#65 体温計@発熱のカノジョ



バレンタインの二月一四日は金曜日。本来なら麻友菜が泊まりに来る日は土曜日なのだが、年が明けてからは、そのルーティンに変更があった。弓子さんの許可を得て、金曜日から二泊三日しても良いことになったらしい。麻友菜の成績が著しく伸びていることが主な理由で、それに加えて弓子さんが俺のことをいたく信用してくれているから。麻友菜は嬉しそうに正月の泊まりのときにそう話した。



「それで、クララ。なにしにきた?」

「昼間は仕事入っちゃったから学校行けなくてチョコ渡せなかったじゃんか。それでわざわざ届けにきたわけ」

「別にいらないが」

「そう言うなって。ほら、こっちはまゆりんの分」

「わたしにも? ありがと〜〜〜」



麻友菜はクララから紙袋を受け取ると、お返しとばかりに自分もバックから袋を取り出してクララに手渡した。この二人はもしかして口裏でも合わせているのか。



「あたしの分、用意してくれたの?」

「うん。友チョコ。大したものじゃないよ」

「今日、あたしがここに来ること知らなかったのに?」

「本当は学校で手渡そうと思っていたんだけど、クララちゃんいなくて。ずっと持っていたんだよね」

「そっかそっか〜〜〜まゆりん愛してる〜〜〜」

「わたしも〜〜〜クララちゃん大好き〜〜〜」



抱き合って互いに背中を軽く叩きながら爆笑している。よく分からないが、仲が良くてなによりだ。あのクリスマスパーティーの日以来、西谷秀長が俺やクララの前に姿を見せることはない。吹雪さんは絶対に約束を違えないために、きっと今ごろ海外でカニ獲りでもさせられているんだろうと思う。延々と、永遠に。



「ほら、春輝もちゃんと受け取ってよ。クララちゃんの手作りだからね?」

「……手作りは嘘だろ。お前にはそんな時間も余裕も技術もないはずだ」

「バレたか。でも、ちゃんと自分の目で見て考えて買ってきたんだから。手作りよりは劣るかもしれないけど、あたしなりの気持ちはこもってるからね」

「ん。そうか。ありがとうな」

「クララちゃん忙しいのに、本当にありがとう。ちゃんと味わって食べるね」

「うん。あとさ、さっき下で隣のクミさんに会って、これ二人に渡しておいてって」



クララはコンビニ袋をテーブルの上に置いた。中から出てきたのはカラフルで透明なパッケージに入ったローションだ。それも三本。それとコンドームが一箱。極薄と書いてある。また余計なお節介を焼いて……本当に困る。



「こんなもん預かってくるなよ」

「そんなのあたしに言われても。確かに渡したからな?」



横で麻友菜が苦笑いをしている。もらって反応に困るものを寄越すのもどうかと思うが。しかもクララに仲介を頼むあたり、クミさんのいたずら心が透けて見える。まあ、クララだから遊び心で頼んだのだろう。



「じゃあ、あたしはこれからまた仕事入ってるから」

「ああ。気をつけて帰れ」

「クララちゃん、ありがとう」



忙しないクララが、バンに乗るところを見届けてから部屋に戻った。



「あいつはまったく」

「まあまあ。せっかく来てくれたんだから」

「ん。まあ、そうだな」

「クララちゃん、あれからすごく可愛くなったよね」

「そうか?」

「そうだよ。心の底から笑顔っていうか。インスタとかでも言われてるよ」

「そうなのか」

「お兄ちゃん大活躍だったもんね?」



部屋に戻って、麻友菜はそう言いながら俺の手を引いた。行き先は脱衣場でどうやら風呂に入りたいらしい。



「今日はバレンタインだからご奉仕してあげようかなって」

「……バレンタイン関係あるのか?」

「あるよ〜〜〜」

「あるのか。毎回一緒に風呂に入っている気がするが」



最近というか、秋の中頃あたりから風呂に毎回一緒に入ることが当たり前になってきている。わざわざバレンタインだからなんてかこつけなくてもいいような気がしないでもない。俺は麻友菜がしたいようにするし、拒否も無理強いもするつもりはない。麻友菜が笑顔でいてくれるならそれでいいと思っている。



「バレンタインはその中でも特別なの。だめ?」

「ダメ……ではない。入るか」



麻友菜が衣服を脱ぐ様子も幾度となく見たが、麻友菜は未だに恥じらいがあるらしく、「あんまり見ないでね」と念押しされてしまう。だが、それは何度見ても可愛くて、つい手が出てしまう。



「きゃっ!?」



上下下着で、ストッキングだけの姿になったところで抱きしめる。寒いようで鳥肌が立っていた。



「もうっ!」

「イヤならやめる」

「イヤじゃないよ。春輝……キスしたい」



キスをしてから俺は背中を向けた。何度も風呂に一緒に入っているが、麻友菜の裸を見たことがない。見るつもりもない。裸になることに麻友菜はおそらく抵抗はない。だから、俺が見たいと言えば見せてくれるだろう。だが、見たらストッパーが外れてしまうような気がするのと、できればその姿を見るのはもう少し取っておきたいと思っているからだ。



