桜並木編
#64 ガトーショコラ@バレンタイン
二年生も残すところあと約一ヶ月。
遅くまで大本命のチョコレートと義理チョコをいくつかこしらえたために、今日はだいぶ寝不足気味だった。しかも目の前で繰り広げられているつまらない現国の授業が安眠を誘っている。これは目を瞑ったら絶対に寝てしまう。
……やばい、考えているそばから意識が飛びそうになった。
義理チョコは本命チョコレートの材料のあまりで作ったからそんなに気合は入れていないけど、本命は出来が気に入らなくて四回ほど作り直してしまった。
そうして寝たのが朝方の四時すぎ。今日は春輝が家まで迎えに来てくれたから良かったものの、もし一人ならお母さんも仕事だから起こしてくれる人がいなくて、学校を休む羽目になったかもしれない。
登校するなり、さっそくクラスの男子に義理チョコを渡すとみんな大げさに喜んでくれる。
「うぉぉぉ……まゆっちのチョコ……義理なのに手作りとか神かよ」
「ありがたい、一生大事にする」
「勿体無くて食えないってばよ」
「神すぎかよ」
五センチ程度の正方形の板チョコで、食欲旺盛な男子たちには物足りないと思う。どう考えても一口か二口分しかないはず。それなのにそんなに喜んでもらえるなんて嬉しい。わたしと男子たちのやり取りを春輝が嫉妬してくれないかな~なんて思って、春輝の席の方を見てみると、
「並木くん、チョコ食べてね?」
「あたしのチョコも〜〜〜」
「並木くん、あのね、私のチョコ手作りなの。お口に合えばいいなぁ」
「先輩、あの、あたしもチョコ作ってきたんですけど」
ずるい。
なんでわたしのいる目の前で、こんなにいっぱい女子が集まってきているのよ。しかもちゃっかりクラスの女子ばかりか、他クラスや挙句の果ては一年生までいるし。なんでそんなにモテモテなの。油断も隙もない。ずるい。ずるすぎる。
「……ん。俺は甘いものは好きじゃない」
「えー? そうなの?」
「チョコとか食べないってこと?」
「ん。基本食わない」
それは嘘だ。チョコレートは好きなはずだし、わたしと一緒によく食べているじゃん。つまり、これはいつもの塩対応だ。わたし以外の女子にはまったく興味がないらしく、心底面倒くさそうにあしらっている。それでも食いついてくる女子に早く離れて欲しいのか、仕方なくチョコを貰って「ありがと」と適当なお礼を言っていた。
そこまで麻友菜ファーストに徹してくれているなら、許してあげてもいいけど。
嫉妬しているのが露見しないように笑顔を保つ。意地でも崩さないように口角を上げる。だって、心が狭いのがバレちゃうじゃん。
最近の昼休みの過ごし方としては、屋上の廃プールは寒すぎるからとその手前の教室(元更衣室)に椅子を運んで過ごすことが多い。室内なのにひざ掛けとダウンジャケットで防寒している姿はなかなか滑稽だと思う。
「眠そうだな」
「うん。でも大丈夫だよ。あのね、これ。日頃の感謝を込めて」
「ん。麻友菜もチョコレートか。それで徹夜したのか?」
「……ちゃんと寝たよ。だから大丈夫」
「顔を見れば分かる。遅くまで作ったんだろ。ありがとうな」
作ったチョコを入れる箱を選ぶのに一週間以上費やしたし、パッケージするのにもかなりこだわったから見栄えは良いはず。春輝自身が料理からお菓子作りまでなんでもできる人だから、わたしに掛かるプレッシャーは半端ない。気に入ってもらえると嬉しいな。
「開けていいか?」
「うん。もちろん」
春輝は厚手の白い紙袋のシールをそっと剥がして、中から箱を取り出した。あまり大きくないけど、味は絶対に自信がある。わたしのチョコがたとえ美味しくなくても、春輝はお世辞とか抜きで美味しいって言ってくれる。不味いものでも脳内変換をして美味に変えてしまう特殊能力の持ち主だ。でも、そうじゃなくてちゃんと美味しいものをあげたい。
箱の蓋を持ち上げて、春輝は珍しく「おぉ」と感嘆の声を上げた。
「すごいな。麻友菜、これを作るのにどれくらい練習したんだ?」
「……まさか。練習なんてしてないよ?」
「いや、俺には分かるぞ」
わたしが作ったのはチョコレートケーキで、定規で測ったこともあって一寸狂いもない一〇センチの正方形。しかも、ガトーショコラと生チョコ、それにチョコクリームを組み合わせて作った自信作。練習していないなんて嘘をついたけど、実際は一ヶ月くらい毎日研究を重ねてきた。
