#68 アロマオイル@離れたくないカノジョ


病院に行った土曜日の夜。



春輝はわたしのために美味しいお粥や、鎮咳効果のあるはちみつ大根、それからゆず茶を作ってくれた。消化ってかなりエネルギーを使うらしく、そこにエネルギーを使うくらいなら、身体には風邪の菌を倒すことに専念してほしいがために、消化を助ける食物が良いのだとか。



それにしても春輝は本当に風邪を引かないらしい。病院から帰ってきて、その夜も一緒に寝たのにまったく感染る気配もないし、元気そのもの。羨ましいくらいに強い。



日曜日の朝。



起きてからベッドの中で体温を計測すると解熱をしていて、喉の痛みも感じられない。投薬の効果もあると思うけど、それだけじゃなくて春輝の薬膳料理のおかげだと思う。起き上がってリビングに向かうと、春輝はすでにキッチンに立っていて料理をしていた。お味噌汁と生姜の良い香りがする。



「おはよ〜〜〜」

「ん。おはよ」

「味噌汁と生姜?」

「ああ。喉風邪には生姜がいいからな」



それにたまご雑炊と鯛の酒蒸し、バナナの入ったヨーグルトがテーブルに用意されていて、とにかく豪華な朝食だった。



「おいしそう〜〜〜」

「随分と食欲が出てきたみたいだな」

「うん。春輝のおかげだよ。ありがとうね」

「よし、味噌汁も完成した。食べるか」

「うんっ!」



たまご雑炊は風邪じゃないときにも食べたいくらいに美味だし、鯛の酒蒸しなんて御祝ごとでしか食べないような代物だと思う。風邪で弱っているわたしのために春輝が作ってくれたと思うと、本当に嬉しい。昨晩は食欲がなくてあまり食べられなくて残しちゃったけど、今は食べられる。



「今朝、弓子さんから連絡があって、今日は迎えに来るって言っていたんだが」

「えっ、ここにお母さんが?」

「ん。だが、風邪のときに移動するのは良くないと思ったから断った」



ということは、わたし帰らなくてもいいってこと?



「それって?」

「治るまでうちにいろ。どうせ明日は学校を休むようだろうし、明日一日様子を見れば帰れるかもしれないからな」

「いいの?」

「ん。それに明日になれば症状はだいぶ落ち着くんじゃないか?」

「うん。今でもだいぶ楽になったし。明日になれば全然違うと思う」



まだ咳は少し出るし、倦怠感はある。だから元々、明日は様子を見て学校は休みたいとは思っていた。そうなると、明日は春輝の家に一人でお留守番になってしまう。春輝のいない部屋でわたし一人なんてこと今までなかった。



「明日は一人かぁ……」

「さすがに俺も学校を休むわけにはいかないからな」

「うん。分かってるよ。わたしは大丈夫だから」

「とにかく、今日は帰る心配せずにゆっくりと寝ていたほうがいい」



そうか。春輝はわたしが今日帰らないくちゃいけないっていう心配をさせないために、泊まっていっていいって言ってくれているんだ。帰るためには荷物をまとめて、それから迎えに来たお母さんの車に乗るために、外の冷たい空気に触れなくちゃいけない。そうなると風邪が悪化するかも。そこまで考えてくれていたんだ。



「どこまで優しいのよ。朝ご飯もおいしすぎるし、このダメ人間製造機」

「……悪かったな。ダメ人間製造機で」

「もう、過保護にも程があるの」



となりに座る春輝は、わたしの頭をぽんぽんって叩いてから立ち上がり、食べ終えた食器をシンクに運んだ。それから、わたしもゆっくりと時間をかけて食べ終えて、食器を運ぼうとすると春輝がわたしの食器を手にする。



「片付けは俺一人でいい。それよりも歯磨きをしてベッドに戻って休んで欲しい」

「うん。じゃあ、そうするね」

「ん。それと身体は拭く体力あるか?」

「お風呂は入っちゃまずいよね?」



昨日の夜はさすがにお風呂に入るような体力はなく、着替えだけをして寝てしまった。



「止めたほうがいいな。湯船に浸かればせっかく下がった体温を上げかねないし、シャワーだと温まらないから、温度差で体調を崩すかもしれない。それよりは、エアコンの下で清拭をしたほうがいいだろう」

「清拭?」

「ああ。温かいタオルで身体を拭くことだ」

「じゃあ……そうする。春輝がしてくれるんだよね?」

「……ご所望とあれば」



とりあえず歯磨きをしてから顔を洗い、春輝に言われるがままベッドに移動する。泊まりに来るたびに、予備の下着と着替えをわたし専用のカラーボックスに収納していて、一週間くらいなら着替えには困らない。いつ居住区を春輝の部屋に移してもいいようにしているあたり、自分でも用意周到だと思う。



「用意してくるから先に寝室に行ってていいぞ」

「うん。ありがとう。あのさ」

「ん?」

「考えていなかったけど……身体を拭くってことは、裸になるんだよね?」

「普通はそうだろ?」

「……そうだよね」



考えて発言すればよかった。一昨日の夜なんか冷えピタを足の付根に貼るだけであんなに恥ずかしかったのに、裸になってしかもタオルで拭くとか……。いや、一緒にお風呂に入っている関係なのにおかしくない?



