ。わたしには明確な夢はない。女優になるとかモデルになるとか、あるいはもっと身近な夢。たとえば公務員になるとか。そんなことはこれっぽっちも考えたことがない。
わたしにはおぼろげな未来しか見えてこなくて、やりたいことがなにも見つからない。モラトリアム真っ最中のわたしにとって、一番したいことは仕事よりも春輝の近くにいたいってことだけ。ただそれだけ。今、握りしめている夢はたったそれだけ。
そのわたしのちっぽけな儚く砂のような夢を春輝が形作ってくれようとしている。
「わたしも春輝のとなりで料理を作りたい」
「ああ。俺からも頼みたい。俺の理想は麻友菜と二人じゃなきゃ作れない」
「うんっ! わたしもがんばる。だって、春輝にはいつまで笑っていてほしいもん。二人でたくさんのお客さんに愛情を届けたい」
わたしの言葉は愚直で夢見がちで、それでいて幼稚かもしれない。でも、わたしにとって、春輝と二人で料理をしている時間は何よりも大切で宝物。だからわたしは春輝のとなりでいつまでも料理を作りたい。いつまでも肩を並べていたい。
あのシチューを作ったとき、思いを馳せながら鍋の中身をかき混ぜていた時間はかけがえのない思い出となっている。春輝がシチューを食べてくれて笑ってくれたとき。褒めてくれたとき。わたしも気づいた。触れられるものだけが贈り物じゃなんだってこと。春輝からもらった最高のプレゼントだったってこと。
たった一言。
“美味しいな”って言葉は今でも大切な宝物。
「麻友菜……俺は麻友菜が好きだ」
「うん」
「だから、俺も麻友菜と……」
春輝はわたしを抱きしめてキスをして、バスタオルを剥がす。春輝にはじめて裸を見られた。
二人で石風呂から上がって身体を拭き、改めてバスタオルを巻いてベッドに移動して寝そべる。部屋の電気を消すと、窓から漏れる月の光がつま先から太ももまでを照らす。春輝はわたしに重なるように四つん這いになってキスをした。
そして唇が首を這って……。
熱い身体は温泉で火照ったからなのか、あるいは。
◆
目が覚めると春輝はまだ眠っているようだった。
壁を越えたわたしにとって、なにか特別なものが芽生えたかといえばそんなことはく、ただ春の匂いと朝の光が充満した部屋で一つ大人になった気がしただけ。だって、春輝のことが好きだっていう事実は変わりようがない。ただ、春輝に愛されていることを再認識した。それどころかますます好きになった。思い出すと少し恥ずかしいけどわたしと春輝の関係はステップアップしたような気もする。
春輝の寝顔を指先でつんつんと刺してみる。まったく起きる様子はなく、可愛らしい寝息を立てている。起こすのは可哀そうだからもう少し寝かせてあげるか。
ベッドから身を起こして立ち上がろうとしたら、春輝がわたしの腰をがっちりホールドした。
「まだいいだろ。行くな」
「……うん」
眠ったフリをしていたのかな。
再びベッドに戻って春輝の頭を撫でる。いつもと立場が逆転しているような気がするけど、これも悪くない。春輝の顔を胸の前で抱きしめると春輝は覚醒したようで、わたしの両手を掴んで仰向けにさせられた。
「昨日あんなにしたじゃん」
「足りない」
「……もうっ」
結局ベッドから離れたのは八時過ぎだった。
朝食を食べてチェックアウトを済ませてから、念願の滝を見ることになった。もちろん写真をいっぱい撮って、またスマホのストレージが春輝で満たされていく。
日本三大名瀑に数えられるだけあって、袋田の滝の迫力は普通じゃなかった。飛沫が飛んでくるし、滝壺に落ちる水が爆音だし、とにかく見ごたえがあって楽しい。春輝はここでフィルムをすべて使い切るくらいにわたしを撮ってくれた。
楽しい時間はあっという間で、帰る時間になってしまった。今日はお泊りできないから、お互いに自分の家に帰ることになる。この帰りの時間が寂しくて、水戸から乗った特急の中でついつい黙り込んでしまった。
「疲れたか?」
「ううん。もうすぐ終わっちゃうなって」
「旅行がか?」
「うん」
「夏休みにもどこか行けるだろ」
「そうだけど……やっぱり寂しいよ」
「そうだな。だが、またすぐに週末になる」
「うん……」
分かっているけど、やっぱり離れたくない。この時間が永遠に続けばいいのに。そんな月並みの言葉しか出てこないけど、それくらいに春輝と離れるのか辛い。ラインのビデオ通話をしても結局は触れることはできない。温もりを感じられない。
春輝の熱を知ってしまったからか、少し離れるだけで恋しくなってしまう。壁を越えたことで変化がないと思っていたけど、実際は違った。今まで以上に人肌恋しい。
「麻友菜、ありがとうな」
「なにが?」
「なんとなく。ほら、昨晩とか」
「変なの。別にお礼言われることなんてしてないよ?」
「そうか?」
「そうだよ」
恋人として当たり前のことをして、当たり前の夜を過ごしただけ。むしろお礼を言いたいのはわたしのほう。わたしに春輝のはじめてをくれてありがとうって。でも、それを言ったら、なんだか重い女のような気がして言えなかった。だって、そうでしょ。えっちしちゃったから、責任もってわたしをもらってね、なんて。
対等な関係として、春輝とは接していきたい。春輝もきっとそう願っているはず。
「麻友菜は俺と一緒に料理の道に進んでくれるって言ってくれたこと、嬉しかったから」
「あ、そっちか」
壮大な勘違いだったらしい。恥ずかしい。でも、きっと春輝はわたしと人生を歩むことを確信したんだよね。おぼろげな未来じゃなくて、ちゃんと地に足がついた将来が見えたからこそ、わたしのはじめてを奪った。
やっぱり勘違いじゃないや。
「わたしのほうこそありがとう」
「ん。俺は礼を言われる覚えはないが」
「いいの」
まだわたし達の夢ははじまったばかりだ。
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