春輝はプラスチックのフォークでキレイにケーキを切って、一口頬張った。
「美味いな。こんな美味いチョコケーキははじめて食べたと思う」
「また。それって彼女バカなだけじゃん」
「前にも話したが、料理には気持ちが必ず乗るんだ。ココアスポンジも生チョコのクリームの分量もすべて的確で、湯煎の温度調整も時間も相応に練習しなければ、これは作れないだろ」
「……うん」
好きな人に美味しく食べてほしいから分量は必ず計り、湯煎の時間は的確に守る。レシピ通りに作っただけじゃなくて、かき混ぜ方や力の入れ具合にも気を使った。その研究に一ヶ月を費やしたのだから、美味しくなければ困る。でも、春輝は舌が肥えているから正直不安だった。でも、春輝はわたしの見えない努力の部分まで見透かして、気づいてくれる。
「それに毎日、麻友菜の手から甘い匂いがしてたからな。何してるのかと思っていたが、今日ようやくわかった」
「春輝には敵わないなぁ~~~」
分かってくれて嬉しい。美味しいって言って欲しいときにお世辞じゃなくて、ちゃんとした理由を添えて美味しいって言ってくれる。わたしの欲しい言葉をちゃんと添えてくれる。そして、春輝はわたしの頭をぽんぽんと叩いて、「店出せるくらいうまいぞ。がんばったな」とすごい優しい笑顔をくれる。もうダメ人間製造機すぎて辛い。
やっぱり好き。大好きすぎる。大好きすぎるかよ。
「美味いな。これはまた食べたい。今度は一緒に作ってくれないか?」
「そんなに美味しい?」
「ん。俺は好きだ。ありがとうな」
「よかったぁ〜〜〜〜」
はじめの一口はもぐもぐ食べて、二口目は舌の上で転がして味わうようにゆっくりとチョコケーキを味わった。そして「やっぱり美味い」とまた褒めてくれる。ここまで喜んでもらえるなら、朝方までがんばった甲斐があったなって思う。
「これはホワイトデーのお返しのハードルが高くて燃えるな」
「燃えるんだ?」
「ん。持てる力をすべて解放して作るからな」
「でも無理はしなくていいからね。別にお返しが欲しくて作ったわけじゃないから」
「ああ。分かってる。麻友菜の気持ちは確かに受け取った」
それから昼休みの時間の許す限り春輝と話しをして、幸せな気分で満たされた。
教室に戻る途中で影山さんに遭遇してしまった。春輝は分かりやすく(影山さんに分かるようにだと思う)しかめっ面で無視して通り過ぎようとする。けど、影山さんは意にも介さない様子で、
「ああ、並木氏に用事があるわけではないから安心したまえ」
と少し偉そうな態度で春輝に声を掛けた。
「ん。ということは麻友菜に用事か?」
「そうだよ。霧島氏に頼みたいことがあるんだ。話を聞いてくれるかい?」
「断る。どうせろくな用事じゃないんだろ。麻友菜を困らせるようなことすると殺すぞ」
「……並木氏には聞いていない。霧島氏のこととなると並木氏は目が据わっていて怖いって言われないかい?」
「まあまあ。春輝、話だけでも聞こうよ」
「麻友菜がそう言うなら聞いてやってもいいが」
昼休みが残り五分で終わるというのに、影山さんは悠長に話しはじめた。この人は本当にマイペースで困る。天才肌の人ってみんなこうなのかな。
「霧島氏、ミュージカルは好きかい?」
「俺はお前が嫌いだ」
「だから、並木氏には聞いていない。ボクは霧島氏に訊ねているんだ」
「好きといえば好きだけど、ちゃんとしたのは見たことないかも」
ミュージカルと言えば、演劇に歌曲が加わった舞台演出というくらいの知識しかない。有名どころだとオペラ座の怪人とかなのかな。
「ミュージカルと言えば、ストーリーを辿る上でセリフの他に歌とダンスを組み入れた感動必至のエンターテイメント。まさに芸術の極みといったところだよ」
「断る。麻友菜、時間だ。行くぞ」
「う、うん」
「待ちたまえ。人の話を最後まで聞くんだ」
「お前の話はいちいち芝居くさくて苛つく」
「ひどい」
春輝は影山さんのことが嫌いなわけじゃなくて、わたし以外の女の子には誰に対してもこんな感じ。クラスメイトのミホルラとか、わたしと仲の良い子は別として、大抵の子には塩対応で徹している。多分、話すのが面倒なだけ。二番街で遭遇する女の子と徹頭徹尾同じ対応で、ここまで来ると逆に面白くなってくる。
芝居くさくて苛つく。ひどい。
このやり取りよ。条島高校の四天王とうたわれるくらいの美人なのに芝居臭い女子高生と、二番街育ちの女慣れしている男子高生という立場の会話がそれかい!