「もういいよ」

「ん。分かった。先に入って」

「うん」



俺も服を脱いで、腰にバスタオルを巻いてから浴室に入った。そういえば麻友菜は俺の裸を見ているのに、俺が見ていないのは不公平な気もするな。



「お風呂きもちい〜〜〜〜っ!!」

「今日は特に寒いからな。暖房つけるか?」

「ううん。あ、でも体洗いっこするときにはつけてほしいかも」

「分かった」



麻友菜と並び足を伸ばして肩まで浸かる。横を見ると麻友菜が気持ちよさそうにしていた。何度見ても、麻友菜のバスタオル一枚の姿に動悸が止まらなくなる。服を着ているときにはそこまで気にならない胸の大きさや、バスタオルの境界線から伸びる細く長い脚。細い首に紅潮した顔。どれも全部好きだ。



「どうしたの?」

「いや」

「あ〜〜〜。わたしを見て欲情したんでよ」

「してない」

「したね?」

「してない」

「したって」

「だから、してない」

「無理しなくていいよ。春輝がその気になれば、わたしはいつでもいいよ?」

「……しない」

「本当に強情だな〜〜〜」



麻友菜は浴槽の中で膝立ちして、そのまま俺に跨った。そして俺を抱きしめてくる。いつも以上に麻友菜の柔らかい体を感じることができて、またキスをしたくなり唇を重ねた。唇を離した麻友菜は、そのまま俺の首筋にキスをして顎の上までぞり、離れたかと思ったら、



(今日もいっぱい気持ちよくしてあげるね♡)



「耳元はやめろ」

「えへへ。だって、可愛いんだもん」

「そんなことはない。麻友菜の感覚がおかしいだけだぞ」

「普段はあんなに無愛想なのに、こんな顔しちゃうんだって思ったら、普通可愛いって思うよ?」




そう言って麻友菜は俺の顔を軽くつねってくる。仕返しに俺も麻友菜の顔を両手で挟んで、強制的に唇を尖らせる。



「にゃめにぇにょ〜〜〜」

「まひゅひゃもひゃ」



相変わらず風呂場でイチャついて、気づくと九〇分近く経っていた。バレンタインのチョコの代わりにもらったローションを使って遊んだことは、クミさん本人には内緒にしておこうということで麻友菜と口裏を合わせることに。クミさんにバレたら、どんな行為をしたのかしつこく訊かれそうだ。



「春輝、乾かしっこしよ?」

「ん。じゃあ、麻友菜からだな」

「春輝からでいいよ?」

「麻友菜のほうが髪が長いんだから、そのままだと寒いだろ」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」



今日はとんでもなく寒い。だから、濡れたままの髪だとせっかく温まった身体が冷えてしまう。だから、一刻も早く麻友菜の長い髪を乾かしてやりたかった。

麻友菜にはソファの下に敷いたクッションの上に座ってもらって、俺はソファに座り、背後から麻友菜の髪を乾かす。付き合いはじめた頃よるも長く伸びた髪が愛おしい。中心から毛先にかけて乾かしていく。



「春輝〜〜〜」

「ん?」

「呼んだだけ」

「またそれか」

「あはは。春輝にブローしてもらうの好き」

「なんて言った?」



ドライヤーを止めてなんて言ったのかを訊くと麻友菜は、「なんでもないよ〜〜」と言って鼻歌を歌いながら笑った。なんだかいつもと声が違う気がする。



麻友菜の髪を乾かした後は、俺の髪の毛を乾かしてくれる。麻友菜はすこぶる上機嫌だった。だがドライヤーを一度止めて、クローゼットに向かったかと思うとなぜかフリースを取ってきた。風呂上がりはいつも熱い熱いと言っているから珍しい。



「寒いか?」

「うん。今日は冷えるしね」

「暖房の利きが悪いのか」



リモコンを確認すると、液晶には二六度と表示されている。今日は寒波襲来の予報が大当たりをして、寒すぎるためにいつもより温度を高く設定していて、むしろ暑いくらいの設定。これで寒いというのは体調が悪いのか、冷え性なのかどちらかだろう。



「そういえば少し喉がイガイガするかも」

「大丈夫か?」

「うん。もし風邪を引いていたらごめん」

「なんで謝る?」

「キスしちゃったじゃん。感染うつっちゃったら大変だもん」

「ああ、俺は風邪引かないぞ」

「……なんで言い切れるの?」

「子どもの頃はよく風邪を引いてな。ありとあらゆる感染症は経験した。だが、不思議と大きくなったら何にも罹らなくなったんだ。免疫が付いたんだろうな」

「なんか科学的のように聞こえて、非現実的な気がするけど?」

「そうかもしれないが、風邪を引かないのは確かだ。八年近く引いていない」



とにかく、そういうときは寝るのが一番だ。寝室に加湿器をセッティングして、気だるそうな麻友菜をお姫様抱っこして連れて行く。



「もう。まだ風邪とは決まってないじゃん。本当に過保護なんだから」

「その割には嬉しそうだな」

「……だって」

「とにかく、温かくしたほうがいい」

「春輝……行っちゃうの?」



麻友菜をベッドに寝かせて布団を掛けてやると、今度は寂しそうな顔をする。



「すぐに戻る。マスクを取ってくるだけだ」

「うん。早く戻ってきてね。あ、でも感染うつしちゃうかもだから今日は別々でもいいよ?」

「だから俺は風邪を引かない。心配しなくても大丈夫だ。それに風邪を引いているとなると一人にはしておけないだろ」

「うん……ありがとう」



リビングの棚からマスクと体温計を取ってきて、寝室に戻ると麻友菜は眠っていた。寝ている麻友菜の脇の下に体温計を差し込み、しばらくすると電子音が鳴る。



「三八度ジャストか……」



案の定熱があるらしい。



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