#67 のど飴@カノジョのがんばり


影山樹は確かにクリスマスパーティーのときに言っていた。



母親が軽自動車に乗っていたら、後ろからトラックに追突されて死にかけた。それで、胸骨の骨折だけで済んだのが奇跡だった。医者にそう言われたと影山の口からはっきり聞いた。影山の母親はピンピンしていると言っていたから、もしかしてその後なにか体調に変化があり、それで受診したのかと勝手に推測してしまったが、余計な一言だったらしい。



「ええっと、並木さんと言ったかしら。交通事故とはいったいどういうことでしょう?」

「……すみません。勘違いのようでした。軽自動車に乗っていたらトラックに追突されたと言う知人の話と混同してしまいました。申し訳ありません」



影山樹を睨むと、嘘をついたであろう本人は萎縮しつつ俺から目をそらした。



「そうでしたか」

「お母さん、もういいじゃないか。早く行こう」

「もう。この子が学校で迷惑をかけていませんか?」

「いえ。特にそんなことはありません。ただ、冗談が過ぎるのが玉に瑕ですね」



麻友菜は体調がすぐれないためにベンチに座り込んで、会話からは早々に戦線離脱した。



「この子は空気が読めないところがあるから、学校ではどうなのかって心配しているんです。昔から本当に困った子で」

「余計な話はいいから。霧島氏は風邪かい? そうなら、はやく行かないと迷惑じゃないか」



影山は母親の手を引いて逃げるように去っていった。交通事故の嘘をついたことを母親にバレるのが気まずかったのだろう。だが、人をおちょくるために嘘をついたのだとしたら、その意図がまったく分からない。ノンフィクションを書きたいという気持ちがあって、俺に頼みたいのなら、虚言などで誤魔化さずに誠心誠意頼み込めばよかったのだ。



「交通事故ってなに?」

「ああ」



そういえばクリスマスパーティーのとき、麻友菜はダンスをしていたから話を聞いていなかったな。影山の話を覚えているかぎりで話すと、麻友菜も首を傾げた。



「明らかに影山は嘘をついたよな」

「影山さんのお母さんの反応からするとそうだよね」

「……まあ、どうでもいいな」

「うん。影山さんのお母さん元気そうだから、いいんじゃないかな」



やっぱり俺は影山の考えていることが分からないし、意図が読めない。そういう人とは相なれないし、話をしたくない。別に嫌いとかそういう気持ちではなく、単に面倒なだけだ。



二人でベンチに腰掛けていると麻友菜が俺の肩に寄りかかってきた。本当は座っているのも辛いのだろう。しばらくそうしていると、後ろから階段を降りてくる足音がした。



「おはよう、春輝くん」

「弓子さんおはようございます」

「お母さん……」

「ちょっと、麻友菜、本当に春輝くんに迷惑かけて」

「ごめん……」

「弓子さん、俺は迷惑なんて思っていません。俺の彼女ですから、当然のことをしたまでです」



まだ先生の手が空かずに診察ができないだろうと弓子さんは言う。麻友菜が辛そうだからなんとかならないとかと相談すると、弓子さんは外来の看護師に話をつけてくれた。点滴室のベッドで寝ていいということになり、麻友菜も素直に応じる。横になりたいくらいに辛いのだと思う。



麻友菜がベッドに横になったところで、弓子さんはまた病棟に戻っていった。



それから一時間近く待ったと思う。先生が病棟から降りてきて、ようやく診察となった。

ベッドに横になったままで診察をしてくれるという特別対応。さすが院長の娘というだけはある。二時間起きに測ったバイタルの書かれたノートを医師に見せるとなぜか褒められた。普通はバイタル測定をして受診に行くんじゃないのか。よく分からないが、これで麻友菜の診察が的確に行われることを望む。



口の中を見て医師は一言。



「真っ赤ですね。扁桃炎です」

「麻友菜は大丈夫ですか?」

「おそらく風邪だと思いますが、念の為血液検査をしましょう」

「い、いえ……だい……じょぶです」



麻友菜は青ざめてフルフルと顔を横に振っている。



「溶連菌の患者さんも多いですから。念の為です」

「麻友菜、俺も付いてる。大丈夫だ」



麻友菜は大きなため息を一つついて、観念したのかうなだれた。すぐに看護師が来て、横になった麻友菜の腕を酒精綿で拭いた。麻友菜は瞳をギュッと閉じて一文字に閉じた口を震わせる。



「ちょっとチクっとしますよ」

「うぅ……あれ、痛くない?」



どうやら採血に慣れた看護師だったようで、麻友菜はホッとしたのか目を開いた。そして、それから一時間近く待ったと思う。検査結果が出て、溶連菌もインフルエンザも陰性。つまりただの風邪ということになる。



「今日は、お父さんは宿直で、お母さんは帰るけど今日は遅番で明日は早番なのよね。だからなにか買って帰ってくれる?」



再び娘の様子を見に来た弓子さんはそう麻友菜に話した。麻友菜は咳込みながらも、「うん、ただの風邪だから大丈夫」と答える。院長でも宿直をするのかと感心したが、今はそこが論点ではない。