イチャイチャするときと、こういうお世話をされるときの受け身の感覚ってなんだか別物のような気がする。なんで、エッチなことじゃないはずの清拭のほうが恥ずかしいんだろ。すごく不思議。



それに、よく考えたら昨晩お風呂に入っていない身体を拭いてもらうって、エッチな意味じゃなくても恥ずかしいじゃん。汗くさいとか思われても嫌だし。考えれば考えるほどお風呂に入りたくなってきた。



着替えを持って寝室で待っていると、お湯の入った洗面器を持って春輝が入ってきた。なんだか良い匂いがする。アロマオイルかな。



「この香りは?」

「ただのお湯よりもリラックスできるだろ。直接肌に付けられるタイプのアロマオイルを入れてきた」

「そうなんだ」



上の服を脱いでバスタオルを巻き、ベッドにうつ伏せで寝ると春輝はタオルを洗面器に付けた。そして、絞って背中を拭いてくれる。温かくて気持ちいい。でも、ここから先を春輝にしてもらうわけにはいかない。



「待って」

「ん?」

「やっぱり背中だけでいいや」

「そうか」



春輝は察したのか、部屋を出ていき扉を閉めた。

身体からアロマの香りがして気分がいい。清涼感のある匂いで、春輝がなんでアロマを使ったのかなんとなく理解した。リフレッシュの意味のほかに、わたしが嫌な思いをしないためになんだ。わたしが身体を拭いてなんて言ったから。



実際に身体を拭き終えるとすごく良い匂いがするし、お風呂上がりまではいかないけどさっぱりした。



身体を拭き終えてから下着と服を着替えてしばらくするとノックをする音がした。



「終わったか?」

「終わったよ」

「ん。入るぞ」

「だいぶすっきりしたよ」

「明日は風呂に入れると良いな」

「うん」

「じゃあ、少し寝たほうが良い」

「でも、寝起きでそんなに眠れないよ」

「そうか。でも横になっているだけでもいい」

「春輝はどうするの?」

「リビングにいるから、なにかあったら呼んでほしい」



そう言ってまた寝室を出ていこうとする春輝に、



「寂しい」

「……いや、寝ないとダメだ」

「寝るから」

「寝ないだろ」

「寝るったら寝る」

「……少しだけだぞ」

「うんっ!」



ベッドに座る春輝の腰を抱きしめた。頭撫でて欲しいなって思ったら、やっぱりわたしの頭に春輝の手が触れる。なんで分かっちゃうんだろ。それにわたしはワガママを言って困らせているのに、春輝はすごく優しい顔をしている。



「明日はわたしがいない学校だね」

「そういえばはじめてだな」

「うん。あ、わたしがいないからってハメ外しちゃダメだからね?」

「そんなことするか」

「分かってるよ。でも、一年生とか虎視眈々と狙ってるから」

「そんなわけあるか」



そんなわけある。ギラギラしている子が沢山いる。春輝はわたし以外の子に塩対応なのは知っているけど、それでも心配。できることならいつもそばにいたいって思っている。春輝はそんなわたしの頬を軽くつねった。



「はひふふほよ?」

「俺を少しは信用しろ」

「してるもん」



春輝はわたしの首まで掛け布団を掛けてくれた。そしてベッドに座ったまま布団に手を入れてわたしの手を握ってくれる。何度も握ったことのある手だけど、今日の手はいつもより堅い気がした。少しだけ力が入っているんだと思う。



「麻友菜が近くにいなくても、俺は変わらない。それに三年になって別々のクラスになったらどうするんだ?」

「イヤ」

「イヤって答えになってないだろ」

「イヤなものはイヤ。ずっと春輝と一緒がいいの」



離れたくない。少しでも近くにいたい。けど、それは現実的じゃないことくらい知っている。登下校のときは一緒にいられるし、週末のお泊りが変わることはない。分かっているけど寂しいものは寂しい。



「分かった。なら俺も学校を休む」

「それはダメ。春輝は学校に行って」

「どっちなんだ」

「春輝を困らせたいわけじゃないの」



春輝には、わたし中心の生活になってほしくない。けど、わたしのことを見ていてほしいし、近くにいてほしいという矛盾を孕んだ気持ちを自分でも理解している。春輝と一緒にいたいという気持ちだけじゃ、これから先は歪が生じることもあると思う。



「麻友菜、俺がずっと近くにいてやれないこともある。俺だって寂しい」

「分かってるよ」

「でも、そんなことで関係性が変わるわけじゃないだろ」

「うん。絶対に変わらない」



変わるわけがないよ。春輝とわたしの関係はそんなに軟じゃない。



「だから明日はちゃんと学校に行ってね」

「ん。そうする」



一年生にチヤホヤされて嫉妬したのはわたしだ。春輝がわたし以外の子に見向きもしないことを知っているのに。やっぱりわたしは心の狭い人間なんだな。春輝のような心の広い人間になりたい。



「ほら、そろそろ寝ろ」

「うん」



日曜日の丸一日を休養したら、夜にはほとんど風邪も治っていた。だけど、明日一日はやはり様子を見ることにして休むこと。わたしと付き合ってから、わたしがいない学校生活を送ることは春輝にとってはじめてだと思う。



月曜の朝、春輝を見送ってからわたしはリビングのソファで一人膝を抱える。今日は横にならずに身体を慣らすことにするためだ。



今頃、春輝は学校で何をしてるんだろうな。



やっぱり一人は寂しい。










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