ああ、ダメだ。面白すぎる。
そんなことを考えているとツボに入ってしまい、耐えきれず吹き出してしまった。
「あはは、もう面白すぎ」
「霧島氏? 今の話の中にそんなコミカルなシーンがあったとは思えないけど?」
「麻友菜の笑いのツボは、未だに俺も分からん」
「うーん。興味深いね」
笑いすぎた。
「ああ、笑った。ごめん。続きどうぞ」
わたしが会話を促すと、春輝は呆れながら影山さんに向き合った。
「どうせ、ミュージカルの脚本を書いたから出てくれないか、などと戯言を言うんだろ。図星なら帰れ。影山の舞台は涙を誘えばいいとか、そんなんだろ」
「…………」
「それに、文化祭の魔女だって野放しだろ。あれは納得行かない」
「…………」
「影山さん?」
「なんで拗ねるんだ?」
「自分の胸に聞いてみてくれよ。ボクは傷心したのさ」
「ならそのまま泣いて帰れ。麻友菜行くぞ」
「……う、うん。じゃあ、影山さんまた」
「ボクは諦めないからな~~~っっ!!」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。これでいよいよ教室に戻らないとまずいことになる。影山さんはそんなの関係ないと言わんばかりに俯いて、凹んだ様子を見せた。いや、どう見ても演技なんだけどね。
「それで、影山の脚本にミュージカルに麻友菜がわざわざ出なきゃいけない理由はなんだ?」
「並木氏の週刊誌の記事にあった、“生みの母の心の支えになってくれた女性”とは、ずばり霧島氏なんだろう?」
「……どうだろう」
実際、わたしのことだと思う。
週刊誌の取材の中で、春輝は彼女(わたし)の存在を隠し通した。スポーツ飲料のCMで目立ったわたしが再注目を浴びるようなことがあれば、わたしに迷惑がかかると案じてくれたのだと思う。条島高校では“並木春輝の恋人は霧島麻友菜”と周知されているために、噂が広まってしまうとわたしにまで取材が及ぶかもしれない。春輝はそう考えたんじゃないかな。
「どう考えてもそうじゃないか。霧島氏ならありえる」
「それで?」
「ボクの書いた脚本のヒロインのイメージにぴったりなんだ」
「影山さんはわたしを買いかぶりすぎじゃないかな?」
「そんなことないさ」
影山さんは考えてみてくれと言って教室に戻っていった。わたし達も急いで教室に戻るとちょうど次の授業の先生が教室に入ってきたところ。間一髪怒られずに済んでよかった。
今日は金曜日だけど春輝の家にお泊りの日。そうじゃなくても最近の放課後は春輝の家で勉強タイムがルーティンとなっている。進学をするしない別として、ちゃんと勉強をしないといけないと春輝はわたしを勉強に誘ってくれる。進学をしても失敗しないようにって受験に向けての勉強も教えてくれることが功を奏して、中間試験では五位という過去最高の成績を収めた。
お母さんは春輝のことを高く買ってくれていて、「将来のこと考えているんでしょ?」なんて最近は訊いてくる。春輝が家に来ることもしばしばあって、春輝はちゃんとした言葉でお母さんに将来のことを話している。
“料理の道に進んで真っ当に生きる”
お母さんはそれを聞いて安心してくれた。将来の夢が堅実でまじめで、安堵したんだと思う。
春輝と数学の問題を一緒に解いて、余った義理チョコを二人で摘む。冬の暖房の中でテーブルに二人で肩を並べて向き合いながら、一つのブランケットをシェアして勉強をするなんて、幸せすぎるなぁ。
「春休みは旅行に行きたい」
「そうか?」
「だって、三年生になったらクラス別々になっちゃうかもしれないじゃん」
「まだ分からないだろ」
「それはそうだけど」
離れたくない。クラスが離れようと、わたしと春輝の関係が変わるわけではないけど、今までと同じように同じ空気を吸って、四六時中春輝の顔を見るようなことができなくなってしまう。環境が変わってしまうのが怖い。
「春輝と二年生最後の思い出を作りたいの」
「春休みは修了式後だから、二年生ではないと思うが?」
「それでもいいの」
時間は待ってくれない。
わたしはいったいどこに向かって歩いているのだろう。
最近、そんなことを考えるようになった。
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