「もし良ければ、俺に預からせていただけませんか?」

「え? 春輝くんそれは悪いわよ」

「俺も明日まで予定はないです。ちゃんとした栄養のあるものを作ることもできますし、何かあればすぐに病院に連絡できます」

「春輝は昨日……ごほっ、寝てない……ごほっごほっ、じゃん」

「大丈夫だ。それよりも、麻友菜が一人になる時間が心配だ」

「ただの……ごほっ。風邪だって」

「俺は料理には自信があります。麻友菜が一刻も早く快復するように薬膳料理を試す良い機会だと思っているくらいですので」

「そう? 麻友菜はどうなの?」

「わたしは……ごほっ! それは嬉しいけど」

「なら決定だな」

「何から何までありがとうね。春輝くん、今度お礼はするから」

「いえ」



麻友菜は俺が責任持って預かること対して弓子さんは快諾してくれた。病院の外の薬局で処方された薬をもらって帰るだけなのだが、さすがに電車に乗るのは無理がある。ミーくんを呼び出すのも申し訳ないので、タクシーを使おうと思っていたら見送りに来てくれた弓子さんがタクシー代をくれた。



麻友菜を俺に任せっきりなことに対する負い目も弓子さんにはあるのだと思う。



「春輝にも迷惑掛けちゃったなぁ。ごめんね」

「風邪は誰でも引くし、引きたくて引いたわけじゃないだろ」

「そうだけど……ごほっ」

「気にするな」

「本当に、ありがとうね」

「さっき、売店でのど飴買ってきた。舐めれば少しは咳も落ち着くんじゃないか」



意外にも古くからある龍の文字を冠したのど飴が一番効く。それは麻友菜も同意見だったらしく、処方されたトローチではなく、俺の買ってきたのど飴を口に含んだ。そもそも江戸の中期頃から開発されて、改良された歴史のあるのど飴(というか薬)で、喉が痛いとき以外にも去痰や鎮咳にも効果がありそうだ。



「体が弱っていると、どうしても心細くなるよね」

「ん。そうだな」

「春輝が預かるって言ってくれたとき、嬉しかった。ありがとう」

「むしろ、麻友菜を一人家に帰したら心配だろ。近くにいれば色々としてやれるからな」



タクシーに乗り込み、運転手に行き先を告げると走り出した。二番街のうちまでは距離はそこまでないものの、普段から混雑をしている上に今日は土曜日で人の出が多く、帰るまでにかなりの時間がかかることが予想される。ミーくんが運転した時間はまだ早朝だったから良かったが、昼過ぎになると渋滞が発生する。



「着くまで寝ていたほうがいいぞ」

「うん」



よほど辛いのか、俺の言葉通りに、俺の肩に寄りかかって寝息を立てた。不思議なことに横になっていると咳が出るが、座った状態だとそこまで咳き込まない。さっきも病院のベッドでは横になっていたせいか、咳が止まらずに寝付けなかったみたいだ。だから、こうしている時間に少しでも寝てくれると助かる。



眠っているはずが、麻友菜は俺の手を握った。指と指を絡ませてがっちり掴んでくる。そもそも風邪を引いたのは、バレンタインのガトーショコラを作るために遅くまでがんばったことも一つの原因だと思う。無理が祟ったのだろうし、その気持ちは尊重したい。だから、自己管理が云々とか、感染対策がどうたらとか正直どうでもいい。そんなことよりも麻友菜が風邪を引くくらいに努力をしたという点が重要だ。



そのがんばりを、俺はちゃんと見ている。



「麻友菜、ありがとうな。やっぱり俺は麻友菜が好きだ」



寝ている麻友菜にそう伝えて、握った手に少しだけ力を込めた。



家に着いてからも麻友菜は眠ったままのために、俺は麻友菜を抱きかかえて部屋に連れて行くことにした。麻友菜の華奢な身体ならば大した重さはないし、階段を上るくらいなんともない。それにお姫様抱っこには慣れている。



眠れる姫の麻友菜を抱えて階段を上っていると、タイミング悪くクミさんに出くわした。



「やっほ~~~。あれ、麻友菜ちゃん? どうしたの?」

「ああ、ちょっと風邪を引いたみたいで。寝ていたので抱えて連れて行こうかと思って」

「ひゃ~~~。このイケメンめ。麻友菜ちゃんうらやましか!!」

「そういうことなので、では」

「ああ、麻友菜ちゃんの食べれそうなもの差し入れするね」

「別にいいですよ」

「ご近所さんの縁じゃ~~~ん。うちらの御用達のプリンでいいかな?」

「ああ、では、それで。麻友菜もあれは好物みたいなので助かります」

「うんうん。それじゃあね~~~」



いつも元気な人だ。仕事柄、お客さんに好かれなくてはいけない商売とはいえ、毎日あんなテンションで疲れないのだろうか。



そんなことを考えているうちに部屋に着いた。麻友菜を一旦ソファに降ろして、着替えをさせることに。このままでは寝づらいだろうし、病院に行った服は一度洗濯したい。アウターは難しいが、ほかは全部洗濯だ。だが、麻友菜が彼女とはいえ、いきなり服を脱がせるには抵抗がある。



「麻友菜、着いたぞ。服を着替えろ」

「うぅん……」



思いの外、爆睡しているようだった。仕方なく、麻友菜の肩を軽く叩いてみると、麻友菜は手を広げて俺を抱きしめた。そのまま抱き枕のように寝かせられて(ほどくこともできるが、力を入れる必要があるために却下)、ソファに横になった。起きているのかと思ったら、どうやら寝ぼけているらしい。



「おい、麻友菜」



反応がない。

それにしても身体がまだ熱い。熱があるんだろう。それなのに幸せそうな顔をしている。この状態がいいのなら、もう少しこのままでいてやろう。



風邪のときくらい、ワガママを言わせてやりたい。



いや、それはいつもか。そんなワガママを言う麻友菜のことが好きだから仕方ない。




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